目次

所有権は義務を伴うらしいのです。

本編
後日談

作品ページへ戻る

作戦タイム (12月6日)

午後六時の暗い駅舎に、冬の風がうなっている。
しゅうと息をあげて閉じたドアの向こうを眺めながら、私は乗ってきた学生たちをちらと見遣った。

電車通学が多い東北地方のこの季節。
帰りの電車は雪を避けて、学校帰りの中高生がにぎやかだ。
同じ制服を着て色気なくはしゃいでいたのが昨日のことのよう。
スーツを着るのにもお化粧にも慣れて、社会人三年目の後半だなんて時が経つのはあっという間だな、なんてことを思う。
師走を迎えて、眼の前の高校生たちは参考書片手に、雑談の中身もセンター試験一色だ。
そう、十二月なのだ。
もやもやして息をつく。

あぁ年賀状どうしよう。
甥っ子のお年玉がお財布にきつい。
コートがほつれてきたから新しいのを買いたいけどボーナスが減っちゃった。
……てっちゃんへのプレゼント、用意しなきゃダメかなぁ。

ガタンガタンとレールの継ぎ目を揺れながら、暗い夜空を煙る窓が映していた。
冬の電車は少し暑い。

「桜子」
「………ぁ。え、何?」

脇から心配そうに呼ばれて、はっと我にかえった。
付き合っている年下の大学生が、携帯ラジオのイヤホンを片方外して、私を見ている。
自然に寄せあう距離は近い。
……距離が変わったなぁ、と意識する。
一年前までは確かに姉と弟だったのだけれど。
仕事帰りの私と、茶色い髪の大学生は、周りからどう見えているんだろうなんて時々思う。

「何溜息ついてんだよ。だいじょぶか」
「んーちょっと……、ね、てっちゃんはクリスマス」
「おい、外でその呼び方しない」
「ごめんごめん」

隣で吊革を握る幼馴染を含み笑いでそっと見上げる。

「えっと、でね。徹哉はクリスマスどうしたい?」
「どうって?」
「何かしなきゃダメかなぁ」
「………」

てっちゃんが情けなく呻き、みるみるうちに落ち込んだ。
どうやら色々考えていてくれたらしい。
慌てて半分ホントのフォローを入れる。
ちょっと可愛いと思ってしまったのは秘密だ。

「あ、あのね、そういう意味じゃなくって。えっと」

もちろんお財布痛いなぁとか思っていたのも本当なのだけれど、それを言ったらきっと立ち直れなくなりそうなのでこれまた秘密にしておく。
いやそのだって、友達や後輩ちゃんに聞いたところの、「彼氏へのクリスマスプレゼント」の相場って妙におかしいのだ。
桁がひとつ違っていたりしないんだろうか。
もしアレが常識なら、てっちゃんの周りの学生さん達はどうしてるのかなぁ比べられちゃうかなぁ社会人なのに等々、悩むほどにクリスマス自体が面倒くさくなってきてしまったというか。
変にその「相場」に合わせて、まだ学生のてっちゃんに気後れさせちゃうのも申し訳ないというか。
そう、それに…一応、半分くらいはちゃんとした理由もある。

「えっとね、ほら。お母さん達が今年もケーキ注文しちゃってたりするでしょ? だから、聞いてから用事入れないと」
「あー……やっべ。それ忘れてた」

そう。
私のうちもてっちゃんのうちも母子家庭で。
贅沢できないけどクリスマスくらいはホールケーキを食べたいし、でも天城家は母娘二人で、石川家は母と兄弟の三人暮らし。
両家が仲良しで、それぞれホールケーキを頼むにはちょっと少人数すぎる……となれば、当然、道はひとつ。

――ケーキの共同購入である。

その日ばかりは節約家のお母さんたちが奮発して、割と良いところのクリスマスケーキを予約する。
もちろん夜は洋風料理が出るし、チェーン店のフライドチキンパックとかも用意される。
303号室と403号室を毎年交互に飾り付けて、ツリーを並べて、小さい頃はちょっとした大イベントだった。
そんなわけで、両家合同のささやかなクリスマスパーティーは、公営住宅に越してきたばかりのころからずうっと続く家庭内行事なのだ。

大きくなって飾り付けなんかはもうやらなくなったけれど、ちょっと豪華な食事会は今でも毎年続いている。
まぁ徹君は彼女が出来たとか言ってここ数年来ないのだけど。

そんなわけで、クリスマスの夜に出掛けるというのは、私とてっちゃんにとっては、それなりに大問題なのである。
母親に文句を言われつつ豪華ディナーとケーキを食いはぐれるか、二人で過ごすのを別の機会にまわすか。
ケーキかデートか、それが問題だ。


「っていうかね。あのね。プレゼントなんだけどね」

てっちゃんの部屋で、インスタントコーヒーにスナック菓子を食べつつ協議する。
某量販店のフリースにジャージと、我ながら好きな男の子と一緒いにいる格好ではないのだけれど、(だっててっちゃんだしなぁ)という気持ちの方が勝ってしまい、結局いつものスタイルだ。
あんたそんなんだから彼氏できなかったのよ大事にしなさいよと母親にも友達にも言われるのだから、きっと相当ひどいのだろう。
ごめんねてっちゃん、と心の中で謝りつつも、小さい頃からいつもこの格好で一緒にうだうだしていたのに、今さら格好つけても仕方がないとも思うのだ。
でも……その、昔はローテーブルに向かい合って話していたところを、今では隣に座って肩を触れ合わせているところが、やっぱり違うかもしれない。
ともかく、悩んでいるのも私らしくないので、この際だからぶっちゃける。

