――2月某日 AM 10:45
『あの子達、アタシがいると、味方はアタシだけ、他の先生はみんな敵~みたいになっちゃうんだよね。……だから、姿を変えたんだ。事情があって旅に出るからって嘘までついて』
ふんふん、と頷いた。つま先を揃えて膝を抱える。1-2-3-4、1-2-3-4、軽快なダンスミュージックに紛れて私たちの話し声は漏れない。キュッキュッキュッキュッ、ソールとフロアの摩擦音が耳に馴染む。
レッスン室の端っこで、ダンスレッスンを二人で見ている。名目は監視役とアドバイザーだけど、ここまでずっと見てるだけ。大型鏡に映る私たちは、ここにいるのにいないみたい。
気を回したらしい当人は、妨害を受けながらのダンス指導に忙しい。
『ボスの監視がなくなったらまた荒れるだろうから、「三毛縞先生」にはあいつらの押さえ役として来てもらいたかったんだよね。いちおう、この姿も「アタシ直々に指名した後任者」ってことになってるから、かろうじて指示は通るけど。でもわかるよ。信用はされてるけど、信頼されてない。……ほぉら』
曲の切れ目にあわせて攻撃に転じた年長組さんを眺めて、NEGIちゃんは肩をすくめた。
『職員がいてもお構いなし』
「わぁ……」
レッスン風景はカオスである。
どてらを脱いで園舎に入ったときから複数の視線を感じたし、気がつけばなぜか『怪獣組』でいちばん小さな子がひとり、教室にも行かずレッスン直前まで三毛縞さんの背中にかじりついていた。レッスン開始とともに引き離されたけど、今もドアのすりガラスからこっちを見てる。番組撮影中は便宜上、問題児度(?)でクラスを分けていたけれど、今は普通に年齢別なので、小さい子は入れない。
……あのひと、いったい何をしたのだろう。祭事を通して、『怪獣組』とは和解できたと思っていたのだけれど。
挟み撃ちを見事にかわした宙返りと壁ジャンプ(?)で三毛縞さんがすぐそばまで飛んできたので、訊いてみた。
「何したんですか?」
「いやあ。俺なんかに学ぶことは何もない!みたいな誉められない態度を取った子らがいたからなあ。文句を言わせないために出来得る限りもっとも難易度の高いダンスを披露して挑発してみせたら、どうも負けず嫌いの火をつけちゃったみたいでなあ。先生を倒した子にはコツを伝授するよう約束させられてしまった。……しなきゃよかった」
肩を落としている。それは自業自得では……?
『倒すって何。そういうのやめてほしいんですけど』
「成長期の子に基礎を飛ばして高難易度を教えるのは、ちょっと……」
「手厳しいなあ!」
双方向からつっこまれて、三毛縞さんは両手を上げた。その間にも小学校高学年くらいの子が手をかけようとして失敗している。
「トライは一日三度まで。――というわけで最後の一人もスリーアウトだなあ! 残念無念また明日っ! レッスンを再開するぞお!」
パンパンと手を叩き中央へ歩くと、曲がりなりにもゾロゾロと子供達が集まってきた。すごい。統制が取れてる。
「みんなも知ってのとおり、あちらにいるのは現役『プロデューサー』のあんず先生だ。レッスン後にアドバイスをもらえることになっているから、訊きたいことがあれば考えておいてくれ……☆」
急に紹介されて、慌てて立ってお辞儀をした。ゆっくり顔を上げると、私を見つめるいくつもの瞳のなか、ひときわ強い視線に惹きつけられた。
「……?」
微笑んでも笑い返さない。さりとて目を逸らさない。三毛縞さんの指導が再開されても、ひたむきに「私」に視線を送る子が、ひとり、いる。
年長の子だ。数年のうちに進路を決めて施設を出なければいけない、男の子。
NEGIちゃんが『しかたない子』と呟く声が耳に残った。
――2月某日 AM 11:20
きゃあきゃあ、雪にはしゃぐ子どもたちが我先にと窓から庭を覗きたがる。棚に登ると危ないので、順番に抱っこしてあげる。ちっちゃい子って、なんでこんなに温かいんだろう。癒されながら、暖房の効いた室内で、雪舞う灰色の空を見る。
『それで。倒すって何なの』
