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ジャネットと子ネコの魔法
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ジャネットと子ネコの魔法

 

 キャット・チャントは礼拝のあいだじゅう、気が重かった。村人たちの視線とささやき声が気になってたまらなかったからだ。しかも今日は、「もうこの少年は悪さをしません」と司祭に見せつけるためなのか、特別にクレストマンシーの隣の席に座らされてしまった。緊張と眠気がかわるがわる襲ってきて、そのたび必死であくびを飲みこんでいたので、しまいには涙目になってしまった。ジャネットは来なくてよかった。でも、これからずっと留守番というわけにもいかないだろうな。
 キャットは、祈祷書を読むふりをしてあくびを押し殺し、今ごろジャネットはどうしているんだろう、と考えた。教会で魔法を使って騒ぎを起こしたグウェンドリンと、ジャネットは別人だってもうばれちゃったんだから、今日から教会に来たっていいはずなのに。
 城のみんなと教会の外に出ると、茂みのかげにネコの親子がいて、黄色い目でキャットをじーっと見つめていた。親ネコは黒と白と茶のぶちもようだが、子ネコは夜のように真っ黒だ。キャットが見返すと、子ネコはぱっと茂みから走り出た。うららかな秋の日に照らされた草地を横切って、別の茂みにザブっと飛びこむ。親ネコがのっそりと同じ道をたどる。佇んでいるキャットを、ミリーが呼んだ。
 キャットがクレストマンシー城に越してきてから、三度目の日曜日だった。

 最初の日曜日には、姉のグウェンドリンが一緒だった。そのころのキャットは、自分が九つの命をもつ大魔法使いであることも知らなかったし、グウェンドリンが勝手に自分の魔力を借りて使っているなんて夢にも思っていなかった。
 グウェンドリンはもういない。別世界からジャネットを身代わりに連れてくると、自分は別世界で女王様になってしまった。今でも、グウェンドリンのことを考えると、キャットの心はちくりと痛む。でも、同じくらいジャネットのことも心配だった。彼女が元の世界に戻れなくなったのは、キャットのせいでもあったからだ。

 ジャネットの部屋をのぞくと、鏡の前で見慣れないドレスを着て、大きなつばの帽子をかぶっていた。ベッドには絹やサテンのドレス、羽根帽子などがどっさり積まれている。
「ミリーが間に合わせにどうかって持ってきてくれたの。ほら、上等な服はグウェンドリンがそっくり持っていっちゃったでしょ。せっかく持ってきてもらったのに悪いけど、ねえ、これってすごくばかみたいじゃない?」ジャネットは、鏡に映ったキャットを振り返って、思いっきりしかめ面をした。
 思ったより元気そうだったので、キャットはほっとした。「似合ってると思うよ」おせじじゃない。ジャネットは顔立ちがきれいなので、広いつばの白い帽子も、薄水色のレースたっぷりのスカートも、間に合わせだなんて思えないほどよく似合っていた。
「こんなひらひらの格好で教会に行ったら、私グウェンドリンですって自己紹介してるみたいなものじゃない」ジャネットはむっつりと言い返して、帽子を放り投げた。肩にかかった金髪をすくようにひっぱって、もう一度鏡を睨む。「いっそ髪を短く切っちゃうのもありかもね。キャットとおそろいくらいの長さなんてどう?」
「えっ、シスターにでもなるつもり?」キャットはぎょっとした。
 ジャネットは、キャットをまじまじと見てから、少し泣きそうになった。「まさか、この世界じゃ、女の子って髪を短くしてもいけないの?」
「いけないかどうかはわからないけど……」キャットは言いよどんだ。これまで出会った人たちの中に、短い髪の女性はいなかったと思う。でも、ロンドンとか、外国の大きな街なら、もしかしたらジャネットの言うような女の人もいるかもしれない。「夕食のとき、クレストマンシーにきいてみる?」
「そりゃ、知ってるかもしれないけど」とジャネットは肩をすくめた。「あの人きっとこう言うわよ――『どこかに君と同じくらい短い髪の女の子もいるのか、って? ひょっとして君は女の子になりたいのかね、キャット?』――ね? 賭けてもいいわ!」
 ナイフとフォークを手にしたまま、礼儀正しく瞬きするところまでそっくりだったのでキャットは笑ってしまった。一方で、申し訳ない気持ちにもなった。
 ジャネットは人違いされるせいで、きっと今もいやな思いをしてるんだ。ジャネットはグウェンドリンとうりふたつだった。中身は全然似ていないのに。どうすればジャネットはジャネットなんだって、村人たちにわかってもらえるんだろう。

