――完敗だった。
テオ・マクドールの急襲からほうほうの体で退却をしたとき、1万に届きそうだった解放軍の軍勢は僅か2千にも満たなかった。
残り8千名の兵士達は鉄甲騎馬兵に踏み潰され、刺し貫かれ或いは乱戦の最中で亡くなったのだ。
膨大な人数だったが埋葬をしなければならなかった。
半数以上は敵陣に置き去りで埋葬すらも出来なかった。
パーンの無事を願いながらも、耳に重く残る父の怒号が忘れられなくとも。
誰かに戦死者たちの身元を確認してもらわなければならない。
そして、せめて回収できた遺体だけでも葬ってやらなければならないのだ。
(疫病を防ぐためにも火葬が最善だったが設備も人も足りなかった)
(湖に沈めようと誰かが言った)
(溢れちまうぜと誰かが笑った)
ジンはささやきも湖面の濁る様も最上階から眺めていた。
火炎槍の件が今朝方持ち上がりまもなく城を離れなければならなかった。
死体の始末は下級兵士の仕事だった。
湖から吹き込む風が生臭く、湖面が怪我を洗う血で濁っていたとしても、手を貸すのは自分の仕事ではない。
リーダーたる己が何もかもを自分の手でできないことくらい、分かっていた。
われらに勝利を
月のない夜だった。
シェサラザードが落ち帝都へ侵攻するばかりという緊張状態に一息入れようと、城のほとりで湖を肴にビクトールと酒を飲んだ。
――機というものは何事にもある。
あるが、それにしても補給と備えは必要だ。
反転して進軍するには氷の船は余りにも頼りがなかったし、充分な食料も軍の編成も終わってはいなかった。
何よりマッシュの意識が戻らなかった。
本当はリーダーが率先して酒など飲んでいる場合ではないのだけれども。
まあこれはこれで、解放軍らしさがあるのか妙に盛り上がるのだからおかしい。
途中から(キンバリーから逃げてきたのか?)タイ・ホーが加わりそれを見た湖族たちが加わり後はもう覚えていないが、いつの間にやら我等に勝利を!の歓声で打ち上げとなりそのままぐでんぐでんに酔って潰れたものからタイ・ホーの小屋やら石床やらで雑魚寝となった。
ビクトールが自室に戻るよう促してくれたのは覚えている。
微睡むなかふらふらと誰かに連れられて歩き(ハンフリーだったような気がする)、見張りをしている知った気配(グレミオかクレオ)に「大丈夫大丈夫」と手を振ったところまではまだ意識があった。
倒れこんですぐに布団に意識を預けた。
瞼の端から暖かな光がやってくる。
熱に意識を浸しているうちに、不思議な風景を見た。
灰色の風が吹く夜明けに草原に出ていた。
広い広い地平線の先の先まで無数の墓が立っている。
全ての墓には白い花。
解放軍の旗印が思い出したように墓の間に打ち立てられており、柔らかな草がなびくのにあわせて力強くはためいていた。
瞼の裏が熱くなった。
現実には無理だった。
一人一人に感謝をし、過去を偲びこの先に至る道を皆で誓い。
そうして一歩一歩、生き残った皆で抱え込みながら進んでいけたのならよかった。
生身で触れられたはずの仲間達を何千人も何万人も失って、彼らを支えに進み続けたのは確かだけれども、悼んで慰め葬ってやることは必ずしも出来ていなかったと彼は思う。
倒れたものをおいてでも忘れてでも走り続けねば、勝てない戦は幾つもあった。
本当は一人でも多く自分の手で埋葬してやりたかった。
冷たくなった身体に触れてお前達の分もこの国をと、自己満足でもいいから一人一人に伝えたかったのだ。
(不思議な夢だ)
幻のはずなのに風はやけに優しく頬を撫ぜている。
眼を開けると夜明け前の薄明かりが射していた。
身体を起こして外に出れば、こんな肌寒い明け方というのにパーンが寝ずに立っていた。
「坊ちゃん。寝てなくていいんですか」
「少し身体動かしてから寝るよ。ありがとうな」
手をひらひらと振って肌を刺す寒さに白い息で応えた。
背中に「気をつけてくださいよー」と心配そうな声を聞いてお前グレミオじゃないんだからと軽く笑う。
水鳥はもう目覚めているようだ。
空は高く滲んで、雲は強い風に吹かれては去っていく。
目前に広がる湖面にも対岸にもちらほらとしか墓はなかった。
名残の小花だけがちらほらと枯れ草の間に見え隠れしていた。
朝風がトランの古城を吹き抜けていく。
――自分を信じると駆けつけてくれた一人一人に報いることなど、この身一つでは充分になしえない。
それでも何かを変えたいと願い、怒り、愛するものを守りたいと必死で声を振り絞り、集ったあなたたちにこそ誓いたいと思うのだ。
今度こそは誰もが飢えない国を作ろう。
そのために今まで傷つけてきた古いものを僕が先頭に立って壊しに行こう。
せめて、この先に待つものが墓なきあなたたちへの救いとなりますように。
水鳥が城影に巣を作っている。
酔いつぶれた者達のいびきが聞こえてくる。
ジンは腰を下ろした。
湖面がきらめき船が動き出すまでは、桟橋に座り草原と稜線を眺め続けることにした。