洗濯説教
「坊ちゃま。お話があります」
既に結婚しているのにも関わらず、彼女が昔のように「坊ちゃま」と呼び始めるのは大抵が皮肉であり説教の前触れであったので孝二郎は怯んだ。
しかし経験上、逃げるとますます事態が悪化することを悟ってきたのも確かだった。
憮然と向き合い、適当に座り込む。
「……んだよ」
「お気持ちは大変嬉しいです。ありがとう。孝二郎君が、家事をやってくれようとするそのお気持ちが存在していたことに、感激してます。すごく嬉しい。」
梅子は頭をさげた。
美しい黒髪がしっとりと下に流れる。
言葉には含みを感じるが実際、生まれてこのかた女中たちに身の回りの世話を全て任せていたのも事実なので敢えてそのまま拝聴する。
「だからこそ坊ちゃまに、ぜひ、知っておいてほしいことがあります」
梅子は孝二郎の背に山盛りになった洗濯籠の中身と、それに細かについてひらひらと朝風に舞う白い切れはしと、柱にかかった古めかしい時計を順繰りに見つめた。
孝二郎はトントンと膝がしらを叩いて苦虫を噛みつぶす。
もちろん諸手をあげて(できればちょっと涙ぐんで)喜んでもらえるという期待がふいになったのは、自分の不注意のせいであろう。
脱ぎ放した上着の中に携帯のちり紙を入れたままにしていたのも明らかに自分の仕業に違いない。
だが――子守りも家事も全部任せてるなんてあああ最悪ーオチビって最低ねニートね梅子は返してもらうわとか琴子叔母に言われたというのもあるが――ひとえに善意でやったことなのにどうして叱られなくてはならないのか。
というかもうニートではない。
「……ポケットの中身は見てから洗えっつーんだろ。言われなくても分かってんよ」
「分かっていません。あのですね」
「しょうがねえだろ忘れてたんだから、悪かったつってんのに、それをもう一回言うことはねえだろが」
「い い か ら 聞 き な さ い」
梅子がどすの利いた声を出した。
結婚してから昔より説教に迫力があると思うのは、あれなのか、立場が対等になったからという錯覚にすぎないのか。
「……なんだよ」
「あのですね」
梅子はひとつ、咳払いをしてから真っ直ぐに夫の顔を見つめてきた。
「孝二郎君はまともにお勤めをされたことがありませんし、今のお仕事もご自分の時間をお好きにできるものなんですから、知っていなくても仕方がないとは思います。だからまずは、お仕事の時間配分に一番大切なことを、知っていただきたいのです。いいですか。家事の仕事の8割は事前に準備することなんです。今回に限らず孝二郎君の失敗の原因は全部それです。前の晩にやる。籠に入れる前に見る。習慣づけることからが仕事になるんです。孝二郎君が今やろうとしてくれているのは仕事のうちの2割だけです。前準備をしなくてはならないのに、それをせずに代わっていただいても、残りの8割を取り返すために私がその分やらなくてはならなかったら意味がありません」
ざわざわと、庭の木が揺れている。
「その『仕組み』を、分かってますかと聞いているんです」
孝二郎は明後日の方向をみた。
梅子の視線がじとりとまとわりつく。
「孝二郎君。謝るのが嫌だと思ってるんでしょ」
さすが、幼馴染にはかなわない。
しかしそこまで分かっていて、どうして「後で謝る気になったら来てくれればいいの気持ちは分かっているんだから、」とならないのか。
なってほしい。
屋敷に出入りしているぶち猫が、縁側にあがってニャーと鳴いた。