古手梨花と秋の空

ずいぶん、日が短くなった。
お気に入りの窓辺から、カラスの影が夕暮れを横切っていく。雛見沢は、彼岸を過ぎると一気に朝晩の気温が下がるので、先週からコタツを出しているのだった。
百年ぶりの………、雛見沢の秋。
だから、私はここでお料理の練習に勤しむ沙都子を見守りながら、まったりとコタツの番をしている。たどたどしくネギを刻む包丁の音を聞きながら、床からどのくらい冷気が立ち上ってくるかをこの身を捧げて実験しているところ。ごろごろごろごろ。あーこのお煎餅おいしいわー。
ごろ……、と。天井があるはずの視界に、影がかかっている。エプロン姿の親友が、仁王立ちで、ジト目で睨みつけてきている。
「梨ぃ花ぁあ~~~?」
「みー。沙都子、どうしたのですか?」
「どうしたもこうしたもありませんでしてよ! このところ、毎日毎日ごろごろしてばかり、まったくもうっ、だらしのない!」
ビシッ、とおたまを鼻先に突きつけられる。
「……寝る子は育つのですよ? ボクはもっともっと大きくなりたいので、横になるのもお仕事なのです。沙都子よりもナイスバディになってやるのです、にぱ~☆」
こんな風にして煽れば、「そっ、そんなのわかりませんでしてよー!」とかなんとかムキになる可愛い親友が見られるはず……だったのだが……あれ? 沙都子………その目は何よ…。
「気づいていないなら言わせていただきますけど……、梨花…、このところ、お胸どころかおなかがふくらんできてましてよ……?」
「み、…みー………ボクのおなかがぽんぽこたぬきさんになってしまうのですか………。それはイヤかもなのです……。」
背後に気配なく座っていた羽入が、ため息をつく。
「せっかく昭和58年の6月を乗り越えたのに。新しい世界が待っていると希望に満ち溢れていた夏休み前の梨花はどこに行きましたのですか。今の梨花は、……沙都子に家事を任せてごろごろしている背中が、…ちょっとだけ……鉄平に似ていますです…………」
「はああぁぁあああ?!」
そりゃあ最近気を抜いてたのは認める!! ええ認めよう!! でも、でもでも………言うに事欠いてこのあぅあぅ乳女なんて言った?! 沙都子を世界一愛している私に向かってその対極で這い回る自堕落暴力男と同一視するような暴言を吐くなんて天が許しても私が許すものかー!!!!
わかったわかった仕事をすればいいんでしょ仕事仕事!
「梨花ぁ。何を一人で騒いでらっしゃいますのー?」
「な……なんでもないのですよ、みー、にぱー…☆」
そうだ、放ったらかしにしていた古手本家のお掃除でもしようか。両親への興味を一切失って魔女気取りだった頃は、近づくのも厭わしかった家だけど。夏休みに交通事故にあって、……まあ一言でいえば反省したのだ。雪深くなると大掃除に行くこともできないので、今のうちに少し綺麗にしておこう。
ついでに冬支度に使えそうなものがあれば持ってくればいい。
◇
胸のすくような秋晴れだった。
こんな部活日和の放課後は、当然、校庭で大騒ぎ! と相場が決まっているんだが………、あいにく校庭にいる部活メンバーは沙都子だけだ。
魅音は受験勉強。どうかこうか交渉して週に数回は部活を開催してくれちゃいるが……マジで大丈夫なのか? 園崎家次期当主が留年だなんてシャレにならないぞ。
レナは、親父さんが季節の変わり目で風邪を引いてしまったらしい。昨日も今日も看病のため急いで帰ってしまった。つまり「宝探し」の線もナシだ。……仕方ないよなぁ。
梨花ちゃんは用事があるとかで、そそくさと帰っていった。
沙都子は、同い年の友人たちに混じって遊ぶことにしたらしい。……上級生とばかり一緒にいるっていうのも良くないしな。たまにはそういう時間があってもいいだろうさ。
………うーん…俺は、どうするかなぁ。
……よっし、秋の雛見沢観光とでもしゃれこむか!
家に荷物を置いてから、自転車を漕ぎ出す。
緩い坂道を勢いよくカーブすると、涼風が心地よく頬を撫でた。蜻蛉を追い抜き、すすきの穂とハイタッチ。彼方此方で稲刈り前の田んぼが陽射しを受けて黄金色に輝いている。一足早く稲刈りを終えた田んぼだけが深い焦げ茶色になり、山々は色づき始めている。
うーん、いいねえいいねえ、雛見沢の秋!!
