処女作のことを話そう。
そもそもが、天草に最初の一作目を読まれてしまったのが事の起こり。
別に大したことじゃない。
ちょっとした手違いで鍵の開いてしまった猫箱のお話だ。
右代宮グループの経営を、全て小此木さんに委任して、天草の運転する車で出発し。
南の海を見渡せるマンションに落ち着くことにした。
一人暮らしが初めてだったので、おかしな質問のたびににやにや笑う天草を睨みながら、家具と家電をカタログで物色する。
腹の立つやりとりも多かったけれど、何もかもが新鮮だった。
そうそう。
洗濯機は置く場所が必要だなんてことも、知らなかったっけ。
言われてみれば小さい頃住んでいた家を思い出すと、確かに洗面所にへこんだスペースがあってそこに設置されていたような……。
まあ家庭科は1なので分からなくても仕方がない。
「いざとなったら全部クリーニングに持っていってもらうから別にいらない」と捨て置いたら、運転手には「クール!そりゃあ最高の上客ですな!俺もお嬢の下着をクリーニングしてみたいですわ」とげらげら笑われてうるさかった。
まったく腹立たしい。
別にランドリーサービスだって何だってやりようはある。
とはいえできるだけ自分のことは自分でやりたかったので、結局買った。
……実はまだ使い方に慣れていなくて、たまに失敗するけれど。
「全自動」と偉そうなことを書いてある割に、何でも自動でやってくれるわけではないらしい。
……とにもかくにも。
そんなわけで、新生活の準備には短くない時間を掛けた。
買い物や手続きを一通り終えて、家具を運び込む。
家電だのコンセントだのはそれぞれ定位置があるようで、置きたいところに何でも置けるわけではないらしく、これまた一苦労だった。
軽薄な元護衛もだいぶ疲れたのだろう。
私の要望通りに、配達人に家具や家電の設置を指示し終えた天草は、その晩にホテルを引き払い、小此木さんに報告をするのだと帰っていった。
そうして、とても久しぶりに、一人きりになって。
新しいシーツとスプリングの利いたベッドに座り、知らない天井を見た。
いつか、どこかで六軒島を目指していた、…私だけの長い旅の中。
真実を探求しながらの逃亡生活で、高級ホテルの天井は思う存分眺めてきた。
一夜限りの夜の空は、その日見た、新居の天井のように清潔だった。
ただの壁紙に覆われて見えるそれが。
これから先、ずっと私だけの天井になるのかと思うと不思議だったことを憶えている。
2
新鮮な日々は、楽しかった。
たくさん失敗もしたし、服も駄目にしたしお皿も駄目にした。
この年になって当たり前のことが何も身についていないと身にしみて分かったけれど、割れた皿で手を切ったことすら面白かった。
………けれど、
お兄ちゃんとお母さんと出掛けた遊園地ではしゃいだ後の帰り道、眠気に負けてしまったように。楽しい時間は、受け取った幸せと同じだけ、疲労をプレゼントされるようにできているらしい。
なんという便乗商法。
セットでお安く、なんて甘い文句に血眼になるほど困っていないのに迷惑な話だ。
一人になってから数日後。
水浸しになった洗濯機と格闘して、深夜過ぎまで起きていた日のことだった。
今となってはもう、洗濯機の使い方で何が悪かったのかは覚えていない。
ともかく、どうにかこうにか洗濯物を洗い直して、乾燥機に放り込んだところで時計は三時を回っていた。
さすがにもう「新鮮な経験」を楽しむ余裕は消え去って、ただひたすらに力が抜けた。
「ねむい……」
ひとりごちても誰も聞いていない。
それがさらに無力感をあおった。
ベッドに腰掛け、深く息をつく。
ベルフェゴールが耳元で誘惑しているが、何を喋っているのか分からない。
それまで貯め続けた疲労がどっと襲ってきて、もう何も考えられなかった。
朝を呼ぶうみねこの鳴き声を潮風の中で耳に沁み込ませながら。
風邪を引くのも構わず毛布もかぶらずに、ベッドに倒れ込んでうたた寝をした。
そうして。
お母さん、お父さん、………お兄ちゃん。
そして、絵羽伯母さんの、
夢を見た。
私は親戚に囲まれてとっても幸せで、ずっとずっと笑っていた。
場面はくるくると万華鏡のように入れ替わり。
私は大人になっていたり、幼い頃の姿だったり、現在の姿だったりした。
お兄ちゃんと遊園地に行って、小さい頃は身長が小さくて乗れなかった、大人用のジェットコースターに乗ったり。
お母さんに京都のお料理を教わってみたり。
かと思うと、大好きだったおじいちゃんのうちで、ひだまりの縁側に寝転んだ風景がそよかぜのように通り過ぎた。
お父さんや秀吉伯父さんにライターの火をつけるところを見せてもらったり、その他にも、たくさんたくさん。
12年間を取り戻すには足りないけど、それでも、皆が私と一緒にいた。
私は、……どの世界のカケラにいるときも…、幸せに笑っていた。
そして、夢の、最後の最後。
私はお気に入りのお洋服を着て、穏やかな居間に座っていた。
一人でお留守番をしていると、絵羽伯母さんが帰ってきて、扉の向こうで優しく娘にただいまのあいさつをする。
お土産もあるわよぅ。との声に私はきゃあきゃあと声をあげて喜ぶ。
『私』は無邪気に笑いながら明るい玄関へ走っていき、ドアノブに手を伸ばした。
淡い青色が、手の中に溶けた。
………伸ばした手は、夜明けの光で赤紫に透けていた。
真新しいマンション、まだ使い慣れない家具家電たち、綺麗な絨毯。
私はベッドにひとりで寝ていて、もちろん、家族は誰もいなかった。
そうして、私は、最初の物語を手に入れた。
*
ざあん、ざあん、と遠い岸辺に打ち付ける波の響きを聴きながら。
今でこそ執筆にはパソコンを使っているけれど、その時は使い慣れない新型のワープロを頼むことすら惜しかった。
サイン用に天草が置いていったボールペンを掴み、小此木さんから「作家になるんならコイツが要るだろう?」と餞別に貰った原稿用紙を引っ張り出して。
馬鹿正直に原稿用紙のお約束を守って、朝から晩まで憑かれたように書き続けた。
書いた。
書いた。
限界まで紙に向かっては倒れるように眠り、また夕暮れを見ながら起きてペンを取った。
誰かに読ませたい物語があったわけじゃない。
ただ自分のために。
あの日からどこにも行けずにいた、6歳の私のために。
右代宮縁寿のためだけの物語を、ただひたすらに紙の向こうに探し続けた。