原風景
かわいいぼうや
愛するぼうや
風に葉っぱが舞うように
ぼうやのベッドはひいらひらり
天にまします神様よ
この子にひとつ
みんなにひとつ
いつかは……
………
堅いマットレスを背中越しに感じながらうっすらと目を開けた。
薄暗い。橙と黄を混ぜて、灰色を落としたような陰気な光が安ホテルの一室をぼんやりと照らしている。
夜になっても空気は蒸し暑く、背中のTシャツが汗を吸って少し心地悪い。
寝苦しさに起きてしまったのだろうか。
ミンシアは右手をもぞ、と布団から出して手の甲を額に翳した。
目を覆う明かりが、手の影に隠れる。
ベッドがわずかに軋んで掛け布団が捲れた。
「ぅん、」
「起きたのかい」
突然部屋の端から飛んできた声に、ミンシアはまだぼやけている瞳で数度瞬きをすると、額の手をゆっくりとずらして部屋の奥に視線を向けた。
ここはある中東の国の安宿だ。
ミンシアと、今同じ部屋にいる老女ルシールと、隣室の昔馴染みの青年ミンハイは、犬を追って旅を続けている。
不治の奇病を撒き散らす、人形による人形のためのサーカスを、探し出して、壊滅するための旅。彼女の出演してきたどの映画よりも不可思議で、遠大で、今まで生きてきた中で一番大きな出来事。
でもこれは、紛れもなく真実であり、現実なのだと知っていた。
真夜中は思い出す。
「ルシール……まぁだ起きてたの?」
身体の向きをごろりと変えて、ミンシアは眠たげに上掛けを手元に引き寄せた。
机の前に彫刻のように座っていた老女が、灯に照らされた皺だらけの指先に目を戻して、小さく鼻を鳴らす。
「子供は寝る時間だよ」
そっけない言葉に、ミンシアがんもう、と苛立たしそうに呻く。
「ルシールだって寝なくっちゃだめでしょ。……もう歳なんだから」
一言意地悪を付け足して、何を考えているのか分からないルシールの視線を避けてミンシアは布団を引っかぶった。
「……生意気お言いでないよ。お嬢ちゃんは早くお休み」
布団越しに掛けられる言葉に、ミンシアが子供のように肩をすくめる。
二十歳を過ぎていても、二百年を生きた老女にかかれば、彼女も鳴海も同じように子供扱いだ。
しばらく布団の中で沈黙していたミンシアは、思い出したようにもぞもぞと顔を出して、老女の様子を伺った。
「ねえ……ルシール。」
「何だね?」
「あのね、私の気のせいかと思ってたんだけど……」
「気のせいだよ」
「まだ何も言ってないでしょぉ!」
抗議しようと思わず上半身を起こしかけたが、思い直してまたぽすんと堅いベッドに寝転がる。
「…あのね、歌が聞こえて……もしかして、さっき歌ってたのって……ルシール?」
ちり、と、蝋燭のように電気ランプの揺らがない灯りが痛い。
枕に指を埋めたまま、お話してとせがむように。
「もう一回歌って、お願い」
「何だって私が、二十歳を過ぎた小娘に子守唄なんか歌ってやらなきゃいけないんだい」
気乗りしない声で言われて、ミンシアが不満気にくっきりした眉を吊り上げる。
「もう、意地悪ね!」
「意地悪で結構。人生そうそう思い通りにはならないもんだよ。」
取り付く島もない。
唇を尖らせて拗ねたまま毛布をかぶった。
壁が薄いので隣室のいびきが鈍って耳に届く。
乾いた黄砂が息苦しくて。
殴られるのが堪らなかった。
いつだって汗水垂らして誉められている異国の少年は錆びた看板か電信柱。
夢では懐かしい石造りの道場で風が鳴っていた。
眠りの中か落ちる前か、
優しい歌を聴いて、失くした人のために彼女はそんな夢を見た。