「プレゼント。クリスマスの」
「うん?」
「お金があんまりないんだけど、マフラーとか編んだら多分失敗する気がするの」
「………え、あ。……あぁ、そう」

てっちゃんは数秒、私を凝視して、それから困ったように頭をかいた。
あちこち押し入れや本棚を眺めたりして、眼を逸らしながらぼそりと呟く。

「別にいいよ、無理しねぇで」
「失敗したマフラーでも良いの?」
「いやそうじゃ、……っていうか何で失敗するの前提なんだよ」
「えーだって。てっちゃん、私が編み物出来ると思う?」
「思わねぇ」

一瞬の間もなく即断された。
ひどい。
……分かってるけれど、それはそれでちょっと悔しい。
むっとしている私を見てからまた眼を逸らし、しばらく沈黙した後に。
てっちゃんは持っていた珈琲カップを机に置いた。
それを目で追う間に、慣れた骨と指の感触が左手の指の付け根に触れてきた。
左手首を握られて、身体の芯がひくと怯える。

「ぁ、あの……てっちゃん?」
「桜子、命令」

そのまま、手首を握られて左手を持ち上げられて、一度だけ手の甲にキスされる。

――初めてこうされた時から、私の手は、てっちゃんのものだと決まっていて。
私の手はてっちゃんのものなので、言われたらその通りにしなくてはいけないのだ。

時折、こうして手首を握られてキスされて、それからささやかな命令をされる。
主に橋の下でさせられたようなことや、ひたすら手を弄られている間に口を塞ぐなとか、そういうことだ。
年下の幼馴染に、いつも背中をついてきた弟分の筈なのに、何故だかこうされると抵抗が出来ない。
下を向いて、左手から力を抜いて目を瞑り、命令を待つ。
だいじょうぶ。
今日みたいに、おばさんが隣にいるときは、そう滅多な命令はされない、……はずだ。

「桜子」
「……は、い」

薄眼を開けて床に視線を落とす。
あれから夏も秋も、何度もあったことなのに、命令を待つだけで、緊張する。

「両手に命令」
「………っ、はい」
「下手でも、失敗してもいいから。不器用な手だって分かってるけど。どんなでも許すから、マフラー編んで、俺にくれよ」

耳に命令が沁みとおるまでには、たっぷり数秒の、間があった。
は………、う、ええ!?

「え、ええええぇ、え」

顔が熱い。
漏れた声が震える。

て、てっちゃん何言ってんのは、は……恥ずかしい。
そういうの、そういうの恥ずかしいから!
じょ、冗談だったのに手作りのマフラーとかちょっと、冗談だったんだってば、だからそのまさか。
私が作ったらどういうことになるかくらい知ってる筈なのに、ずっと一緒にいたのに、それでも私の手作りの何かを欲しがるだなんて予想の範囲外もいいところだ。

「っ、う、あ……でも、失敗するかも、ていうか! そのっ、今からじゃクリスマスまで、間に合わないか、も……」
「失敗は良いって言ったろ。間に合わない時は罰ゲーム」
「う、ええぇ、罰ゲームってな、何」
「ん。今から考える。どうすっかな」

時計の音がチクチクと耳を刺す。
おばさんが見ているお笑いテレビがどっと歓声を遠く、扉向こうであげている。

「桜子、この前俺の押入れ勝手に開けてエロ本捨てたろ」
「……あ、あはは、なんのこと?」
「今までは黙認してたのに酷くね? 傷付いたぞアレ」

捨てましたすみません。
うん、ちょっとした喧嘩の腹いせに確かにそんなことをしたような。
……やっぱりちょっとやりすぎだったかもしれない。

「ごめん。……う、まさか罰ゲームで買ってこいとか言わないよね」
「まさか」

てっちゃんが、実に意地悪そうに、私の手にもう一度くちづけをしてから、口の端で笑った。

「俺が新しいの買ってくるから全ページ俺の前でめくって読む」
「ええええーーー!? さ、サイテー! てっちゃん最っ低、変態!!!」
「こ、声大きい!!」

焦って口を塞がれる。
確かに大きかったと反省して、少し声を押さえながら抗議する。

「ばかっ。ナシ、それなし。絶対だめ!」
「別に、桜子が頑張ればいいんだろ?どんなに失敗してても完成すればいいじゃん」
「てっちゃんいつからそんな意地悪になったの? ひどい。いいよもう、クリスマスはうちで夕ご飯とケーキ食べるから。デートとか絶対しないから」
「ええ、ちょ、ちょっと待」
「てっちゃんの命令聞くのは手だけでしょー。足がどこに行くかは私の勝手でしょ? 知らないからね」
「っていうか、だから、なんで最初から完成できないって前提なんだよ、諦め早すぎるだろ!」
「だって無理じゃない!」

どんどん喧嘩が不毛になる。
なんだかんだとくだらないやり取りをして拗ねたり怒ったりしながら。
去年の今頃は、てっちゃんの大学受験のやる気がどうのこうので怒っていたことを考えると、ずいぶん平和だなぁと不意におかしくなった。

グダグダになって、頭を冷やして仕切り直しと外階段に出てみると、空が白くて雪がパラついていた。
ともあれ、どんな予定になるとしても。
今年も、303号室の幼馴染の少年の隣でクリスマスを過ごすことだけは、変わらず決定しているのだった。

番外編2(後編)へ
作品ページへ