時限式タイムカプセル

「概要は以上です、ご質問は」
『特にはないぞお! 拍手喝采! いつもながらに簡潔明瞭な説明でママは感心しています! あんずさんの成長は止まることを知らないなあ、ママがご褒美に高い高いをしてあげよう……☆』

 映像がガクガクと上下に揺れて、戻った。オンライン通話の通信アンテナ数が一本減って、増えて、減る。部屋着カーディガンの小さな毛玉を取りながら画像のブレが収まるのを待つ。

「カメラが壊れますよ」
『これくらいじゃ壊れたりしないぞお。通信は急に切れるかもしれないが! ご愛嬌!』
「……」
『あんずさんはもの静かな子だが。ちょっとくらいは反応してほしいなあ?』

 小さく頷く。こちらの融通の利かなさに呆れたのか、形のいい眉毛が八の字に下がった。音割れ気味に、手拍子。

『ともあれ、俺向きの仕事で腕が鳴るなあ。幸い今回の特集スポーツはどれもひととおり経験があるし、楽しみだぞお♪』
「ひととおり」
『おっ。あんずさんも興味があったりするのかあ?』

 あるといえば、ある。
 今、打ち合わせ中の三毛縞さんのお仕事は、ラジオ番組のゲストだ。特集は【今、忙しい女性に人気急上昇! 気軽にできるエクササイズ】。自宅でできる筋トレから、空手やキックボクシングのようなスポーツまで。最近は忙しさにかまけてトレーニングルームから足が遠のいているので、興味ならばとてもある。

『教えてほしいって顔に出てるなあ……』
「教えてあげたい、って顔に出てますよ」
『よおし。帰国したらさっそくトレーニングをつけてあげよう!』
「はい」

 帰国、する気なんかないくせに。
 喉から出かかった言葉を押さえて、よろしくお願いします、の代わりに頭を下げた。

「では次回は、スタッフさんを交えて」
『ああ、候補日が決まったら教えてほしい』

 区切りがつくと、私は壁を、三毛縞さんは手首を見た。頃合いだ。

『えらく早起きをさせてしまったなあ』
「大丈夫です。こちらこそ、打ち合わせが夜になってしまってすみません』
『そこはお互い様だろう。謝ることじゃない。あんずさんが無理をしていないならいいんだ』

 海を越えて空を越えて、映像を送る技術の進歩が、変わらぬ労わりをあまりにも鮮明に伝えてくる。

「おやすみなさい。三毛縞さん」
『……ああ。おやすみ』

 カメラをオフにし、会議ソフトを終了する。ペットボトルの底にたまった水を飲み干し、椅子を引いた。ワンルームアパートのカーテンに手をかけ、レールを滑らせながら目を細める。東南向きの窓は日当たりがいい。
 爽やかな朝焼けだ。海の向こうは、晴れているだろうか。おやすみもおはようも、もうずっとずっと違う時間だ。昨日の国にいる。
 ベランダに小鳥が来ていた。かわいいのに、身じろぎすれば警戒して飛び立ってしまうだろうから動けない。表向きはまた話すようになっても、そんなふうに、ガラス越しの小鳥みたいに見守られている気がする。

 国際電話の掛け方を、もう調べなくても知っている。目まぐるしく変わる国番号。そのいくつかはもう、忘れない。コール音は3つ待たずにすぐ切れた。

『ママだよお! どうしたあ、あんずさん! 何か伝え忘れたことでもあるのかあ? おっと、ビデオ通話じゃないから頷くだけじゃわからないぞお。返事をするように!』

 伸びやかな声が耳朶をくすぐる。
 わたしはどんな瞳をしているだろう。スマホ片手に窓ガラスをコツ、と叩く。ベランダの小鳥が羽音を響かせ、朝空に溶けた。飛行機の音。遠くに一線の白。

「さっきの……スポーツのことなんですけど」
『うんうん』
「教えてくれる、って」
『言ったなあ!』
「いつですか」

 わずかな沈黙、のあとに静かになる。

『はは。当分はその予定はないなあ。だがもちろん、君の困りごとならいつでも飛んでいこう』
「……いま」

 手の甲を目元に押しつける。熱い水分の摩擦。

「いま、困ってます」

 大切なものを砂に埋めて隠すなんて、犬みたい。いつか掘り返されてしまうのに。
 想いを、ちゃんと、野晒しにすればよかった。打たれて削られて風化して砂になって、跡形もなくなるまで、壊してしまうべきだった。ほんとうに忘れてしまいたかったら、そうすればよかった。埋めてしまったから、大人になっても忘れられないタイムカプセルにかたちを変えて、ふと見た朝焼けがきれいだったのに、同じ時間に見られないことくらいで、あっさりふたが開いてしまう。

「三毛縞さんが帰ってこないと……」
『帰ってこないと、なんだあ? 仕事ならオンラインでも』
「会いたくて、好きになります」

 空々しい笑い声が、止まった。
 耳を澄ます。
 海を越えて、電子機器越しの静かな呼吸音だけが、鳥の囀りに邪魔されてなお日本に届く。

「『プロデューサー』じゃなくなったら、約束を果たせないから。……困ってるから、すぐ、飛んできて」

 飛んでこないと、好きになりますよ。

 駄目押しの一言を伝えて、答えも聞かずに、通話終了ボタンを押す。
 肩越しのベランダには小鳥が舞い戻っていた。
 塩からい水を拭って、笑い出す。
 何年も前に、こうすればよかった。

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