目次

千里の裾野

プロローグ
1
第一章
1 / 2 / 3
第二章
1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6
第三章
1
第四章
1/ 2
第五章
1
第六章
1
第七章
1 / 2 / 3
第八章
1 / 2 / 3 / 4 / 5
第九章
1 / 2 / 3 / 4
第十章
1
第十一章
1 / 2 / 3 / 4
第十二章
1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8
エピローグ
1(完)

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プロローグ / わたしが先輩と出会う

 
1

 ぷつりと、引っ張りすぎたゴムが切れる瞬間って、誰にでもある。
 つまりは、いい子のふりに疲れてしまった。
 高校一年目の終わり、この世に生まれて十六年目の春だった。

 人のいない方へいない場所へと肌寒い体育館裏へ歩いて行くと、不釣り合いに可愛らしい南京錠のかけられた、傾きかけた倉庫がある。
 まだ日陰に雪残る、三月初めの薄青い空の下。
 迷い込んだ旧体育倉庫前で、わたし――桧山香緒花ひやまかおかは、初めて冬子先輩に出会った。南京錠は先輩の私物だった。

 先輩の存在だけは知っていた。
 未明ヶ丘冬子みめがおかふゆこ。教師たちだけでなく、生徒会からも目をつけられている問題児。生徒会の一員になってすぐ、書記の子が気をつけるようにと教えてくれた。怜悧な白い頬、もつれる茶髪、着崩した胸元、すれ違うときのほのかな煙草の残り香。それ以上にまつわりつく外聞の悪い噂たち。

 思いがけない鉢合わせに怯えたわたしを黙って見つめる先輩は、思っていたよりずっと静かな、深い澄んだ湖にも思える優しい瞳をしていた。「仕方ないな」と扉のうちに招き入れ、煙草を出しかけてやめ、跳び箱にかけたあの人がわたしに課したルールはひとつだけ。
 ――じゃあ、日が落ちるまでね。
 そうすりゃ目元も目立たないでしょ、と冗談かどうか測りかねる平坦な声で付け加えられ、わたしは慌てて涙を拭った。
 肌寒い早春に、やけに短い先輩のスカートは、見ているだけで寒かったことを憶えている。
 あれから半年。
 いろいろなことがあって、臆病で卑怯なわたしは、先輩と顔を合わせづらくなってしまったけれど。それでも日陰にひっそり佇む倉庫は、夏の終わりを迎える今も、他の誰も足を踏み入れたりしない、先輩とわたしだけの秘密の場所になっている。
 そのはず、だった。
 なのに今。
 ……突然現れた見知らぬ少女が目の前で、胎児のようにからだを丸め、すやすやと眠っている。
 柔らかにうねる赤髪から突き出ているのは、和毛の生えた三角形の二つ耳。
 着崩した牡丹柄の羽織一枚から、白い足が交差して覗く。
 悩ましげな腰のあたりには、ふさふさくるんとやわらかそうな、芯のある毛束。

 かろうじて気を失わずにいるわたしの前でゆっくりと、
 獣耳の美少女が、身を起こしてあくびした。

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