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オフクロー!

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 クリスマスの近づく師走の夜空。
 年末進行の名の元に、24ブラックの活動がいよいよ激しくなる季節、オフクローは忙しい。
 それでも慣れたもので、毎晩確実に幹部たちを仕留めては、多くの構成員を帰路という名の正義の道に解き放つ日々が毎夜続いていた。

 しかし、この晩。
 予期せぬ邪魔の介入により、オフクローは敵を追い詰め損ねることとなった。

「『帰れない』? それはあなたの常識よ! 仕事に幸せを見出している人を、邪魔なんてさせやしない!」
「君はっ!? 悪いが、彼らを見過ごすわけにはいかない! 誰だか知らないが、どいてもらおうか!」

 黒いツインテールを夜風になびかせ、小柄な仮面の女性は――左腕を彼の行く手を遮るように目一杯伸ばして、名乗りをあげた。
 彼女を侮り、走り抜けようとしていたオフクローがたたらを踏む。

「我が名は、ジャンキーホワイト! 縁あって24に助太刀いたす!!」

 掲げた右手の五つの指に、いつ現れたのか揚げたてのオニオンリングが鋭く回転して攻撃準備を始めている。 思わぬ反撃に、オフクローは息を飲む!

「……ッ!? やめろ! 君が誰かは知らないが、私は組織員でない人と争うつもりはない!」
「問答無用! オニオン・チャクラム!!」
「くっ……!」

 鋭い回転!
 間一髪で避け、飛びすさったオフクローの三角巾に切れ目と油染みができる!

「仕方ない! 信条には反するが、多少の痛みは我慢してもらう! 食らえ、ニック・ジャガー!!」

 基本にして無敵の必殺技だが――

「ふん。こんなものっ!」

 ジャンキーホワイトは、片手で難なく受け流した。

「何だとっ!?」

 ニック・ジャガーが一切通用しない!

 オフクローが呆然としたその隙に、24の構成員たちは、国道を越え、視界の向こうへ逃げ去ってしまう。事態に気づいた時にはもう手遅れだった。オフクローは白木の菜箸を持ったまま、最後のあがきに手を伸ばす。

「ま、待て!」
「もう無駄よ! 技の破れたあなたでは追いつけやしない! あっははははは!!」

 勝ち誇った笑い声が冬の夜空にこだまする。
 連日連戦の疲れに膝を折るオフクローをあざ笑うかのように彼女は高く後方に飛び上がり、街灯の上に片足で立つ。緑のリボンが灯に一瞬ひらめいた。

「くっ……!? 君は何者なんだ! なぜ私の技が効かない! どうして邪魔をするんだ!」
「質問の多い男は、嫌われる……」

冬空に消えゆく数瞬前。くすりと。悪魔の笑みを赤い唇が形作った。

「誰もがおふくろの味にやられると思ったら大間違いよ。次もせいぜい負ける覚悟をしておくことね、オフクロー」
「ジャンキーホワイト……いったい何者なんだ……」

 初の敗北にただただ驚くばかりのオフクローは、彼女の去った天を仰いで立ち尽くしていた。

 

オフクロー! / 第3話

 クリスマスイブ。どこか浮かれた雰囲気の漂う、県立おこげ学園高等部の放課後である。
 体育館への通路は裏門への近道なので、帰宅途中に通る生徒はかなり多い。家の手伝いのため、いつもの通り助っ人の誘いを断り終えた料馬は、校舎の影をポツンと歩く二つ結びの黒髪を見つけた。白緑 亜緒である。

