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ブルー・マウンテンの所為

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 それから数日間、夏の終わりを告げるように、長い雨が降り続いた。
 数則は神社を訪れなかった。型どおりに午前中は受験勉強をし、午後は塾に向かい、言われたとおりにバスに揺られて帰宅した。
 そんな最中に、世間では大きなニュースが流れていた。
 数年前に世間を大々的に騒がせた女子高生連続暴行殺人犯がついに逮捕されたらしい。今回、数則を襲った男と過去に組んでいたことがあり、その筋からの情報で芋づる式に、という冗談のような展開だった。通り魔のあっさりした自白は、それに関連しているのかもしれなかった。想像することしかできないが。
 掘れば掘っただけ出てくる残忍な余罪の数々にテレビキャスターがお茶の間の期待を背負って慄いている。
 病院の待合室でぼんやりとそんなニュースを眺める数則の元に母親が顔を見せた。祖母の見舞いに久々に来たのは、単純化して言えば、祖母に対する孝行のつもりだった。この数日間のうちに、ひとつだけ、問題は解決していた。志望校を決めたのだ。 母親が、隣に座り祖母の入院用具を慣れた手つきでまとめている。看護婦が背中を通り過ぎた。 母の物言いたげな顔に軽く溜息をつき、頭を掻く。
「何」
「おばあちゃんに聞いたわよ。志望校の話、本当なの?」
 否定する要素もない。
「そうだけど」
「数則、どういう心境の変化なの。おばあちゃんに義理立てしてるんならね、気にすることはないのよ。無茶なことだって知ってるんだから。あんたは、あんたの好きにして――」
「別に義理立てとかじゃない。無理でも、だめでも、本当に行きたいと思ったんだ」
「……また、お父さんと一緒にお話しましょう」
 溜息の母は皺が増えた。
 理由を問われても、明確な言葉は思い浮かばない。しいていうなら、多分。ブルーマウンテンの所為なのだろう。今の数則にはそのくらいしか、わからなかった。
 祖母に頼んで貰った新聞の切れ端を、畳む。
 治安の悪かった数年前の坂多町。あの頃に発生していた連続女子高生暴行誘拐事件までも、お茶の間を騒がす殺人犯の仕業かもしれないとまことしやかに囁かれた。未だ噂の段階で、確証はなかった。それでも、漠然と、そうなのだろうと感じていた。夕陽の光に消える前、レイコは「なんとなく思い出せそう」と言っていた。思い出させてはいけないのだ。独りで、あの場所に向かわせたくもない。彼女の記憶が戻る前に、彼女の名前を、探さなければいけない。一日も早く。
 病院から出ると、雨が上がっていた。
 久しぶりに、葉鉢神社に行こうと思った。

 塾の入り口で車から降りる。母を見送ってから塾のガラス戸を引き、廊下で見つけた理太を手招きした。パック牛乳を飲んでいた理太はストローを押し込めながらも数則に気づき、なんだいと意地悪そうに微笑んだ。
「数則がそういう顔をすると、いつも嘘をつかされるんだよなあ」
 よくわかっている。
「俺、今日は塾サボるわ。適当に話をしといてくれると助かる」
「何かおごってくれるんなら、いいよ」
 おっとりと優等生然としている割に、理太はこういう融通が不思議とよくきく。そのずるさもまた、優秀さの表れなのかもしれなかったが。
「缶コーヒー以外なら何でも言ってくれ」
「いい加減に無茶はやめなよ、光希も心配してたよ」
「その時は、おまえに頼むよ」
 こんな気分でも、笑えることが不思議だった。手をひらひらと振る。

 まだ日の高い空の下、作りかけだった地図のコピーを鞄から出して眺め、歩き慣れた坂道を行く。ひぐらしの降る数時間前、まだ薄明るい風の坂。
 怖がり方は、確かに今思い起こせば、通り魔の時と様子が違っていたように思う。だから、やはり鍵はあの山奥にあるのだろう。
 鳥居は薄汚れた朱色だった。昨晩の雨でぬかるんだ参道にスニーカーの底が僅かに沈む。
 神社の賽銭箱前で呼びかけても返事はなかった。そんな気はしていたので、裏手から、登りかけて一度やめた道を歩いて行く。何度も振り返った。立ち止まった。彼女がこれ以上進めないと訴えた場所を過ぎても、しつこいくらいに立ち止まり、「カズくん」と呼ばれるのを聴き逃していないか、耳を澄ませては少しずつ進んだ。
 やはり、彼女は現れなかった。

 それでいい。

 場所の見当はついていた。昨晩から地図と数学の教科書を片手に計算して、中心点だと目した場所に分け入る。
 油蝉の鳴き声の下、古びた木組みの小屋の裏手に、茂みがあった。

 地図の中心。レイコの行動範囲から割り出した、……扇の要。
 不自然に盛り上がった土があり、度重なる雨で崩れたのか半分以上が崩れて露出し、茶色に濁った白い欠片が覗いていた。

 数則はポケットから携帯電話を取り出して、三つの数字を黙って押した。

 蝉が、わんわんと梢の光と共に漏れてこぼれていた。

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