せっかくなので、普段あまり行かない方向へ自転車を走らせる。
落ち葉焚きをしている爺さんの横を通り過ぎて角を曲がったところで、意外な出会いがあった。
小路の先にあるひときわ立派な古い家の庭で、ちょこんとしゃがみこんでいるのは……
「お~~い、梨花ちゃん!」
「みー! 圭一なのです!」
大きく手を振ると、嬉しそうに顔を輝かせて振り返してくれた。
「こんなところで会うなんてなぁ!」
「知らなかったのですか? ここはボクのおうちなのですよ。」
梨花ちゃんが沙都子と住むようになる前、両親と暮らしていた家。……つまり古手家本宅ということだ。雛見沢は豪雪地帯なので、冬になると行き来もままならないらしい。
雪が降ったらとにかく早起きして雪かき! 主要道路には除雪車が入るらしいが、そこまではシャベルで自力で雪をどけていくんだとか。想像がつかないな……。
「そんなわけなので、今のうちにちょっとお掃除をしていたのです。」
「へえ、偉いもんだなあ! けど梨花ちゃん一人で掃除って……結構大変じゃないか? 梨花ちゃんさえよかったら、加勢するぜ。」
「ありがとうなのです。でも、今日は買い物当番なのでそろそろお片づけして帰ろうと思っていたのですよ。」
「じゃあ片づけだけでも手伝わせてくれ。……実は暇だったからさ、何かやることが欲しいんだよ。」
自白すると、梨花ちゃんもそれなら、と玄関前の箒と塵取りを横にどけて、引き戸をカラカラ開けてくれる。靴箱の横まで丁寧に掃き掃除したあとがある。
年下なのに、俺なんかよりずっと家事に手慣れているんだよなあ…。
だったら、俺は梨花ちゃんに足りないところを補えばいいだけだ。部活メンバーは力を合わせるほどに強くなる! それは例え、掃除といえども例外ではないッ!!
「よーし! 力仕事は任せろ!!」
「ファイト、おー☆ なのです!」
家具を元に戻したり、固くて開け閉めしにくい引き戸を動かしたり。梨花ちゃんは塵取りのゴミを袋にまとめたり、散らばった手紙や写真を揃えたり。日が傾くまでの短い時間、俺と梨花ちゃんはせっせと労働に勤しむのだった……。
◆
圭一が来てくれて、正直助かった。
合鍵を預けていた公由の家が、たまに風を通してくれていたらしい。だから、思ったより黴臭くはなかった。それでも隅には分厚い埃が溜まっていたし、掃き掃除のためにと次々ものを退けていったら、裏から失くしたと思ったおもちゃが出てきたり、棚の上に懐かしい写真を見つけたり。はっと我に返ると、台所と玄関だけしか掃除をしていないのに、戻すのが億劫なくらいぐちゃぐちゃになってしまっていたのだ。
くすくす。こういう体験、掃除をしたことある人なら、誰にだってあるわよね。……だから庭にいたのは、ただの現実逃避。
…我ながら情けない。ま、おかげで圭一に会えたわけだけど。
私は、古手家の古文書や怪しげな紙束をまとめて、台所の机に乗せていく。祭具殿や蔵にあったものなんかを、こっそり持ち出していたものだ。
隣で圭一が、私の散らかした写真立てのひとつを手に取って声をあげた。
「おっ。これが梨花ちゃんのお母さんか?」
「はい。お母さんなのです。隣がお父さんです。」
「へー! 梨花ちゃんはお母さん似かなぁ。きっと美人さんになるな!」
「もちろんですよ。手も足もすらりと伸びて、背は魅ぃよりも高くなるのです。ナイスバディな巫女さんの爆誕なのです。圭一だってメロメロでくらくらにしてやりますのです。……古手神社の巫女の予言は絶対なのですよ☆」
圭一は、最初はうんうんと頷いていたが、途中で首を傾げた。
「でもなぁ、魅音よりもナイスバディになるってのはどうかなあ? 俺は梨花ちゃんには梨花ちゃんなりの美しさってものがあると思うんだよ。確かに出るとこが出て引っ込むとこが引っ込んだスタイルは魅力的かもしれない、10人いれば9人は大好きなショートケーキみたいなものだよな。けどよ、飽食の時代が日本人のスタンダードになって久しい今、故郷を忘れかけた日本人の心が最後の最後に帰ってくるのは正月に食べるおしるこのしみじみとした懐かしい甘さなんだ…!!! つまりはセーラー服に身を包んだスレンダーな体型からチラッと見える鎖骨もまた捨てがたいっていうのかなああぁ!!!!」
「……圭一が何を言っているのか分からないのです。にぱ~☆」
………………つまり圭一が言いたいのはこういうこと?