「亜緒ちゃんはカニクリームコロッケが好きなの?」

 亜緒が勢いよく振り返る。まんまるく見開かれた瞳に、料馬もしばし面食らった。苦笑して、

「毎日買って行ってくれてるだろ。ご贔屓にありがとうございます」

 手を上げてにんまりとする。亜緒は、名前で呼ばれた困惑もあり、斜め下の柱に視線を落とした。

「別に……帰り道にあるだけだから」
「そうなのか? ま、いっか。じゃ、またうちの店でな!」

 亜緒は、軽快に走り去る背中を見つめていた。体育館通路の空気は冷たい。スカートがそよぐ。

「……そう、だよ」

 呟いた声は中庭の土にぽとりと落ちて、誰にも届かなかった。

 その晩。
 またも忍び寄る悪の気配に、コージン様が騒ぎ立て、今宵も料馬はオフクローへとその身を変えた。

「割烹慈母神・オフクロー! ほいじゃ、ちょっくら行ってきます!」

 いつも通りの名乗りを上げながらも、かすかに顔に陰りがある。心の片隅に、昨晩現れた謎の女が引っ掛かっているのだ。
 まさに飛び立とうと身を沈めたその瞬間、勝手口から小柄な影がぬっと出た。

「待ちな!!」
「!? お、おふくろっ!」

 料馬を呼び止めたのは、はたして先代オフクローの芳江だった。
 腕を組み、息子、いや次代のオフクローを睨みあげる。

「……コージン様に聞いたよ。昨晩は、ジャンキーホワイトとかいう女の子に、無様にぼろ負けしたそうじゃないか」
「えっ、ちょ、なんで知って……! コージくん!」

 コージン様を思わず睨むが、炎は揺らめくばかりである。母は、バッと手を広げて、息子の視界を遮った。

「いいかい。今夜もどうせ、彼女は出るよ。そして今の未熟なあんたじゃ、そのジャンキーホワイトって子には、おそらく勝てない。張り合っても負けるだけさ」
「なんだって? どうしてそんなことが分かるんだ!」
「長年の経験からくる、『勘』さ。それでも、どうしてもというのなら……ひとつだけ、方法がある。今夜限りの方法がね」

 辰巳家遺伝の笑い方で、母はニヤリと口の端を上げた。

 オフィスビルの隙間にささやかに存在する、小さな緑地。昼休みはOLたちの憩いの場ともなるその公園で、オフクローとジャンキーホワイトは激しい戦闘を繰り広げていた。
 ちらほらと雪が降りだし、お互いの弾む息は白い。
 どこかで、クリスマスパーティーでもしているのだろうか? 遠くで、朗らかな鐘が鳴り響いている。さながら二人の運命を決する、裁きの鐘のように…!

「ぐぅっ……! くそ、これならどうだ!! オール・グリン・ピース!!」
「効かないって言っているでしょっ!」

 オフクロー渾身の攻撃が、またも容易く弾かれる。しかし、ジャンキーホワイト自身も慣れない戦闘のせいだろうか、既に体力の限界のようであった。だが、それでも不敵に笑ってみせるところが、彼女の強さであろう。

「いい加減に諦めたらどう? おまえの攻撃は、あたしに通用しないのよ!」
「く、くそっ!」

 悔しがるふりをしながらも、オフクローは、慎重に彼女の隙を窺っていた。今彼が習得している攻撃は、ことごとく通用していない。
 ――それでも。母に託された奥の手、これがある。信じがたいが、もはやその「奥の手」以外に手はないところまで追い詰められていた。
 彼女の疲労はもはやピーク。繰り出すならば今しかない!

「さあさあ、さあさあ! 負けましたと言いなさい! もう、働く人たちをあなたの都合で左右するような、そんな正義気取りはやめなさいッ!」
「断る! 身を粉にして働く姿は、確かに尊い! だがそれは同時に、けして強制されるべきものではないんだ! その影にある涙を、悲しみを、報われない忍耐をッ!! 俺は見過ごすわけには、いかないっ!!」

 オフクローは!雪空に向けて、力いっぱい手を掲げる!!
 その手の先に、光るはほのかな蝋燭の灯。ポッポッポ…と、弾けるような音を立て、円周上に灯った24本の蝋燭が、雪風に負けず急速回転し始める……!

「雪の日の、今宵限りの奥の手だ!」

 にまりと笑うオフクローの手には、真っ白なデコレーションクリームと贅沢に苺をあしらった、サンタの砂糖菓子が乗ったもの!
 そう! クリスマスケーキだ!!

