彼の愛称

「老けたな」
路上の石が蹴られて足を掠り、雑踏に踏まれて消える。
ジンは笑みを深めて、人波にも揺られず立っていた。
目の前の大男が、妙に嬉しそうに(年甲斐もなく)目を細め、大きな口を横に広げる。
少年の方も、釣られたのか目を細めた。
「やっぱり老けたな」
「おう」
「クソジジイ」
にやりと言って、彼はビクトールの胸を拳で叩いた。
ほぼ同時に傷だらけの太い腕が少年の上に伸び、バンダナ付きの頭をかき乱す。
「バァカ、まだまだ爺さんって歳じゃねぇぞ!」
ひとしきり笑って、繁華街を通り抜け裏道の寂れた酒場を目指して歩く。
ジンは、手に持った棍を身体に寄せて、灰の空を見上げた。
雲行きがよくない。
一人で歩いていると空が友になりだすものだから、最近では天気の予想でも食べていけるのではないかと考え始めている。
……くだらない。
彼は、少年の顔で、老成した笑みを広げた。
隣を無言で歩く信頼すべき旧知の男に、視線を投げて、また逸らす。
あと何回で、墓相手に酒を飲むことになるだろうか。

考えないことだ。

いつあってもおかしくないことなら、考える必要など。
「ビクトール」
「あん?」
「訂正するよ」
ずた袋を背負いなおして、ジンは転がり込んだ石を蹴った。
まばらになりだした人の流れを眺めながら、呟く。
「……くそおやじ」
「……おい」
口をひん曲げる男を見上げて、彼は静かに、言った。
「老けてもいいから、まだ死ぬな」
そしてまた、正面を向く。 
嘆願も祈りも誓いも約束も、生きていく上では残酷に無視されえるものだと知っているけれども。
一人一人、周囲から消えていくたびに、飲み残した酒が土に滲みる。

「なんだなんだ、精神的に老けてるぞお、ジン!」
「うるさいよくそおやじ」
にやにやと笑う男に見えないように口元だけで笑み、固い腕を肘で打つ。
重い雲が湿った風を運び、袖裾を翻した。

おまえは父上ではないけれど。
今も昔も、ひとりの親父だ。

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この二人がほんとに好きで…。