星に嘆きを月に祈りを

――何で、こんなことになってしまったのだろう。

 あんずも斑も、きっと同じことを思っていた。
 鉄錆の匂いがして、脇腹が生暖かい液体で濡れていて、傷口にはあんずの鞄にあったタオルが押し当てられている。働きものの小さな手が袖まで赤く濡れていて、斑はそのことをいくど目かに謝ったはずだった。
 空に散りばめられた星は、美しい。白く青く瞬いて、細い月が地平線に沈んでからはよりいっそう輝いている。永遠の月は呼吸もままならない闇の宙にいて、見上げることすら叶わない。

「……君は知らないだろうが、このくらいの傷じゃ、人は死なない。だから泣くな、あんずさん」
「泣いてません」
「ほっほう」

 悪戯っぽく目尻をつつくと濡れている。我ながら不謹慎だ。あんずが傷口を圧迫する手を強くしたので、情けなくも呻いて謝った。

「本当に平気だからなあ。強がりじゃない。何もかもが手からこぼれ落ちてしまっても、胸を張って俺のものなんて嘯けるのは、このデカくて強い身体一つだ。それだけなんだよなあ」
「そんな、」
「いや。他に、俺だけのものなんて、ずっとなかった」

 友達も、家族も、大好きなひとを土壇場で救うかっこいいヒーローも。
 ほしいものの『一番』は、いつだって自分じゃない。

 夜空はどこまでも続く。薄汚れた大地に座りこんで見上げる遠い星々の世界も、果てなく広がり、汚れきった彼を拒んでいる。

「ああ、でも――君が与えてくれた『相棒』、こはくさんだけは唯一の『本物』だった。そのことには感謝している」

 あんずが顔を歪めた。
 怒った顔もかわいいだなんて、余計に怒らせてしまうから言えないけれど。

「レオさんに失礼ですよ」
「うん。あの子は俺を好きだと言ってくれる、親友と呼んでくれる。でもあの子は、――神さまなんていないし、信じたいとも思わないが――天上のものだ。音楽の神さまのものだ、誰かのものにはならない。俺のものにも、しちゃいけないなあ」

 ……本当にたいした傷ではないし、命に関わる出血量でもない、それでも命の源があふれ出てしまったせいか、隠したかった本音が白い吐息とともに漏れている。
 あまり良くない。傷の具合ではなくて、もっと、致命的な魂の守りみたいなものが、生命をつなぐために、例えば有酸素運動で脂肪が燃えるみたいに、溶けはじめている。

「レオさんだけの話じゃないです、あなたを、みんな」
「でも。星に願いをかけるように、叶わないことを口にするだけでも許されるのなら――」

「俺は、君がほしい」

 目を瞑る。
 頬を、夜風が撫でた。

「ははは。……なあんてな」
「いいですよ」
「…………」

 斑は刹那瞠目し、身を強張らせ、嘆息した。

「……俺は、君のそういうところが心配だぞお」
「心配しすぎです」

 あんずは拗ねたように言い、ブラウスの袖口へ目を落とす。

「いいですよ。いくらでも」

 星灯りだけでは赤も黒もほとんど見分けなどつかない。
 はっきり見て取れる事象といえば、斑の血で袖口がもはや白くはないこと、それから、あんずが己の肩に額を預けてきたこと。夜空には彼を見守る月がなく、無限の星空が光り輝いているということ。

『骨董綺譚』で気が狂って概念だけで書きました。