古手梨花はたとえ成長しても控えめな体型になるだろうしそれがお似合いだぜってこと……?
……ふうん、…そう。圭一は。私を。そういう風に見ているわけね。この古手梨花を。
あと年下の女の子に何言ってんのよ。くすくすくす。ねえ圭一、古手神社の梨花ちゃまに対して今の暴言は無警戒過ぎるんじゃないかしら? 出るとこ出てもいいんだぞコラ。鬼ヶ淵死守同盟の魂見せたろか?
「……ところでさ、梨花ちゃんのそれは何だよ? お札みたいな……。」
「圭一は、コレが気になりますですか?」
私は、本の上に重ねておいた紙片を二枚、手に取った。くずし字の筆書きなので一見重要そうに見えるが、実は反古の裏に「〇〇年、秋の日記」みたいに見出しを書いただけの整理札みたいなものだ。……ほとんどゴミである。
……でも、うん。そうね。
私は今、圭一の無神経発言にちょっと……いや、かなり、ムカムカしている…。
いいよね? ……腹いせに少しくらい
「これは……古手家に古くから伝わる一対の呪符のようなものなのです。……雪深い里で、冬のあいだ遠く離れて過ごさなければならなかった、かわいそかわいそな婚約者同士のために、オヤシロ様が遣わしたありがたーいお札なのですよ。」
「……ふうん?」
あ、顔が疑ってる。圭一はなんでも顔に出るからわかりやすい。
まあこんな法螺話、すぐに信じるようだとそれはそれで心配だけど。
「想いあう少年少女が、一枚ずつお札を持ちますです。
額に貼りつけて布団に入ればあら不思議。
なんとなんと……、
夢の中で、未来の相手と現実のように会うことができるのですよ。成長したお互いの姿もわかるので、一石二鳥なのです! ぱちぱちぱちー。」
「な、……なんだってぇええ?! って、ことは、…えーと……?」
「だから、例えばボクと圭一が一枚ずつ持ってお布団に入って、おでこにお札を貼って眠ったら、成長した未来のボクと圭一が…、夢の中で……逢って…………」
よしよし、自分で言っててなかなか本当っぽいわ………、って、ちょっと待って何よこの設定?!
これじゃ私が圭一のこと………、……みたいじゃない!! ああぁバカバカバカ誰よこんな設定作ったの? ハイハイ私よね解散!! ちょっと誰よ人を呪わば穴二つなのです~あぅあぅあぅ☆なんて言ってるやつは?!
「……なんてこともあるかもしれませんですが、無用な争いを生みかねないので、落ち葉焚きにくべてしまうのです。」
「あ゛ーーーッ? 梨花ちゃんなんてことをおおぉおおお?!!」
「おお……、梨花ちゃまも焼き芋食べに来たんねえ。どんぞどんぞ、ほれ、前原の坊主も食ってけよぉ。」
慌てて追いかけてきた圭一に、隣のお爺さんが焼き芋を差し出した。パチパチと弾ける炎に食べられて、二枚の紙切れが灰になっていく。
そして、私と圭一は、有難くいただいた熱い焼き芋を、縁側で頬張る。
日が傾くと、途端に涼しい。
…………昭和58年の、秋の風。
「ちぇーっ。なーんか梨花ちゃんにまんまと手玉に取られただけのような気もするなぁ。末恐ろしい巫女さんだぜ……!」
「みー。圭一はオヤシロさまの巫女に感謝したほうがいいのですよ。もし、本当に夢を見ていたら……きっとボクに頭が上がらなくなっていたのです。部活でもここぞというときにドキドキして、負けてしまうに違いないのです。」
「おいおい」
苦笑いして見下ろしてくる圭一の頬に、黄金色の焼き芋がべたべたとくっついている。
背伸びをしないと届かないこの手も、あと数年もすれば、きっと。
「くすくす。焦ることなんかない。あと……5年もしたら、夢ではなく本物の古手梨花が、ちゃ~んと圭一を骨抜きにしてあげるんだから。」
めいっぱい伸ばした指の先で、金色の芋をすくいとって、ぱくり。
……うん、美味しい。
「……だからそれまで圭一は、首を長くして待っててくださいです。約束なのですよ☆」
高い秋空から、茜色の風が届く。私の長い髪も、掃き集めた落ち葉も、色づいた木々もさらさらと揺れた。
夕日が山肌を一色に染め、圭一の頬を照らしている。
……きっと、私の頬も照らされて、同じ色になっている。
この頬の熱さは、そう、……ただの夕焼け色なの。オヤシロさまの生まれ変わりの古手梨花がそうといったら、そうなのだ。
ああもう、照れ隠しなんかじゃないんだったら!
(了)