「食らえッ! クリスマス・ケーキ・シュガークラアアアアアアアアアッシュ!!」
「ふん、手作りケーキとでも言うつもり!? そんなもの効くはずが……!? きゃああああッ!!」

 予想外のダメージに、ジャンキーホワイトが弾け飛ぶ。

「なっ、なぜっ!?」
「そのケーキをよく見ろ、ジャンキーホワイト」
「えっ? はっ……!!」

 ぺろりと、頬についたクリームを手の甲ですくい、舐めとると――ジャンキーホワイトは驚愕に眼を見開いた。

「こ……これは手作りケーキじゃない!ケーキ屋さんのケーキでもない! どこにでも…それこそコンビニにでも置いてある、メーカーの、量産型のホールケーキに、サンタの飾りを置いただけのものじゃない! これのどこが、『おふくろ』のクリスマスケーキだッていうの!?」

 立ち上がろうとして、ガクリと膝を折る。回復できない彼女の前に、足音を立てて、割烹着姿が近づいていく。

「……さすがだな。その通り、遅くまでやっているコンビニのケーキだよ。ジャンキーホワイト」
「なっ…おまえにはオフクローとしてのプライドはないのっ!? こんなの『おふくろの味』じゃない!」
「そんなものは関係ない。君は、何か勘違いをしているよ。手作りが『おふくろの味』だなんて、決まっているわけじゃないのさ」

 ちらつく雪が、肩に乗る。その冷たさにか、別の理由か、ジャンキーホワイトの肩が震えた。

「クリスマスとは、想い出だ。例えクリスマスケーキを手作りする暇もないほど忙しい親でも、クリスマスに何かを用意してやりたいと子どもを想い、精一杯準備したものなら。 出来合いのケーキでも、フライドチキンのパックでも、例えコンビニのお菓子でも!! それは『おふくろの味』なんだ! 君にも、そういう想い出があった。だから、攻撃が効いたんだ」
「そ、そんな屁理屈……っ!」

 わなわなと震えるしなやかな指先を、伸びた白木の菜箸が打ち付ける! 初めての有効な攻撃に、彼女の武器、オニオンリングが消滅した。

「あっ…!」
「今日こそ正体を明かしてもらうぞ。ジャンキーホワイト!」

 ジャンキーホワイトは慌てて欠けた仮面を腕で隠し、最後の力を振り絞って飛び退った。
 割れた仮面の奥には気のせいか、見知った顔が……!
 硬直したオフクローから、さらに大きく距離をとり。大きくかぶりを振って、悪の衣服をまとった少女が絶叫する。

「うるさいうるさいうるさい! 『おふくろの味』なんていらない! 手作り料理なんか大っきらい!! あたしには、パパがいればそれで十分なんだものっ!!」
「ジャンキーホワイト……君は、まさか」
「……今夜は負けを認めてあげる。でも、その傲慢を忘れないで」

 一度、しゃくりあげるように肩を上下させ。仮面を腕で隠したまま、ジャンキーホワイトは遥か雪の向こうに走り去っていく。

「ジャンキーホワイト!!」

 呼ぶ声は雪に消されて届かない。ホワイトクリスマスに沸く街の片隅で、彼は小さな背中の消え去った場所をただ、見つめていた。

 翌日。
 クリスマス当日は、昨日からの雪が降り続き、電車が止まるとのニュースがあったせいか、客は驚くほど少なかった。
 そんな時間にも、僅かながらいつもの通りやってくる客はいて、白緑 亜緒もその中の一人だった。
 閉店間際、火を落とそうかという時間帯に、傘をさしては訪れる。最後の客に彼女を見つけ、玲実がニコニコと料馬のことを呼びに来た。

「ね、料馬ちゃん。お客さんもいないし、ク・リ・ス・マ・ス・だ・し~☆ もう閉店だからさ。ちょっとお話してきたら?」
「レミ姉その口調やめて」

料馬は半眼でいとこを押しのけた。
カウンタ前には、雪に降られた亜緒が、ぽつんと一人立っている。

「……あの、もう帰るし。いいから」
「そうだな。せっかくだから、おいでよ亜緒ちゃん」

 遠慮する彼女に構わず持ち帰り用の店を閉めて勝手口に回り、裏口から出た。
 今年初めの本格的な雪は、音もなく振り続いている。彼女を庇の下に招き入れると、よく見ればフライドチキンのパックを抱えていた。亜緒は帰りたいのに玲実の手前断り切れなかったのが不満らしく、ぶすくれていた。料馬はそんな彼女を腕を組んだままでただ見ている。

