――2月某日 PM 4:00
『さあさあ、みんな目は覚めたかあ? うんうん。おやつも食べた? それはよかったなあ! それじゃあ満員御礼お楽しみ、【上映会】の始まりだああああ! 司会は『MaM』の三毛縞斑でお送りするぞお! ありがとうございます、ありがとうございます! 拍手をありがとうございまあああす!』
さすがの手腕である。司会をお願いして正解だった。
暗幕に閉ざされた講堂、スクリーン前の三毛縞さんにスポットライトが降り注ぐ。
舞台袖には音響操作台と調光操作卓が設置されている。児童施設の小規模ホールにしては気合の入った設備だ。操作は『職員さん』に扮したひつぎくんと、作業に慣れた私が担当する。私たちの横顔も舞台の明かりに照らされている。
最初は、『舞鶴舎』の撮影ドキュメンタリー風PVから始まった。
放送前の番組映像をおおっぴらに見せるわけにはいかないので、「こんな流れで作りましたよ、お楽しみにね」みたいなダイジェストになっている。
次は、あの日『MaM』が歌った曲をBGMに、私が自前で撮った、子供たちが歌って踊る姿のスライドショー。自分たちの顔が映るたび、子供達から歓声が上がる。涙もろい先生は目が潤んでいる。
「そろそろですね」
「……うん」
頷く。映像の入りも、リハーサルで何度も確認した。
大丈夫。
スライドショーが終盤に差し掛かる。三毛縞さんが私たちに合図をする。ひつぎくんが頷き、音響を操作する。私が映像を切り替える。
『さあて。お次は、とっておきのライブ映像集だ!』
星空と、光の懸け橋と、願い笹がスクリーンを斜めに塗り替えていく。
『去年まで俺たちが通っていた日本最大級のアイドル養成学校で、実際に一般公開されたライブ映像の特別編集版! ステージはアイドル最大の晴れ舞台! 君たちがもしもアイドルの道に進むなら瞬きする暇もない、門外不出の秘蔵ライブ集を、とくとご覧あれ!』
歓声のなかで音楽が始まった。
荒い映像はブレながら徐々に焦点を結び、やがてギターをかき鳴らすアイドルが大写しになる。――【七夕祭】の歌が、響く。
少しハスキーな女の子の歌声が歓声を縫って、ギターの響きと絡まり合って溶けながら、講堂に響き渡った。
音響パネルから、ゆっくりと手が離れる。
隣に立つ『職員さん』の声音が潤んだ。
『……アタシ?』
振り返るのは、NEGIちゃんだ。
七夕祭の歌が終われば、次は、抜けるような青空だ。
体育祭の応援歌合戦。
ざわめきが深くなる。子供達は気づきはじめてる。姿形や声が違っても、大好きな人が全力で歌う姿を見間違えるはずはない。
必死で競技を続ける夢ノ咲のみんなの笑顔と、揺れるポンポンと、音楽特区の人たちの応援歌。NEGIちゃんの応援歌も流れる。
「おどろいた?」
『あんず。ひつぎも。こっそり何やってるのかと思ったら……こんなのさぁ。ずるいよ』
「ね。ちゃんと残ったよ。NEGIちゃんの歌、世界中から永遠に消えたりなんかしない」
七夕祭で歌われた名もない歌のように。
花火みたいにキラキラ輝いたお祭りの歌のように。
電波に残って、世界中を巡り巡って、いつまでも、誰かの心にきっと残る。
実はね。
番組のアーカイブから、NEGIちゃんの姿は不自然なくらいに消されてたんだ。生放送には乗ったはずなのに、ESに保管されてる映像記録からは消されていた。丁寧に、掃き清めるみたいに、切り取られ、ないものにされていた。
『神父』側の誰かが、都合の悪い誰かが消した。
でもね。会場に来た人たちの記憶からは、消えたりしない。
あらゆる伝手を辿って、特別に編み上げた、NEGIちゃんのライブ記録が、確かにここに息づいている。
「七夕祭の動画はね、晃牙くんが持ってたよ」
知己を頼って手に入れて、大事に保存してくれていた。
「古式体育祭は、ひつぎくんが」
『放送事故』の二の舞はごめんだと、バックアップを隠してた。
「スタフェスは、忍くんが」
放送委員会の威信をかけて、あらゆる手段で守り抜いてくれた。
「……ほら、ね」
映像が切り替わる。
クリスマスツリーのてっぺん、星がキラキラ輝いている。
鐘の音から音楽が始まる。オルガン演奏と澄んだベル、十二月のアンサンブル。スターライトフェスティバル。
あなたは生きてたよ。命のかぎり歌い、笑い、輝いてた。
誰もが知る、クリスマスソングメドレーが始まった。
駆けだしてくるのは帽子をかぶり、黒と黄色のアイドル衣装に包まれた幸せそうな女の子。眩いスポットライトを浴びて、アイドルたちと声を合わせて笑顔で歌って踊る姿。
歌声に重なるように――観客席から押し殺した啜り泣きが漏れ聞こえた。
「彼女」を直接知らない、幼い子たちは気づかない。課題曲はどれも耳馴染みの良いクリスマスソングばかりだから、お遊戯やレッスンで踊ったことがある子供達には知った曲なのだろう。スクリーンの中のキラキラ輝くお兄さんお姉さん達と同じ振りが踊れることに喜びの声が上がる。得意のダンス音楽なのだ。
座っている園児たちがこらえきれないように体を揺らす。声を合わせて歌う子たちもいる。職員さんたちが止めるかどうか迷った空気を察し、絶妙なタイミングで三毛縞さんがマイクを取った。