 

 キャットは一度自分の部屋に戻って着替えると、らせん階段を急いで降りた。城でこういう相談をするのなら、クレストマンシーよりもふさわしい人がいる。
 ミリーにすすめられたお茶は湯気が立っていて、ほんのり甘い香りがした。灰色の大きなネコが、日当たりのいい窓際で丸くなっている。ふさふさした尻尾の先だけが、ゆっくりとカーペットを叩いていた。
「そう、そうなのね。かわいそうなジャネット! やっぱり来週は一緒に教会に行きましょうね。大丈夫よ、ジャネットがとってもいい子だってことは、ちゃんと話せば誰にだってわかるもの」
「はい、でも……」来週までジャネットが悲しい気持ちでいるのはいやだな、と思った。今ならキャットも魔法が使える。何かできることがあればいいんだけど。
 ミリーは、とびきりやさしくキャットに笑いかけた。
「別の世界で暮らすことが、どんなに心細いのかは私もよく知っているつもりよ。それはもう、とびっきりの専門家ですからね。いい、キャット? ジャネットに必要なのは、まずはおいしいお茶を飲んで、ごはんを食べて、ようく眠ること。そうねえ、できれば夢中になれるものを見つけて、年の近いお友達と笑ったり泣いたりするといいわね。ねえキャット、大事なのはそこよ。誤解がとけるまで、まわりの私たちが、あの子の心に寄りそって、味方になってあげなけりゃならないの」
 ミリーは、膝に飛び乗りたがっていたネコをそっと抱き上げた。ネコはクリーム色をした絹のスカートにおしりをうずめると、顎をかいてもらいながら耳を倒してゴロゴロ鳴いている。 「そうそう、私が昔大好きだった本があるから、ジャネットに貸してあげましょう。たぶん探せばすぐに出てくるから、後で届けさせるわね。私があの子くらいの年ごろには、どんなに救われたかわからないの。少し古い本だけど、気に入ってもらえると思うわ……」
 ミリーはしゃべり続けている。ジャネットの好きなものってなんなのか知らないや。そういう話からしなくちゃいけないのかもしれない。
 キャットはていねいにお礼を言って、ジャネットの部屋へとかけ戻った。
 でも、ジャネットはもうそこにはいなかった。

「ジャネット来てない?」
 遊び部屋に顔を出したけれど、ロジャーもジュリアもジャネットを見かけていなかった。庭を歩いて木の上の小屋にいないか登ってみたけれど、そこにもいない。キャットの部屋にも戻ってみたが見つからない。
 人探しの魔法なんてあるのかわからないけど、試しにジャネットのところに連れていって、と念じてみた。でもうまくいかなかった。きっとやり方が悪いんだ。別の方法を試した方がよさそうだ……。
 ふと、そうした方がいいような気がして、キャットは窓から城の外をのぞいた。緑の芝生が日の光と風を受けて、ちらちらと輝いていた。違う、この窓じゃない。キャットの部屋には窓が三つある。順番にのぞいていくと、最後のひとつが正解だった。青空の下、村へ続く並木道を、金髪の女の子が歩いていくのがちらりと見える。ジャネットだ。
 キャットは、あの並木道まで連れていって、と心の中でとなえてみた。


