馬鹿みたいだね、スーパースター
1 生き埋め宣戦布告
(ほんとだ、色が違う。……光は何て言ってたっけ。そうだ、キッシュみたい)
『彼女』は、腰の横、ゴツゴツした土の層に爪で触れた。石だらけの地層は土も粘土質で固い。土壁に沿って、人差し指の腹を上に滑らせる。少し崩れた土くれが膝掛けに落ちかかる。骨と皮ばかりの足首より上にあるのは、色の濃い、ふかふかした花壇の土。そこかしこから髭根が飛び出ている。小石だらけの土は体育会系の男子高校生でも掘り進めることは困難だったから、これ以上深い穴にはできなかった。
頭上には切り取られた青空が、揺れる花の隙間に見えた。
薄い土台の上に、栄養豊富な分厚い生地、花畑のトッピング。
友人曰く『キッシュみたい』な花畑の落とし穴に、華奢な少女は迷彩服で潜んでいる。
『彼女』は、同じ光景を、いつか小説で読んだことがある。病弱なヒロインが、犬を殺した犯人に報復するために、誰にも言わず大きな落とし穴を一人で掘って死にかける。穴の底から夜空を見上げるヒロインの述懐を、幾度も読んだ。まるで今日の日を予見していたかのように、幾度も幾度も。
差し込む光に照らされた膝掛けがまだらに明るい。穴底に敷いたタオルの、見慣れないスポーツ用メーカーのロゴも。友人からの借りものだ。
(このまま死んだら。あの子は泣くかな)
悪の娘も花びら一枚くらいの良心は持ち合わせている。腕に埋めた首を振る。
全身を取り巻く冷たさのなかで、頼りない肉体はとうに悲鳴を上げている。頭痛が酷い。寒気がおさまらない。地面のなかにいるだけでも、四肢の放つ熱が、植物の根に吸い取られて花を咲かす栄養になっているのかもしれないだなんて。思うととたんに腹が立つ。
「……死ぬもんか」
「ん~? 何か言った?」
さくさくさく、と駆け足の音が地面を伝う。果たして、茶色い髪の少年が顔をのぞかせた。花びらが数枚散って、少女の猫っ毛に降りかかる。
「何にも」
「そう? じゃあ気のせいってやつだぜ!」
ごまかしに気づいているのかいないのか、協力者の少年は明るく笑う。毛先が陽光に透ける。お日さまを遮った少年が、もうひとつのお日さまになる。
「機材の準備はできてる?」
「ばっちりだぜ! ねぇそこ寒くない? 見て見て! オレ、ホッカイロ持ってきたんだぜ☆」
「心配しすぎ。貰うけど」
「あっはは!」
朗らかな笑い声とともに、ホッカイロが降ってくる。受け止め、胸元に添え、握りこむ。僅かに、先ほどから止まらない身震いがおさまった気がした。
「三毛ちゃん先輩、本当に来るかなぁ」
「来るよ。大事な『神さま』のためならね」
……だって。少女が身を潜められるくらいの深さのぶんだけ、兄は『神さま』を愛しているから。
ごみ捨て場のガラクタを片付けて。無数の小石を取り除いて、土をふかふかに耕して。種を蒔いて、水を引いて。少女が膝を抱えて座り込み、花々が根を張れるくらいの穴の深さがそのまま、兄が『神さま』に向けた気の遠くなるような愛の体積だから。
釣り餌にすれば、必ず喰いつく。
「だから、予定通りだよ」
ぜんぶぜんぶ、吹っ飛ばしてあげる。
泣いて喚いて許しを乞えよ。
背中を踏んで笑ってやるから。
「思い知らせてやろう」
「……うん。頑張る」
決然とした声に瞑目し、耳を澄ます。深呼吸。感覚のない膝を折りたたむ。胸ポケットにホッカイロを押し込む。息苦しさを飲み込んで、身震いを押し込めて、上昇する悪熱に気づかないふりをする。
インカムに呼吸音が入らないようマイク位置を調整。膝掛け上に配置した地雷のリモコンに、力の入らない指を伸ばした。
頭上の丸い青空を、縦横無尽に舞い散る花びら。
地鳴りと共に降りかかる髭根と葉と土くれに、四肢が埋もれていく。
――生き埋め上等。
開戦の合図に、少女は唾を呑み込んだ。
