プロローグ / わたしが先輩と出会う
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ぷつりと、引っ張りすぎたゴムが切れる瞬間って、誰にでもある。
つまりは、いい子のふりに疲れてしまった。
高校一年目の終わり、この世に生まれて十六年目の春だった。
人のいない方へいない場所へと肌寒い体育館裏へ歩いて行くと、不釣り合いに可愛らしい南京錠のかけられた、傾きかけた倉庫がある。
まだ日陰に雪残る、三月初めの薄青い空の下。
迷い込んだ旧体育倉庫前で、わたし――桧山香緒花は、初めて冬子先輩に出会った。南京錠は先輩の私物だった。
先輩の存在だけは知っていた。
未明ヶ丘冬子。教師たちだけでなく、生徒会からも目をつけられている問題児。生徒会の一員になってすぐ、書記の子が気をつけるようにと教えてくれた。怜悧な白い頬、もつれる茶髪、着崩した胸元、すれ違うときのほのかな煙草の残り香。それ以上にまつわりつく外聞の悪い噂たち。
思いがけない鉢合わせに怯えたわたしを黙って見つめる先輩は、思っていたよりずっと静かな、深い澄んだ湖にも思える優しい瞳をしていた。「仕方ないな」と扉のうちに招き入れ、煙草を出しかけてやめ、跳び箱にかけたあの人がわたしに課したルールはひとつだけ。
――じゃあ、日が落ちるまでね。
そうすりゃ目元も目立たないでしょ、と冗談かどうか測りかねる平坦な声で付け加えられ、わたしは慌てて涙を拭った。
肌寒い早春に、やけに短い先輩のスカートは、見ているだけで寒かったことを憶えている。
あれから半年。
いろいろなことがあって、臆病で卑怯なわたしは、先輩と顔を合わせづらくなってしまったけれど。それでも日陰にひっそり佇む倉庫は、夏の終わりを迎える今も、他の誰も足を踏み入れたりしない、先輩とわたしだけの秘密の場所になっている。
そのはず、だった。
なのに今。
……突然現れた見知らぬ少女が目の前で、胎児のようにからだを丸め、すやすやと眠っている。
柔らかにうねる赤髪から突き出ているのは、和毛の生えた三角形の二つ耳。
着崩した牡丹柄の羽織一枚から、白い足が交差して覗く。
悩ましげな腰のあたりには、ふさふさくるんとやわらかそうな、芯のある毛束。
かろうじて気を失わずにいるわたしの前でゆっくりと、
獣耳の美少女が、身を起こしてあくびした。