第十二章 / わたしが千里と遊んでいたら、あっという間に日が暮れる
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はぁ、はぁ。と。
互いの呼吸に混じって、重なり合った胸元から鼓動がどくどく肌を打つのが聴こえる。
仰向けに倒れこんだ千里にぴったりくっつくようにわたしも打つ伏せて、汗で気持ち悪い制服で羽織に抱きつき息を荒げている。
夢中になりすぎていたせいで、息が整うまで、だいぶ時間がかかった。……我を忘れてしまうなんて、飼い主として由々しき事態だ。
首を緩く左右に振ってから、怠い上半身をなんとか少しだけ起こした。なんで胸が膨らんでいないのだろう?と不思議になってしまうような、少女めいた胸板に手をついて、千里の顔を覗き込む。わたしの長い黒髪が千里の顔周りで乱れ、ヴェールのように広がっている。
ふと気がつく。これが本来の騎乗位というべき格好なのだろう(下になった千里に尻尾があるので、腰だけが一段浮いて、わたしが膝をついて支える形になっているのが変則的ではあるけれど)。なんだかわたしと千里だけの格好という感じがする。またしてみたくなってきたけど、腰が怠くて、やっぱり、さっきみたいにはしばらく動けそうにない。
「千里。……千里、大丈夫?」
汗まみれの紅顔をピタピタと叩いてみる。返事はない。
半開きの瞳は涙を浮かべて、うつろに天井を見つめている。意識が飛んでいるのだろうか。
「一度、体勢、変えてみようか」
呟いて、抜こうと腰を浮かすと、追いすがるように千里が反射的に腰を突き上げた。
「ひぅぁ!? ぁ、やっ!」
いきなり奥にぱちゅんと突かれて、わたしは情けない悲鳴ともに倒れこんだ。そこから数回、突き上げられて、全身から力があっさり抜けてしまう。
……もうだめ、やっぱり、からだがもたない。
抜き差しが止まったので、意識して深く息を吸う。
「んっ、う……ン、」
気力を振り絞って千里をなんとか抑えこみ、腰を浮かして、入っていた肉を抜いてしまう。栓がなくなって、こぼれものが、まだ元気な「男の子」にぽたりぽたりと降りかかる。
名残惜しそうなか細い悲鳴だけが、意識を抉った。
「ごめん、ね、わたしもきゅうけ……」
まだ朦朧としているらしい千里の隣に、転がるように倒れこんで、うつ伏せのまま、わたしも呼吸が整うのを待つことにする。
けれど、迂闊な香緒花は肝心なことをしていなかった。
飼い犬に、「待て」の命令を、忘れていたのだ。
「え、あっ!? やっ――」
腰を掴まれて……いると気づいたときにはもう、後ろからひと呼吸で深くまで、貫かれていた。
上半身は伏せたままで、お尻だけを軽く持ち上げた体勢にされている。
すぐに抜き差しが始まる。
「あ、えっ? あっ、ああ、あっあっあああっ!」
千里はなにも言わない。息が荒いことしかわからない。わたしはいやらしい声しか出せない。
肘をついて俯いたまま、顔も上げられずに揺さぶられる。こぼれ落ちた唾液が、マットの埃にしみていく。壁まで軋む動きに揺られて、束ねられた飾り紐が転がり鈴がちりんと鳴いた。
「あん、や、待って、ああっ、千里なんで、だめ……ッ」
「すみませっ、は、でも、なんか、これ、すごく、ぼく、ぁっ、…」
千里がようやく、途切れ途切れに言葉を返してくれたけれど、全然、説明になっていない。さっきよりずっと激しく、出入りするおちんちんはパンパンに大きくなっていて、滑らかな腰の動きも止まらない。こんな格好、教えてもないのにできるなんて、やっぱり、彼らにとって本来こういう交わりが自然、なのかもしれない。
