三人寄れば

「はァ? なんだって、ギイ?」
「聞こえなかったのか、まったく頭だけでなく耳も悪いとは救いようのない男……」
鳴海はギイの首にかかったロケットを素早く奪った。
「マ……ママン、ママンだめだよ~~、だめなんだよ、僕を助けて……チョンマゲが行進して僕に迫って来るんだよ、ママン……」
「誰がチョンマゲだ!」
鍛えられた頑丈な腕が泣き出したギイの頭を一発殴りつけ、美しいフランス人青年は乾いた土の上でよろめきがちにうずくまった。
「ママン~」
「ええい、もういい!」
投げつけるようにペンダントを返して、黒髪黒目の「しろがね」加藤鳴海は、二百年の時を生きてきた一人の老女に相手を変える。
古い古い黒服に包まれて皺だらけの顔を持ちながらも、まだ張りのある空気を纏っている老女は、ふうと溜め息をついた。
「まったく、騒がしいたらありゃしないよ。ナルミ、時間はあまりない、出発するよ」
「出発って……どこによ?」
冷たい海風が一筋吹き荒んで、鳴海は大きな肩をすくめて思わず片目を閉じる。
肌寒く、どこか寂しい海鳴りにかぶるようにして吹く風にも動じることないルシールが、いつの間にか立ち直っていたギイの方を見下ろして、答えを促していた。
不思議そうにルシールの視線を追って、鳴海の顔も自然とギイに向けられる。
「ギイ、次の目的地は決まっているのだろう?」
「……ああ、データは取ってあるからな。まずはローエンシュタイン大公国に出向こうと思っている……問題ないかな、先生。」
「そうだねェ。ま、いいだろう。だったらさっさと車を出すんだよ」
「分かってる。ほら鳴海、運転しろ。」
「……おい」
「また聞こえなかったのか? 『運・転・し・ろ』、と言ったのだよ。」
「おい、ギイ。」
「何だ、ナルミ」
何も問題なかろう?と言わんばかりに余裕の態でギイは眉を上げたが、鳴海にしてみれば問題どころの話ではない。
「あのなァオレ、無免だぞ。運転できねぇ。」
「……ああ!」
ギイが非常に大袈裟な溜め息をつき、世界は終わりだ、そんな空気を背負いながら首を振り、白い手の平に端正な顔をがっくりと埋めた。
「ナルミ、おまえがいくらノータリンだからといって、そこまでとは思わなかった! 僕は今、非常に悲しい。いや、諦めを知った、絶望を知ったと言うべきであろうか。僕が必死で君にフランス語を教えていたのは無駄だったのか? 『おせっかいは時に危険である』、そういうことなのか!? おお、偉大なるゥゲフォァッ!」
「うるせえ! いくらオレがフランスに慣れたって、運転できねえもんはできねえよ!」
息巻く鳴海の肩が突然、がしっと掴まれた。
皺だらけの指が運転席のドアをがちゃりと開けて鮮やかに黒いヒールが背中を蹴り飛ばし、気付けば鳴海は小さな車の中に転がり込まされてしまっていた。
「うわっ! ちょっ……、ばあちゃん、なにすんだよ!」
大きな図体を必死で立てなおしながら外に向かって鳴海が抗議する。
窓越しにフン、と鼻を鳴らして、ルシールは当たり前のように後ろの座席に乗り込んできた。
「往生際の悪い男だね、やってみなきゃ始まらないじゃないか。それでも『最後のしろがね』かい? あああ、最近の若い者は、全く臆病だよ。」
「いや、そういう問題じゃってギイ、何助手席乗ってんだ! てめえが運転しろよ!」
「大丈夫だよナルミ。すぐに慣れるさ」
シートベルトまでつけながらギイは(不気味なほど)にっこりと鳴海に笑いかけた。
正直その笑顔が不気味で鳴海は彼から離れるように窓際へさっと寄る。
2メートル近い身長に鍛え上げられた大きな身体では、あまり効果はなかったが。
「……だ、だいたいよ、不法入国なんだろ、オレ。そんで無免で運転なんてしてたら掴まったりしねえか……?」
「大丈夫だよナルミ。僕らは"しろがね"なんだからな。学習能力がないな。」
さりげなく失礼な一言を語尾に付け足して無責任に請け合うギイを止めるどころか、ルシールもナルミの背中越しに余裕の笑い声をぶつけてくる。
「そうさ、ホホホ。あまり気におしでないよ。」
「気にって、あのなァ! 大体俺達だけが事故起こすんならまだしも、人巻き込んじゃったらどうすんだよ!?」
「大丈夫だよナルミ。おまえがそんな高度な事故を起こせるわけがないだろう。」
全く根拠のないことを言って、ギイは患者の肩を無表情のまま叩いた。
「さあ、運転したまえ。」
無言の圧力と背中のプレッシャーが十八歳日本人の逃げ場を塞ぎ、鳴海はやっぱりオレ日本に返してもらえば良かったなァと、一瞬心の底から後悔したのであった。

index