2 きみは優しい
薄い月が沈むころ、面会終了直前に個室のドアをそっと開く。白い床に、規則正しい秒計の音だけが響いている。つながった管が痛々しい。カーテンの傍に歩み寄ったスポーツウェアの影が、身をかがめた。
少年は深く被った帽子を引き上げ、少女の名を呼ぶ。白い顔の少女は、気だるげに目を開ける。
「……どうだった?」
少女の声は酷く掠れている。咳のし過ぎで喉が裂けたと聞いている。
天満光はマスクを外しながら、ベッド脇の丸椅子に腰を落とす。
「それが結局、一度も勝てなかったんだぜ~……オレは現役で、三毛ちゃん先輩は本気じゃないのに。悔しいぜ」
「ふぅん。……じゃ、もう一度やろう」
光が帽子を取って、ベッド周りを眺め回す。……ぽた。……ぽた。一定のリズムで、点滴筒の透明な雫が混じりとろける。青白い頬を、蛍光灯が眩く照らす。
少女が入院したのは『企み』の翌朝すぐだ。斑からは第一報のみがあり、本人から光に連絡が来たのは三日後。それまでずっと音信不通だった。
「うん。元気になったら、また一緒にやろう? オレたちで、今度こそ三毛ちゃん先輩をギャフンと言わせてやるんだぜ」
「いいね」
「…………」
光が徐々に笑顔を消し、俯く。
「オレ、無理させちゃった? ……だって、入院って」
「だめ。謝ったら絶交」
「でも――」
カサついた目元が、ほんのわずかに緩む。
「……きみは優しいね。そんなに優しいと心配になる」
少女が不意に咳き込む。光が青ざめ、膝を折って肩をさする。兄譲りの長い睫毛は伏せられたまま緑の瞳を隠し、苦痛の涙を滲ませる。
ナースコールに次いで、長針が面会時間の終了を告げた。
3 馬鹿みたいだね、スーパースター
「うるさい! もう関わらないでよ。きみなんかどこまででも走ってっちゃえばいいの!」
「何で? 何で急にそんなこと言うの? わけわかんない!」
何度もかぶりを振る光の目が潤んでいる。八つ当たりだ。酷い八つ当たり。見舞いに来るのが今日も彼しかいないから、いちばん優しくていちばん愛されるべき人に言ってはいけないことをたくさん言ってしまうから、だから少女もそれ以上何も言えずに泣いてしまう。
「……っ」
「もう泣かないでほしいぜ。何したら笑ってくれる? 歌えばいい? 踊ればいい? 一緒にオレのライブ動画見る?」
「わかん、ない……、わかんないよ、わかんない」
「わかんないじゃわかんないぜ……泣かないで、オレまで悲しくなっちゃう」
啜り泣きがどちらともなく嗚咽になり、手を握り合ったまま、わんわんと幼児のように泣いて、泣いて、泣いた。
けれども泣き尽くしたあとにやけに冷静になる瞬間というのはあるもので、唐突に泣き止んで立ち上がって走り去る幼児のように、ふつり、と、二人同時に涙が引いた。
視線がかちあう。涙と鼻水まみれの顔で、瞬きをゆっくり同時に三回。
「不思議。『すっきり』した。……ただ誰かに、一緒に泣いて欲しかったのかも」
「オレもそうかも! わははは! 面白いぜ!」
「笑うな」
言葉と裏腹に少女も吹き出した。シーツの上で、指先同士が触れている。無邪気な少年には似つかわしくない、大人になりかかった、大きな手だ。
「……ほんと。悪人相手にお見舞いに来て。意味もないのに一緒に泣いて」
閉めたカーテンの隙間に、秋の夜風が吹きこんで、月の匂いが病室に沈む。
「馬鹿みたいだね、スーパースター」
瞳のふちから、残りの涙が一粒、零れ落ちて――影がかかり、一瞬、何も見えなくなった。頬に濡れた、生暖かい感触。
「……ぇ」
頬の雫を、ぺろ、と犬みたいに舐められていた。思わず見た先には、至近距離で大きな瞳。
「ぁ……」
「え。……あ。あれ?」
光は――ぽかんとしたあと、首を傾げて己の位置を確認し、少女の驚愕を受け止めて、見る見るうろたえた。
