目次

千里の裾野

プロローグ
1
第一章
1 / 2 / 3
第二章
1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6
第三章
1
第四章
1/ 2
第五章
1
第六章
1
第七章
1 / 2 / 3
第八章
1 / 2 / 3 / 4 / 5
第九章
1 / 2 / 3 / 4
第十章
1
第十一章
1 / 2 / 3 / 4
第十二章
1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8
エピローグ
1(完)

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第八章 / わたしは千里に「待て」を教えそびれていた

 
5

「んっ、――ぁは、あーー…ぁ、はぁ…」
 またびくんびくんとお尻が揺らめいた。じゅっ、とあふれた糖蜜が唇ではむりと布ごと挟まれて、「ちゅー、ちゅー、ちゅー」と、一滴残らず吸われて、いく。そのたび余韻は快感に塗り替えられて、腰のあたりで毛先が踊り、マットに沈んだ膝がわななく。スカートの裾をたくしあげている手に力がこもる。プリーツをぐちゃぐちゃに絞りあげて、ぁ、ぁ、ぁ、と甲高く顎を天井に突き上げてしまう。そのリズムは腰のひくつきと一緒。長い、長い――いちばん気持ちいい、待ち望んだとき。
 いっても、いっても。あふれた水気は千里が余さず食んで啜ってしまうから、ショーツ以外はほとんど汚れていないみたい。けれど強すぎる刺激から逃れたさに首を振るたび(といっても千里の両手はたおやかさに似つかわしくない剛力でわたしの腰をずっと口に押しつけたままにさせているから、いくら身を捩ってもイヤイヤしてもほとんど効果はなかったのだけれど)カチューシャはズレるし、髪も頬あたりに踊ってもつれている。身を捩りすぎて、薄手のカーディガンはボタンがいくつか外れてしまってるし、涙と涎できっとひどい見た目になっているような気がする。ふわっとした千里の耳が、濡れるふとももをピクピク撫ぜるのもくすぐったく、もどかしい気持ちよさで、そのたび、ヘンな声が出る。
「ふぁー……あぅぁ……あ」
 ……気がつけば、湿気が濃い、おかしな温かみのなかで食事は続いている。竹箒で屋根を掃くような、反響に混じるのはただ、獣の長い舌のぴちゃりぴちゃりと水を飲む擬音とわたしの吐息、力ない喘ぎ声。だけ、きっと、外は雨。
 蕩けた呼気に、細かな雨音がまじっている。
 肌寒さの割に汗が熱いのは、雨のせい、なのだ――
「せん、り」
 ……「こういうこと」をするときは、名前を呼んでほしいと、初体験の相手に言われていたことを思い出した。だから、わたしの可愛い犬を、呼んでみる。いやらしい響き。
「せんり、ぁ、……ん、ふぁ、あ…」
「はい」
 ふ、とスカートの裏に風がこもる。千里がわたしのそこから顔を離して、呼ばれたからと返事をしたのだった。
 そういうつもりじゃなかったのに、とどこか落胆しながらも、数十分ぶりにようやく与えられた小休憩にはほっとする。と同時に拘束が解けてわたしは一拍遅れてへたりこんだ。もう立てない。夢中で貪っていた千里の顔も上気して、軽く息を弾ませている。
「どうなさいましたか、カオカさま」
「あ。……ん、そろそろ、お腹、いっぱいかなって」
 取り繕うために訊いてみる。実際キスだけでも一時間以上していたのだから、食事としては十二分だろう。千里も今頃気づいたのか、はっと尻尾を強張らせてから細かに振った。
「うっ。えへへ、そうですね。すみません。あんまりカオカさまがお優しいので、つい……。堪え性がなくて、お恥ずかしいです」
 照れてはにかむ千里の三角耳が片側だけ倒れている。あの耳どういう構造になってるんだろう。撫ぜても柔らかかったし、作り物ではないだろうけれど。