「……何見てんのよ」

 睨まれた。

「それ、パーティー用のパックだろ。家族とクリスマス?」
「帰っても誰もいないし」
「じゃあ友達と?」

亜緒がキッとなって振り返る。

「一人よ、ひ・と・り。悪い!?」

かち合った視線に軽く赤面し、こほんと二つ結びの毛先を跳ねさせ、咳払い。

「い、いいの。構わないでよね。……どうせ、またすぐに転校するかもしれないし、この街にずっといるわけじゃないんだから。友達なんて邪魔なのよ」
「そうなのか?」
「パパの仕事はいつも急なの。世界中日本中、あっちこっち。うちに帰ってこないことだって多いし……佐原君にも言っておいてよね。あたしの食生活に文句は言わないで。そりゃ、ジャンクフードばっかりが良いって思ってるわけじゃないけど。これまでだって死ななかったもの」

 料馬は、高い位置から彼女を見下ろし苦笑した。
 見上げるのと見下ろすのでは、だいぶ印象が変わるものだ。

「なあ、亜緒ちゃん」
「ん?」
「さっき前にいたガキもさ。よく亜緒ちゃんの後に時間ぎりぎりにやってきて、いっぱい持って帰ってくれる工場の兄ちゃんもさ。この先、皆がずっとこの街にいるわけじゃないじゃん? 俺だって、定食屋を継ぎたいとは思ってるけどさ。潰れちゃったり、気が変わって進学するかもしれないだろ」

 訝しげに眉をひそめた亜緒に、料馬が照れたように笑う。

「ずっとここにいるわけじゃないのは、亜緒ちゃんだけじゃないんだよ。でもな、帰ってきて、このコロッケ食べたら、帰ってきたなーって思ってもらえるようになるのが夢なんだ!」

 開けっ広げな笑顔に、僅かに目を見開いてから。
 亜緒はふうん。と呟いて、先ほど買ったばかりのコロッケに視線を落とした。

「辰巳くんは、この街の人の、おふくろさんになりたいの?」
「あはは、鋭いな。実はそうなんだ」

 ある意味では、既にそうなのだ。
 辰巳 料馬は笑ってみせる。彼女に正体を知られていようがいまいが、この事実だけは変わらない。

「……そ。せいぜい頑張ってね、「オフクロ」さん」
「ああ! ……でさ。どうせ一人なら。よかったら、うちでクリスマスケーキ、食べていかないか? うちはみんな仕事で忙しいからさ、コンビニの売れ残りなんだけど、それでよければ」

 断ろうと口を開き掛けた彼女に、広げた掌を突きつけてにっこりと付け加える。

「――ああ、そうそう」

出動前の、いつもの顔でにまりと笑う。

「知ってるか、亜緒ちゃん。クリスマスケーキだけじゃない。最近じゃ手作りじゃない冷凍食品や惣菜も、おふくろの味って言うんだぜ…?」
「……! …――そう…。あなたの決意は分かったわ」

 満足げに口の端を広げる料馬を見返して、無表情だった白緑 亜緒は、意地悪そうに、それでも確かにくすりと笑った。
 肩の脇に上げた右手は大きく広げられ、何時の間にかフライドチキンのパーティーパックから取り出した円盤状のリングが五本指の上を高速で回転している。

「せっかくのクリスマスだものね。オニオンリングも一緒にいかが? きっと、油切れが良いと思うわよ」

 そう――オフクローとジャンキーホワイト。どちらが正義で、どちらが悪なのか。それは、勝敗がつくまで分からない。決まらない。

 この先も毎晩続く戦いの、素顔同士の初の対決。
 一触即発のクリスマスの夜が、始まろうとしていた。

第3話/完!

オフクロー!
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