考えてもどうしようもないことが、熱で浮かされた頭をよぎっては、薄れ掠れて消えていく。
ソプラノとアルトで、「あ」と「や」の入り混じる掠れた合唱を聴いているのは、わたしたちだけ。水音の伴奏にあわせて規則的に、肉と肉がぶつかる乾いた音もする。
そのうち、千里は挿れたままわたしに覆い被さり、からだ全体を密着させてきた。
起き上がろうとした瞬間にそうされたので、重みでかくりと肩が沈んだ。
体温のたまらない生々しさに目を瞑った。
視覚を遮断して古びたマットに鼻先を埋めていると、突然、ふっと、埃っぽいにおいと一緒に、繊維深くに染みついていた煙草のにおいが喉をついた。長い舌で首筋をぺろぺろと舐められる、お腹の下の分厚い布の層、もう一度顔を上げれば、体育倉庫の汚れた壁と、埃の積もった跳び箱と。
急に心細くなった。
「ぁ……ぃやだぁ」
泣いていた。
ぐすぐすとしゃくりあげる肩を沈めて、溺れる。
ここで。よりにもよって、先輩とわたしの、場所で、こんな後戻りのできないことになってはいけなかった。知りたくなかった。
遅すぎる後悔がぐちゃぐちゃの心に入り混じり、泡立つ。なのにこんなに、気持ちがいい。
「あぁ、ぁあっ」
ちゅ、ちゅ、とかすかな水音で抜かれて、息を呑む。背がしなる。
肘が崩れそうで慌ててマットを掻いたところでぐうっとかき分けて押し込められる。指の力を強めないと逃せない波が背からざわざわとものすごい残響を残して襲いかかって、去っていったことを、汗まみれの全身を千里に擦りつけている自分に気づいてようやく思い出す。
「あ。ごめん、なさい、カオカさま、出そう、です。また、だしま、す」
い、い。まのは、なに。
千里が話しかけてくれたのにも、反応できない。
「ぁ。……あ、あ。あっあっ、はっ」
理解できないうちに一定のはやさでからだのいちばん深いところが、脈打ちはじめた。
これ。だめだ。
脈打つ強さはそのまま、肉のかたまりが出入りするときの激しさ、汗でべたつくスカートが、派手な和布に触れるたびに感じる規則正しいその動き、湿った髪が耳の穴に入る。気持ちわるい。
わたしはしゃにむにマットの粗い布地に爪を立て掻きむしり、声を抑えながら誰からみてもわかるくらいはしたなく、腰を震わせていた。
だめだ。だめだ。気持ちわるい。こんなの、こんなの、もう、もう少しで、きっと、
天に昇るって、こういうことなんだと思った。
どのくらい交尾が続いていたのかは、わからない。
それから、千里もわたしも、数え切れないほど、いった。
制服は汗まみれで、もうスカートなんて履いている意味がない。獣くさい雄犬のにおいと、千里曰く「宵蜜煮」みたいなにおいは、かき混ぜられてマットに染みついてしまっている。
……いつの間にか、高窓から落ちる光が薄くなっている。
くぐもった意識に遠く霞む聴覚に、風鳴りに紛れて、かすかな足音。
真面目な運動部も、じきに練習を切り上げる時間かもしれない。
もう掠れている喘ぎ声を、それでも隠そうとするくらいの理性は残っている。口を覆って、押し寄せる快感を待ち受ける。
たまにやってきては遠くで止まり、新倉庫からなにかを持ち出しては去って行くはずの、それは、なぜか止まらずに、近づいてきた。
なぜだろう。この音、知っているような気がする。
錆びついて歪みのある重い扉が横に動き。
光が一筋、斜めに淡く差し込んだ。
視線の端に、ふとももの上で揺れるプリーツのひだ。そこから伸びた細い足、泥跳ねで汚れたローファーのつま先。
ゴロゴロと、扉が引き開けられる音。
――それは突然取り戻された、人の世の常識的な理だった。
「香緒花?」
死ぬほど聞きたくて。今だけは聞きたくなかった、声がした。