「え? あれ!? えっと、えっと。宝石みたいで綺麗だぜって……思って! えっ何で? オ、オレ、友ちゃんにも創ちゃんにもよく叱られるんだぜ。ひととのキョリとか……えっと、なんか宇宙みたいなやつ、」
「……パーソナルスペース?」
「それ! それが変みたいなんだぜ! だから、ごめん! ……何でこんなことしちゃったかわかんない」
光が口元をむにゃむにゃとさせ、手の甲で擦るようにした。
心なしか頭を下げた耳が赤くて、伝染性の火照りがおさまらない。
「ごめん。女の子には絶対しちゃいけないことだった気がするぜ」
「それ以前に、アイドルがしちゃいけないと思う、けど」
「うん。わかってたのに。……なんでだろ、オレ、本当に悪い子になっちゃったのかもしれないぜ」
少女は、震える息を吸って、吐いてを繰り返し、思い出したように目元を拭って顔を拭き、鼻をかみ、もう一度深呼吸をし、えふんえふんと威厳ある咳払いをした。
悪の女はこんなことで無様に照れたりなどしない。
「ふ、ふん。相手があたしで良かったじゃない。あたしは気にしない。スーパースターは良い子にも悪い子にもなれるんだから、役の幅が広がっていいじゃない」
「そういう問題じゃないと思うぜ」
「話は戻るけど。ほんとに、もういいよ。次はもっと凶悪なやつにするし、兄が許せないこともするよ。光はさ、足が速いんだから、兄貴なんかあっという間に追い越してさ。ずっと先まで走っていきなよ。悪い友達のことなんか忘れちゃえ」
「そんなことしないぜ! もしダッシュで先に行っちゃっても、その時は、見つけたものを見せびらかしに戻ってくるぜ! 逃げるときはオレがおんぶしてあげるから一緒に逃げよう! オレは世界最速だから大丈夫っ!」
「……ほんと、馬鹿みたいだね」
きみも、あたしも。
素っ気ない声と裏腹に、少女は破顔する。
4 世界を一周したのなら あなたのいるそこはもう明日
『企画書』に目を通した光は、何度も瞬きをする。
新作案は、どうやら想像を絶するものだったらしい。確かにやや凶悪にしすぎたきらいはあるが、失礼千万だ。あくまで叩き台なので実際はもっと現実に即したものにする。
「これ、オレもやるの?」
「いいよ、やりたくないなら。やめよう」
口をついたのは拒絶の言葉だった。リクライニングベッドで身を起こした少女が、オーストラリア土産の凶悪カンガルーのぬいぐるみを受け取って、お礼代わりに渡したのが『企画書』だ。
「『三毛縞斑に返礼祭のことを反省させる』。光はもう、いちばんの目的は達成したんだ。なら、もう降りていいよ。あたし一人でやるから」
「え〜!? オレばっかり気が済んでも、それだけじゃ駄目なんだぜ。お兄さんにギャフンと言わせるんならオレも手伝うぜ。ギブアンドテイクってやつ! たくさん助けてもらったんだから、今度はオレの番!」
「だから。もともと、こっちの目的に利用してただけ。そういう善意はいらないの」
「またすぐそういうこと言う。そういうとこ、たまに三毛ちゃん先輩にそっくりだぜ!」
「……ッ!」
凶悪カンガルーが光に投げつけられる。といっても華奢で非力な彼女の投擲パゥアなど知れたものであり光は難なくキャッチしてしまう。
「オレは利用なんてされてないぜ。それにこの計画、一人じゃできないぜ?」
「できるように練り直す」
少女はそっぽを向いた。
「え〜。オレは一緒にやりたい」
「いらない」
「そういえば、【ハイアンドロー】の配信日決まったんだぜ!」
「いつ?」
「メッセで送った!」
「嘘。見てない」
「~♪~♪」
ハミングしながら凶悪カンガルーのぬいぐるみを少女に渡すと、端末を忙しく操作しながら少女はそれをぎゅうと抱いた。少年がそれを覗きこんで、お日さまみたいに笑った。
(了)