むしのこえ

わたしは祖父を背後から見ていました。

お祖父さまの背はいつの間にやらすっかり曲がってしまわれて、申し訳ないかのように纏った一枚のシャツを剥げばそこから突き出た骨が見えるのではと思えるほどでした。

夏の空気が黒い枝葉を揺らしていました。
月はこうこうと輝き、強い風にも負けずに夏の星座を霞ませています。
雲がたなびいています。
お祖父さまはゆっくりと歩いてゆきます。
しなびた右手には錆びたスコップを持っています。
懐かしいスコップです。
わたしが砂場で遊んでいたときにいつも持ち歩いていた、水たま模様の黄色いスコップです。

―― ああ、お祖父さま。
―― それ以上進まないでください。

わたしは背後から手をのばしますが、ゆっくりと、しかしわき目もふらずに歩いていくお祖父さまには指先一本、届きません。
わたしはもう一度祈ります。

―― お祖父さま、待ってください。

願いが通じたのか、お祖父さまは、立ち止まります。
しかし、わたしの方を振り向くことはなくしゃがみこみました。
立派な御影石の前に、しゃがみ込んで、頭を垂れています。
わたしの記憶ではまだ黒い髪も残っていたはずなのに、今では白髪もほとんどなくなってしまいました。

血の管と骨が突き出た手の甲が、何度もスコップを土に突き刺しているのが見えました。
手首に、たまに湿った土がかかっています。
お祖父さまは丁寧にそれを取り除いてから、また土の中にスコップの先端を埋めていきます。

月が一番高くなる頃、お祖父さまはスコップを御影石に立てかけます。
そして、布靴を脱ぎ、靴下を脱いで丸めて靴に入れ、裸足になります。
その後、掘った穴に両足の指からゆっくりと差し入れて、まるで温泉に入ったかのような表情をなされて、しばらくそのままでいるのです。

わたしは気持ちがわるい。
自分の墓の前で、祖父が時々こうしているのが本当に気持ちがわるいのです。
夜が明けるころ、土をすべて元に戻し、丁寧に靴下をはき、布靴の踵を踏まぬように丁寧に紐を結び直し、帰っていく私の祖父。
それでもいくら叫んだとしても、わたしの声が通じることはないのです。

―― いいえ、一度だけ。一度だけ、祖父がわたしの声に耳を貸してくれました。

ただし、「もう秋だな」と感慨深げに呟いてくれただけだったのですが。

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