 視線に気づいた千里が瞬きした。また命令でも待っているのか、わたしをじっと見返してくる。その黒い深みに肺のあたりが甘く疼いた。い、やだ。なんだろう。もう。それでようやく今の格好を恥じる気持ちがわいてきて、慌てて髪に手櫛を入れた。制服も、カーディガンも、よれよれだ。みっともない。
「カオカさまに、お口以外にもこんなに美味しいところがあったなんて。もっと早く知りたかったです。なんて、贅沢ですよね」
 こちらの隙を見事について、至近距離からすごい言葉が耳に直接押し入ってくる。尻尾を左右に振りたくり、あどけない仔犬みたいに鼻と鼻とを近づけて、ああもうこの子は何を言っているのかわかってるんだろうか。無邪気な笑顔は、学校で有名な可愛い女子の誰よりずっと魅力的で(冬子先輩は別)、敗北感と悔しさが甘い鼓動にこね混ぜられる。このまま気にせず固めて焼いたら、どんなお菓子になるんだろう。
 こんなのずるい、ありえない。わたしがいなくちゃおなかをすかせてお家に帰れなかった保護犬のくせに、もう、もう本当に、もうっ。
 俯いていた顔をゆるり上げ、ほとんど同じ高さの可憐な唇を睨む。そのまま、
「ん」
 許可も得ないで、わたしの方から可愛い仔犬にキスをした。
 柔らかな唇の弾力と、この一週間で慣らされた獣くさい息の、におい。夢中になりそうな自分を抑えて、反応を窺う。
 ほへと口を半開きにして、ただ目を見開いて固まっている。なんだかおかしくなってそのまま、今度はわたしがふっくらした唇に唾液で舌を濡らして押しつけ割り入った。羽織の飾り紐を引き寄せておくくらいなら大丈夫、まだ少しは力も入る。紐についた鈴がりん、と鳴り、わたしの舌はさらに深くまで千里のそれを探しに入る。
「ん…、ちゅ、むぁ、ふ……」
「ふぁぅ、んっ……? あ…の、んっ」
 歯列をなぞるとぴくんと千里の肘が跳ねた。構わず続ければ、じきにとろりと瞳が潤む。
 雨が窓ガラスを伝う細い光の乱反射。撒いた砂つぶが踊り跳ねる屋根の雨音。
 食事のときとは少し違う、応え方で誘われるまま千里もわたしを食み返す。自然と手と手をつなぎあい、深く、浅く、互いの呼吸を分かち合う。
「はぁ、カオカ…さま……これ、へんです…ん、ふっ……」
「いや?」
「わ、わかりませ……ん…っ」
 戸惑った不安そうな声に煽られてまた口をふさいだ。握り合った手に力が込められる。
 合間に薄目で確認すると、羽織の隙間からちらりと見えるふんどしに、はっきり皺が寄っていた。安心と驚きと嬉しさが、一緒くたの温かさになる。――この子にとっては「性行為」じゃないかもしれないと心配だったけれど。ちゃんと、反応してくれている。
 このまま誘ってみたら。きっと、初めて受け身じゃなく、この先に行ける気がする。わたしに似て断るのを苦手にしているこの少年が、わたしみたいに肌を許して受け容れてしまうだろうことは、短い付き合いでも予想がつく。そのつもりでここに来た。
 でも。
 でも、その。このまま進めてしまったら、生憎ながらわたしの方に、問題が発生してくるような気がする。
「……ふ、はぁ」
 外気よりも温かく、同じくらいに湿った吐息を交わしてから――そっと顔を離す。
 千里は息を弾ませて、ぼうっとされるがままになっている。
「あの、千里」
「は、はい」
 現実ってうまくいかない。
「ちょっと外に出てくるから、待ってて」
 あまり、自分からは言いたくないんだけど、ぼかしても伝わらないだろうし、仕方がない。
 ため息をひとつ漏らして肩を落とし、小休憩の理由を告げる。
「トイレ行ってくるね。すぐ戻ります」

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