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『少年と少女』

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君と一緒に雨に打たれて、僕らは橋の上から泥水の奔流を食い入るように見つめた。

といっても橋の真下を見ていたわけではなく、二人は遠い海に通じているはずの下流を泥の塊と化してしまった川が勢い良く下っていくのをぼうっと見ていた。
びしょびしょのセーラー服が身体に張りついた少女が、顔に張りついて睫毛の上にしずくを落としつづけるまっすぐな黒髪をどけもせずに少年の剥き出しの腕に指を絡めた。
少年は、錆びた橋の欄干に手をのせたまま、手の平の下にも手の甲にも、とにかくどこもかしこもふくらむ水だらけの状態で彼女の方に目だけを向けた。
こういう雨を豪雨というのだろう。
スニーカーの下は、もう塗れた石ではなく、石の上の緩やかなもうひとつの川になってしまっている。
ごぼ、と音がしているのはきっと橋の近くのどぶから水が溢れたんだと思う。

なんで僕らが川を見下ろしていたのかというと(しかもこんなときに)それは別に心中しようとかそういう格好のいいことのためではなく、僕らがいつもするようにしていただけで特に理由はなかった。

彼女は傘を持ってきていなくて、少年も持っていなかった。
しばらく雨やどりをしてはいたのだが、二時間ほど教室から窓の外だけ見ていたあと、突然彼女が傘も持たずに堂々と歩いて土の上に飛び出していったのだ。

「あんたはやむまで待ってなさいよ。あたしは帰るわ」

一歩踏み出せば雨に文字通り盛大に打たれる、そんなぎりぎりの屋根の端で彼女はリュック型の鞄を背負ってそう言い捨てた。
少年は数度瞬きをした後、少女の後に躊躇いの欠片も見せずに歩き出していった。
雨は冷たいのに生暖かくて、呼吸が苦しいほどに水だらけだった。
少女は振りかえって少年を見とめると、少し悔しそうな顔をして唇を噛んだ。
どうせ何を言ってもこの雨音で聞こえないのが分かっていたのだろうか―それから彼女はいつもと同じように、まったくなにも晴れた時とは違わないのだとでも言いたげな顔で少年の隣に並んで歩き始めたのだった。

腕に絡められていた少女の指が雨水ですべると、少女はむっとして今度は少年の半袖を掴んだ。
それだけでもう水滴が垂れるくらいに、少年のシャツはすっかり濡れそぼってぐっしょりとしていた。
どれだけまじまじと轟々うねる両岸の間を見つめていたのだろうか――彼が我に返った時は、前髪から額からぼたぼた落ちる水滴に、前さえ見えなくなっていた。
少女の唇が動いたので、少年は頷いて橋の向こう側へ渡って道路に降り立った。
寂れた本屋の張り出した屋根の下に入って息をつく。
二人の下にたちまち大きな水たまりが広がったのを見て、少女が口をひん曲げて紺色のスカートのひだを掴んだ。
ぎゅっと絞るとどんな雑巾でも含めないほどの水が滝のように水たまりを広げる。
スカートの端から柔らかく見える彼女の足から思わず目をそらし、少年は髪をごしごしと額の後ろに押しやった。


「満足した?」

少女が突然冷たい声で尋ねた。

「どうせそうなんだわ。あんたは見なきゃならなかったのよね。そうなのよね。」

彼がわずかに顔を曇らせて眉をひそめると、少女は濡れた髪を水滴の垂れ落ちる指で耳にかけると、少年から顔を背けた。
本屋の閉まったシャッター(定休日だった)に背を預けて、今後にしてきた橋の上を溜め息と共に眺めた。


「あれが川よ。あれが水。あれが橋でこれが雨だわ。」
「………。」

濡れすぎてあまりにも疲れ切っていたので、少年はなにも考える力が起きなかった。
ただ屋根の下の隔絶された空間、その外周りのコンクリートに激しく叩きつける雨を見ながらふうと物憂げに目を伏せた。

「でも見なけりゃならなかったんだと思う」

自分でも何を言っているのかあやふやなまま、少年は言った。
なぜかあの奔流の持つエネルギーが自分を捕らえて離さなかった。
あれが川。あれが水。足の下にあるこれは橋で、この奔流の上に危なげに渡された石の塊。
これらを全部引き起こしてしまった空からの水の襲来。

「そうよね、きっと」

少女は言った。

「……あたしはいつもあんたなんかに会わなきゃ良かったと思うのよ。」
「ぼくは会えて良かったよ」

間髪入れず返す少年の声に、少女はスカートと同じ色の襟を苦しげに掴んで、泣き笑いのように呟いた。

「あたしは雨、好きよ」
「僕も好きだよ。」
「好きだったんだ。」

少女が少年を見上げると、少年はうん、と道路に跳ねる水滴を見て口元を緩めた。

「また、見ようよ」

少女が眉を軽く寄せてローファーを控えめに空で蹴った。
水がぱっと散って少年の黒いズボンの裾を濡らした。

「もうごめんよ、こんなに濡れるの。」

少年が、あ。と口をぽかんとあけて、苦笑して――そして、でも僕はもう一度濡れても良いなとまた目を伏せて笑った。

少年と少女