リハビリ・2

部屋に戻ればギイがいない。
――また、いつもの「お楽しみ」中ってことか。
鳴海はドアを後ろ手で無造作に閉めながら呆れた息をついた。
ギイは女好きだということが、最近になって彼にも分かってきた。
道行く先々で声をかけていた女性はその態度からうすうす感づいてはいたが医者仲間や知り合いなどではなく、あれはただの、単なる、純然たる、ナンパであった。
言葉が少しずつでも理解できるようになると、今まで曖昧だった彼への不信感がものすごい勢いで増加していく。
軟派でひ弱でマザコンで変態で――ああ、予感など当たらなければ良かった。
俺はだいたいなんでここにいるのだろう。
本当は――たとえ必要とされていなくても、どういう関係だか分からなくとも、彼等の側に自分は居たいと。
そう、思っているのに。
記憶の底から抜き取られてしまった彼等に。

だからこそ気が付けば「お楽しみ」に耽るばかりの銀髪の医者に鳴海は苛立ってしょうがなかった。
ピエロの練習をしなければいけないと言われて、なんとなく毎日広場で脳天にボールの直撃をくらっていることにも苛立ってしかたない。
彼が言うのならそうだろうと思ってやっているが、それでも腹立たしい。
考え込んでいると、普段は押えている怒りがふつふつと熱を帯びてき始めた。

文句を言ってやりたい。

思い立ったら後は早かった。
ピエロの衣装もそのままに、ようやく思う通りに動かせるようになりだした左手でホテルの合鍵(ギイに持っていろと半ば強引に押しつけられたものだ)を引っつかんで外に出ると、いつものように壊れかけたアパートに向けて直進する。
彼は高級ホテルのスイートルームが並ぶ廊下を歩くには実に場違いな男だが、既に数ヶ月もそこで暮らしているせいでボーイ達の視線を集めることもない。
通りに出ると、鳴海は迷うことなく数分で目的地が見える場所までたどり着いた。
いつ来てもその裏通りは湿って薄暗く、独特の悪臭が漂っている。
建物の隙間を抜けて見える薄い空色で、なんとか今は真昼間だと判別できるくらいにここは外から隔絶されている。
鳴海はひびの入った傷だらけの窓を仰いで眉をひそめた。
「アイツ、何者なんだよ……」
「ナルミ?」
「おわっ!」
突然現われたギイが、鳴海の顔を見上げていた。
驚きにあとずさった鳴海は勢い良く壁に頭をぶつけて頭を抱える。
「何やってるんだお前は……」
心底馬鹿にしたような甘ったるい声音に、一瞬飛び去りかけていた怒りが電光石火で舞い戻った。
「やい、お前に言いたいことがある!」
「……ほぅ。言ってみろ。」
何様かという口調を聞いて、いっそうむかむかする。
「あのなァっ……」
「…………」
「………………」
「……なんだ。」
良く考えてみれば、何を言いたいのか考えていなかった。
「あ、いや、だからよ……」
「……まだ頭がはっきりしないようだな。さあ戻ってリハビリだ」
「え? は? いや違っ……」
「ああ、ゴリラの世話は手が焼ける……」
「誰がゴリラだ!」
美しい銀髪を儚げに揺らして、ギイは軽く咳き込んだ。
「……」
手を開いて、鳴海に(あくまでも優雅に)突きつける。
「血だ」
鳴海は思わず口を引き結んだ。

数週間後、彼はワインのネタ明かしを見破ることになるのだが、それはそれ、これはこれ。

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