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パラパラパラ、と屋根を打つようなノイズにうだる意識を浸して冷やす。
カーテンが閉まっているから分からないけれど、……水の匂いがする。
……夕暮れはあんなにも美しかったのに。
いつの間にか外は雨模様だった。
毛布から気だるい肩をそっとずらし、視線の端の男に向ける。
明るくてもいい、と言ったのに、律儀に電気は豆電球一つ。
ベッドサイドテーブルの読書灯を引き寄せて、その明りをすくうようにして原稿用紙を広げている。
無言で、時に口の片端を上げ、……大部分は真剣な瞳で、長い間原稿に向き合っていた。
読むスピードは速くない。
そんなに、じっくり読むほどの話でも、ないと思うのだけれど。
ガタガタと窓は揺れて、雨音は容赦なく壁もベランダにも打ち付けては雷が光った。
毛布越しに時々様子を伺う。
紙を捲る乾いた音が届くたびに…、心臓が骨と言う骨を震わせて、胸が締め付けられるようだ。
捲る手が止まりそうになるたびに何度も後悔する。
やめておけばよかった。
あんなに拙いもの、こんなヤツに読ませるんじゃなかった……。
私は、馬鹿だ。
感情的になって言質を取られるだなんて、まるで子どものままじゃないか。
………あぁ、そういえば。
子どもの頃と言えば。
絵羽伯母さんの護衛をしていたころにも、こんなことが、あったっけ。
ルチーアの授業ではそりゃあ絵を描いたり芸術作品を作ったり、形をとる課題はいくらもあった。
そして年末等の貴重な帰省の機会には、当然それらを持たされた。
小学生じゃないんだから学園で責任を持って廃棄してほしいと思うが、そういうものらしい。
一部はクラスメートがありがたくも御丁寧に私の目の前で廃棄してくれたけれど。
かといって、私が自分で捨てようとすると「右代宮さん、ご家族の方に見ていただかなくては駄目よ」となるわけだ。
ばかばかしい。
私はけして絵が上手くなかったし、絵羽伯母さんに見せれば譲治お兄ちゃんと比較されると分かっていた。
私の記憶にある譲治お兄ちゃんの絵は、けしてものすごく上手ではなかった。
それでもなんというのか、人柄の表れた優しい絵だったように思う。
絵に人柄が表れるのだとすれば、私の絵はまさしく私の人格を表していた。
具体的に、どうだったかといえば………、
真里亞お姉ちゃんのイメージ豊かな魔導書の色に憧れながら、無惨なまでに再現に失敗したシロモノだった、としかいえない。
きっと。
人には一人一人にふさわしい、心の色というものがあるのだ。
私の、薄墨色で覇気のないそれには、真里亞お姉ちゃんのパステルカラーが眩しすぎたのだと思う。
自分でも笑えてしまうほど、ものすごく……チグハグな絵だった。
……だから、持って帰っても絶対誰にも見せる気なんてなかった。
もうオチは読めているだろうか。
お察しの通りで、その絵も天草に見つかった。
どれだけ頼まれても見せたいわけがないのに、ひたすら隠しても覗き込んできて。
いいじゃねぇですか、ほらほらほらほら、先月、一日こっそり連れ出してあげたじゃねぇですか。
縁寿さんの「埋め合わせはするわよ」っていうお言葉を信じて命をかけたんですがねえ?御褒美がほしくて頑張ったんですぜ。…等々。
………本当、バカじゃないのかと思った。
こんなもの、見たって全然面白くないのに。
ただ捨て方に困っていたのも事実だったので、「見た後は絵羽伯母さんの目にけして触れないような形で、必ず捨てること」という条件をつけて。
あの時も結局押しに負けて、見せる羽目になったのだ。
くそ面白くもないチグハグな絵を、あの煩い男が珍しくあれこれ言うこともなく、楽しそうに掲げて眺めていたんだっけ。
それでもって「何を書いたのか」という質問に素直に答えたら、げらげらと笑われた。
「静物が動いてらあ!縁寿さんは天才ですね」とか非常に腹の立つことを言われた気がする。
ああ、思い出したら腹が立ってきた。
感情に任せて部屋から蹴りだして……あれ、あの後、絵ってどうなったんだっけ………?
……まぁいい。
でも、…すっかり、忘れていた。
私はもう「右代宮グループの縁寿さん」ではない。
なのに、原稿用紙に向かう天草の眼は、私が右代宮縁寿だった頃と、ちっとも変わらなかった。
言ったことはなかったけれど。
あの頃、どこまでも暗い屋敷の中でただ一人、私に笑顔とともに話しかけてくれた人が。
怒鳴るわけでもなく、事務的にでもなく、私の名前を呼んでくれるその姿が……とてもとても、「縁寿」にとっての救いだった。