 今度はうまくいった。瞬きする間もなく、キャットは並木道の真ん中に立っていた。
 ぐるりと見まわしてみたけれど、ジャネットの姿はない。騒がしい風がざあっと吹きすぎ、キャットの金髪をくしゃくしゃにした。キャットはそのまま小走りに並木道をくだっていき、村に入った。広場の村人たちは、ちょっと物珍しそうな視線をよこしたが、それだけだった。ジャネットはここにもいないようだ。ひょっとしたら村へむかってるんじゃなくて戻るところだったのかもしれない。行き違いになっちゃったのかな? どのみち、そんなに遠くには行っていないはずだ。
 そのとき思いもしない方向からジャネットの声がして、キャットはあわてて並木道にかけ戻った。
「キャット……キャット、こっちこっち!」
 門を通り抜けてすぐの樹上に、ジャネットがいた。金髪を葉っぱだらけにして枝にしがみつき、木の上から手をふっている。
 キャットはぽかんと口を開けた。
「そんなところで何やってるの?」
「キャットこそ! 村で買い物するのに一緒に来てほしかったのよ、なのにいくら探してもいないんだから。いったいどこに行ってたの?」
 ミリーの部屋で、きみのなぐさめかたを相談していたんだよ、なんていえない。
 キャットは「遊ぶんなら、もう少し枝の太いところにしないと危ないんじゃない?」ともっともらしく忠告するだけにした。
「ご心配ありがとう、でも遊んでるわけじゃないわよ」ジャネットは言い返した。「あの子が木から降りられなくなってるから、助けに来たんだけど手が届かなくって。ほらあそこ、見て!」
 なるほどジャネットの指さす、細い細い枝の先端ちかくに、真っ黒な子ネコがうずくまって震えていた。風が吹くたび枝が大きくしなって、怯えた子ネコはお月さまのような黄色い瞳をまんまるにしてニャーニャーと鳴いている。――確かに、ジャネットがこれ以上先に進んだり、もうすこし風が強まれば子ネコの乗っている細枝はあっさりぽきんと折れてしまいそうだ。
 ジャネットはハラハラと子ネコを見守っている。
 キャットには、こんなのはジャネットを見つけるよりもなぐさめるよりもずっと簡単なことに思えた。
「ぼくがやってみるよ」
 手を伸ばして、おいで、と語りかけるだけで、難しいことは全然なかった。次の瞬間、つやのある黒い毛並みは、キャットの腕にすっぽりおさまっていた。
 なにが起こったのかわからずに怯えているのだろう、子ネコの爪が食いこんでちょっと痛い。黒目がまんまるだ……怯えているのかもしれない。キャットはミリーの真似をして、あごをそっとくすぐってやった。すると子ネコは、黒くてつめたい小さなおでこを手のひらにこすりつけ、目を糸のように細めてゴロゴロと鳴きはじめた。普通のネコもかわいいけど、子ネコはすごく、すごくかわいい。
 ……夢中になっていたキャットは、頭に葉っぱがざざっと降りかかってくるまで、起こったことに気がつかなかった。子ネコがいなくなった反動と、不意に強く吹いた風で木が大きく揺れ、ジャネットのまたがっていた枝が、いきなり根元からボキッと折れたのだ。
 ジャネットが悲鳴をあげた。
 キャットはとっさに顔をあげて事態に気づいたが、遅すぎた。思わずぎゅっとネコを抱きかかえる。
 木の葉まみれのジャネットが枝ごと一緒くたになって、どしゃぶりのようにバサバサッとキャットの上に落ちて――

