リハビリ・3

「ナルミ。」
ホテルのスイートルームでいつものようにぼうっと眠りに落ちかけていると、突然優雅な声で無遠慮に名前を呼ばれ、頭を小突かれた。
閉じていたまぶたを僅かにあげて声の主を確認すると、無視してまた寝入る。
なんで真夜中にこいつの長たらしい話(しかもあまり言葉が理解できないので退屈さはいや増す)に付き合わなきゃならんのだ。
……と寝返りをうとうとしたところに思いきり冷たいものをぶちまけられて鳴海は思わず跳ね起きた。
「な、」
「起きたまえ。いくら日本が未開の土地だからといっても、まさか皆が皆11時には就寝するわけでもないだろう……だいたいそのでかい図体に似合わない頭にあと少しでも単語をつめこもうと、そういう知的好奇心というものがお前にはないのか?」
すっかり空になったワイングラスを傾けたまま、細い銀髪を揺らしてギイが嘆かわしげに首を振る。
ワイングラスを頭に思いきり空けられた当の鳴海は、ワインの滴る髪を憎憎しげにかきやってそれを聞き流した。
寝る前にまた投与された、リハビリ用(らしい)薬で朦朧としていなければ鉄拳のひとつも食らわしてやりたい気分なのだがそこまでの元気もない。
だいたい単語を詰め込むも何も、読めないのだ。
ここがフランスだろうとイギリスだろうとオランダだろうと、直感的に分かる。
母国語は絶対アルファベットではない。
印象からして、横文字など馴染みがないに決まっている。
自分の名前とほんの微かな面影を背負って、それ以外にあまり判断はつかないのだが、もうひとつ確かに分かることがある。
――オレはこのスカした医者が気に食わねえ。
すました顔でベッドサイドに立っている自称医師を睨みつけると、鳴海は黙って枕を投げつけた。
避ける間もなくワイン漬けの枕が端正な顔を直撃する。
「ぶっ!」
「……いい気味だ」
呟いてベッドから降りると、頭をがりがりとかきながら、髪をすすぐために鳴海は洗面所へと向かった。

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このあと鳴海はアルコールの匂いに息を詰まらせて洗面所でケホケホする筈(笑)。