『ははは! 毎日レッスンしているんだもんなあ、踊りたくなった子は立ってもいいぞお! 今日は舞鶴舎だけクリスマスだ!しゃんしゃんしゃん♪ 声を合わせて歌おうじゃないかあ☆』
気を良くした子たちの歌声が大きくなる。職員さんたちの一部も遠慮がちに手拍子を始める。
年長組の反応は様々だ。仲良しの小さな子に誘われて、涙を隠して笑いながら踊りに付き合う女子がいる。立ち尽くしたまま、スクリーンの中で踊る大切な人を見つめて、静かに涙を流す子もいる。
そして。
NEGIちゃんは、舞台袖で動けない。
ステージ側から視線を感じる。吸い寄せられ顔を上げると、三毛縞さんが私に微笑んで、ひとつウインクをしてみせた。口の動きを読む。
――ママに任せなさい。
からだの一部みたいに軽やかにマイクを口に寄せ、光あふれるステージ、どこにいても目を惹くステップで、手を振りながら。アイドルがスクリーンの脇から中央へ踊り出す。
『さあさあ、【上映会】はこれにて終幕! ステージのアイドルを見習って、俺たちみんなも曲に合わせて歌い踊ろう!』
まだ映像は続いている、音楽は鳴り続けている。
三毛縞斑が一人でステージを右から左へ走り回っている。
『立って立って! ほおらほら、そこの君も、君も、君も! 踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損! さあさあ、そっちの職員さんもいっしょに! 舞台袖のあんずさんたちもおいでおいで! 踊ろう! みんなで手を取り合って! 高らかに歌おう! そうすれば生まれた国も文化も立場も関係ない、俺と君たちは友達だ!』
三毛縞さんは言い放つと司会を放棄し、子供たちに立って立ってとジェスチャーをしながら、音楽に合わせて軽やかに踊り始めた。顔と顔を見合わせて、踊り始めた人もいる。惚けたままの舞台袖の私たちに、三毛縞さんはウィンクをひとつ。ステージ下に合図すると、ひらり子供達の前に飛び降りた。私は、危なくないように講堂の照明を点灯させてから、隣の『職員さん』に手を伸ばした。
ひとり、またひとり。手をたたき、踊り歌い、季節外れのクリスマスソングが舞鶴舎講堂に響き渡る。
『……はぁい。わかったわかった。ちょっとだけだよ』
差し伸べ続けた指先に、NEGIちゃんは苦笑して、指先をちょんと合わせてくれた。手のひら同士が触れ、絡まり、引き合った。姿かたちはまるで違うのに、NEGIちゃんのステップが輝いた。小声で口ずさむ。知らない声。でも、知っている歌声。私の大好きな大好きなアイドルの歌声だ。手に手をとって、舞台袖で辿々しく踊る。笑い声が重なった。
繋いだ手の力加減が変化する。NEGIちゃんが顔を上げると、そこで踊るのはもう、後輩の少年に変わっている。
「先輩」
「うん」
「ボクね、夢ノ咲に入学できればそれで良かったんです。『プロデューサー』に興味もなかったですし。『プロデューサー』は『アイドル』より権力があるから、調べ物には便利かもって思っただけというか。権力があるだけ、手に入る情報も増えるっておじさんが言ってましたし。たまたまだったんです」
ひつぎくんも、私も、踊りはちっとも上手くない。だからやがて足が止まった。手だけを重ねて、ゆっくり、くるくる回るだけ。フォークダンスみたいに。
「でもね。先輩が優しくしてくれたから。毎日、たくさんたくさん、教えてくれたから。キラキラ輝く青春を共に過ごしたひとたちが、『プロデューサー』って、呼んでくれたから……。ボクもあんず先輩みたいに、誰かを幸せにできる『プロデューサー』になりたいって思いました。もしかしたら。こんなボクでも、大好きなひとを輝かせるために、へっぽこなりに何かできるのかなって。ううん。これからだって。何か、したいんです、ボク。こんなふうに何かをしたいって思ったの、初めてなので、これで正解なのかわからないけど」
「……うん」
「殺されて、生きていた記録の欠片すら踏みにじられたお姉ちゃんの歌を、ボクの記憶のなかのお姉ちゃんを。キラキラ輝く舞台で見せびらかしたい。偉大な先輩に薫陶を受けた一人の『プロデューサー』として、へっぽこでも、未熟でも」
ステージから差す、淡いライトの照り返しを受けながら、ひつぎくんは笑う。
「先輩が、ボクに教えてくれたように。いつか必ず、追いつきますから。どんな形でも、たとえ手に触れられる場所じゃなくても、きっとまた先輩に会いに行きます。もちろん、アイドルのお姉ちゃんといっしょに」
「待ってるね」
そしたら手を取り合って、ともに創り上げたステージを誇ろう。
私たちは『プロデューサー』。
きっとその場所に立てば、いつだって互いを見つけられる。制服に着替えて、時計を見ながら走って、下駄箱で靴を履き替えてあくびして、教室の机を囲んで語り合い共に研鑽した日々の続きを、ともに描こう。
キラキラ輝く青春の続きを。
アイドルのステージを一番近くで目撃できる、『プロデューサー』の特等席で。
振り返る。映像が終わっても、音楽は鳴りやまない。子どもたちは踊っている。職員さんも。いつの間にか、ダンスの輪が広がっている。いつまでもいつまでも、踊り続ける。