 ――こなかった。  頭上にいたはずのジャネットが、キャットの目の前にいた。髪の毛からスカートまで全身が葉っぱまみれだ。またがった枝にしっかりとつかまったままキャットを見つめ、目をぱちぱちしている。魔女ごっこでもしているように見える。
 二人はしばし目を合わせたあと、いつの間にか横に立っていた背の高い男の人を、同時にバッと見上げた。
 クレストマンシーだ。
 とびきり上等でなめらかな枯葉色のスーツ姿で、ステッキを手にしている。ちりひとつない服装のクレストマンシーにじっと見つめられて、キャットはどぎまぎした。ネコを助けるために魔法を使ったのがばれてないといいんだけど。まあ、ばれてるだろうな。
 ジャネットがあわてて、枝を放り捨ててくっついた葉っぱを両手で払った。キャットもそうしたかったが、子ネコを抱いたままでは無理だった。
「あ……ありがとうございます。助けてくれて」
「それにキャットと、子ネコのことも」
 急きこんで二人が言うと、クレストマンシーは鷹揚に手を振った。
「いや、たまたま通りがかってよかったよ。ただ、このあたりには木のぼり遊びをするのにもっとふさわしい木があると思うね」
 いやみのひとつも覚悟していたので、キャットは思わずまじまじと大魔法使いの整った顔を見返してしまった。腕の力が強かったのか、キャットの腕の中で子ネコが細く鳴いた。ジャネットがのぞきこむ。
「この子、お城のネコじゃないわよね。迷子かしら?」
「教会のネコだと思う。朝、礼拝のあとに親ネコを見たよ」
「へえ!」
 ジャネットの目が輝いた。
 クレストマンシーが、キャットの後ろ頭についていた木の葉をつまんで払った。
「ちょうどよかった。私は教会に用事があるんだ。いい機会だから君たちも来なさい。親ネコを探すついでに、司祭さんにもあいさつしようじゃないか」
 キャットは気が進まなかった。あの退屈な司祭の前で、「いい子」の顔ですましているなんて、午前中の礼拝だけでじゅうぶんだ。それに、自分だけならまだしも、ジャネットを連れたまま村を横切って教会に行くなんて……。
「あの、魔法でひょいっと母ネコをここに連れてくるわけにはいかないんですか?」
 クレストマンシーは意味ありげにキャットを見つめた。それからジャネットにちらりと視線を投げると、もう一度キャットの顔を見つめ、端正な黒眉をあげた。
「そうしてほしいのかね? 私が思うにこれは君が望んでいた、またとない機会だと思うがね」
 キャットは首をかしげてから、あっと声をあげた。
 そうか、ジャネットの誤解が少しでも解けるように、後見人のクレストマンシーがジャネットのことを説明してくれるんだ!
「キャットも一緒に来てくれる?」
 不安そうにささやいてきたジャネットに、キャットはうなずいた。大魔法使いだとわかったとたん、魔法でなんでもできる気になっていた自分に気づいて恥ずかしくなった。ミリーの言うとおりだ。一緒に行って、あいさつするなんて、普通のことを最初にするべきだったんだ。
 そして思い出した。ジャネットの好きなものなら、もう、ひとつ知っていたんだ。前に城の庭園で、ジャネットが言っていたじゃないか。

――私ね、キャットって名前がつくものはみんな大好きなの!

「子ネコはジャネットが抱いていきなよ」
 キャットは、ジャネットに黒い子ネコを渡した。ジャネットもまんまるな黄色の瞳を見つめて、すごくかわいいと思ったようだ。口もとがほころんで、とてもやさしい顔になった。うん、子ネコを抱いていれば、キャットの魔法なんかよりずっと効果的に違いない。
 ジャネットの腕の中で、子ネコの瞳が夜の三日月みたいに細くなった。青空には雲が流れ、秋の風が吹く。ニャア、と鳴いて身をすりよせる、かわいらしい子ネコを抱いて、キャットとジャネットはクレストマンシーの後についていった。



(『ジャネットと子猫の魔法』/了)

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10周年記念リクエスト企画の『キャットとジャネットとクレストマンシーとミリーが全員出てくるお話』というお題で書かせていただいたものです。(リクエストは、カラモリさんからいただきました。ありがとうございました!)DWJ作品では、クレストマンシーシリーズが一番好きです!