「心配無用、暴力とみなされた行為は即失格、ということに建前上はなっている。人手不足の原因となった悪癖暴力を助長させるわけにもいかないしなあ。俺から「これ」を奪えたら得点になる。例の漫画よろしく、7つ集めたら願いが叶うルールだなあ」
NEGIちゃんの詰問に、三毛縞さんは首を傾け耳裏を叩いている。三つ編みに結っている後頭部の髪ゴムに玉飾りがついているようだ。
ちょっと感心した。一撃入れたら勝利!みたいな条件にしていないあたりに良心を感じなくもない。
「いいですね」
「ははは! あんずさんが褒めてくれるとは珍しい。感謝感激! ……とはいえ、あの子達は暴力以外に願いを叶える手段を知らなくてなあ。隙を作ろうと偶然を装って花瓶を落としたりするくらいは、息をするようにやってくるんだよなあ!」
だめだった。
NEGIちゃんも眉を八の字にする。
『……なんかごめんね、アタシの友達が』
「正直、面倒くさくなってきた。辞めたい」
『だめ。もうちょっとだけ待って』
「はあい、理事長先生」
『誰のこと? アタシはあくまで普通の職員さんだよ』
楽しそうに鼻を鳴らして、NEGIちゃん扮する『職員さん』は、寝ぐずる幼子を抱き上げる。午後のお昼寝まで耐えられない、いちばん小さな子だ。覗く私に気づいて苦笑いし、人差し指をそっと唇へ。
『バレるから、子守歌は我慢してるんだ。また今度ね』
「残念」
ひそやかに笑い合って、ひと通りの雪見劇が終わったところで、汚れ物洗いを手伝ったり、他の子たちの遊びを見回ったりする。三毛縞さんが首を突っ込んでいると思ったら、案の定おままごとだった。
「はあい! 三毛縞先生はママがいいです!」
「や。ママは、なーちゃん」
「じゃあ俺といっしょにママをやろうかあ! ふたりのママがいれば普段はできないこともできるぞお。越前裁きとか井戸端会議とか……えっ、だめ?」
ふるふると首を振って否定されている。二つ結びの毛先が衛星のように、ぷっくりほっぺを追いかける。三毛縞さんが振り返り、「この子あんずさんに似てないかあ?」と仕草で訴える。私もふるふると首を振った。後ろ髪が少し遅れて背襟をくすぐる。
先生が二人も覗き込んでいるのがめずらしいのか、まだ元気いっぱいの年長児さんたちが遊びをやめてわらわら近づいてくる。よく見ると、またしゃがんだ三毛縞さんの足元にかじりついてる男の子もいる。
淡々とおままごとセットで料理をしている女の子もいる。ときおり顔を上げて周囲を見ては、またおもちゃのニンジンを切ったりしている無口な子。どことなく親近感のわくその子に引っ張られて座り込み、目と目で会話しながらおもちゃの目玉焼きをつくる。
「ははは。俺がママじゃないんなら、何の役が合うのかなあ?」
「えー? みけじませんせいは、せんせいでしょ」
「かいじゅうやって!」
「そんなのままごとじゃないよ」
たはは、と背後で苦笑い。
「せめて人間の役にしないかあ?」
「じゃあねー、……しごとしてないろくでなしのおじさん!」
「っふ!」
「……あんずさん? あんずさん笑いすぎじゃないかあ? おーい?」
「……、……っ」
震える肩を大きな指先でつつかれる。
「……俺が『おじさん』なら、あんず先生は何の役かなあ」
「あんず先生はろくでなしにすてられたこんやくしゃだよ」
「…………っ、ふ、ふふっ、……捨てないで……?」
「……」
三毛縞さんが、矢を受けた弁慶みたいに動かなくなった。
『~♪~♪~♪』
……のとほぼ同時に、音楽プレーヤーから、軽快なピアノに乗って童謡が流れ始めた。おままごと周りに群がっていた子どもたちが一斉に私たちから離れ、小走りに動きだす。
『おかたづけの歌が鳴ったよ~! そろそろお片付けしようか!』
職員さんたちの声かけに、私も立ち上がった。
昼食を終えたら、「あんず先生」はおしまいだ。
【上映会】の準備が始まる。
「ん? どうしたあ、あんずさん」
遅れて片づけに加わろうとした「幼なじみのお兄さん」の裾を引いて、引き留める。
……最初は慣れないなりに私がやるか、職員さんにお願いしようと思っていた。けど。今この舞鶴舎で、彼以上に、この役割に向いている人はいない。
「お願いしたい役があるんです」
『MaM』の三毛縞斑に、依頼したいお仕事が。