目次

千里の裾野

プロローグ
1
第一章
1 / 2 / 3
第二章
1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6
第三章
1
第四章
1/ 2
第五章
1
第六章
1
第七章
1 / 2 / 3
第八章
1 / 2 / 3 / 4 / 5
第九章
1 / 2 / 3 / 4
第十章
1
第十一章
1 / 2 / 3 / 4
第十二章
1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8
エピローグ
1(完)

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第二章 / わたしは千里を拾うことにする

 
5

「それでは、」
 と、千里は改めて長羽織の裾を握り、濡れた睫毛をそうっと伏せて、両膝をしずしずと割り開いた。
「ご教授願います。カオカさま、どうぞ」
 はにかみながらも主張の強い双眸。性のにおいも薄い柳腰を取り巻いているのはふんどしの腰紐で、華やかな裏地の挟間から結び目が覗き見える。未熟な性を内に隠した、膨らむ前垂れとの隔たりは、千里の容姿と性別のずれを象徴しているようでもあった。
 今更言っても仕方ないけれど、この状況をどう受け止めたらいいのだろう。汚れた体育用マットの上で差向いに正座して、生徒会役員は制服で、異界の少年は尻尾と三角耳で、これから性戯の話をしよう。状態。もうつっこみどころしかない。どうぞと言われましても困る。
「あ、うん、でもね、さっきも言ったけど。実際に見たことはないから、よくは知らないの。教えるっていうか、……さ、触ってみるしかない、っていうか」
「カオカさまがですか?はい、あの、……お待ちくださいね」
 するりとふんどしを解き始めたので慌てた。なにか前提に重大な齟齬があるんじゃなかろうか。
「ち、違うってば、千里が自分で」
 確認程度だったわたしの言葉に、
「……え…?」
 今度は千里が狼狽した。すうっと顔を青くして、わたしの顔と緩んだ下着を見比べる。
「えっ、なに?」
 予想外の反応にわたしも思わずうろたえる。なにか変なことを言ったろうか。
 ま、まさかと思うけれど、わたしがするわけじゃないよね。それはちょっと、いくらなんでも無理なんですが。問題はまたあんな顔されたらどうしていいかわからないということだ。なにか別の理由でありますようにと一筋の希望に縋りつく。
「なっ、なにか問題ある……の?」
 ないよね、ないと言ってください。
「いえ、あ、あの、問題といいますか、あのその不浄なものでだから掟で排泄以外で触れることは禁じられてあのっ」
「お、落ち着いて」
 わたしも落ち着かないから!
 千里は涙を浮かべて解きかけの腰紐を握りしめ、おろおろ声を震わせる。
 ちなみに、そこでストップされたせいでふんどしの脱ぎ方を初めて知った(特に知りたくなかった)。なんていうかその、あれです。ちょっと違うけど、いやらしいこと用の下着と似た構造っぽい。薄い布を巻いて、腰の脇で結んだ紐に通して引っかけるだけ。お祭りとかで見かけるのとも違って、見た目がきれいな千里がつけているからこそ妙に艶かしい。尻尾のあたりがどうなっているのかは気にならなくもないけれど。
 千里は青ざめて目を瞑り、やがて薄く開いて膝を見つめた。たっぷり逡巡したあとで弱々しく首を振る。軽やかにうねる毛先が揺れた。
「……やっぱり、だめです。ぼくは、まだ、子どもですから。試練を終える前の未熟な者は、不浄な部位に触れる行為を強く禁じられているんです。試練中について訊いておかなかったぼくも悪いんですけど、でも、もし掟破りということになってしまえば、歓楽に戻れなくなってしまうかもしれません」
 千里は深刻そうだけれど、わたしは逆にほっとした。今の話を聞く限り、……きっと、大丈夫だろうと感じたからだ。
 『幼いうちはしていけない』ということは、大人になったら性的行為をしてもいい、とも受け取れる。ということはつまり、彼が少年から男になるための通過儀礼というのが、まさに今からすることなんじゃないんだろうか。うん、そうだ。そうに違いない。まあ、自分の都合のいいように解釈を捻じ曲げている自覚はあるけれど、教えるだけでもギリギリなのだ。好きな人ならともかく、いくらいい子で可愛くても、わたしだって誰とでもそういうことをできるような軽い子にはなれないし、なりたくない。
 臙脂のリボンタイに右手を当てて、心静かに深呼吸。よし。
「あのね、千里。わたしの考え、聴いてくれる?」
 怪訝そうに、それでも居住まいを正した少年が三角耳をぴんと立たせる。
「千里のところの偉い人が、こっちの世界のわたしみたいな子になら、やり方を教えてもらえるって言ったんだよね。だったら、いけないことじゃないと思う。この世界ではね、男子は自分でやり方見つけるんだよ」
 直接、見たわけじゃないけれど。そのはず。きっと。
「だ……だからね。ひとに触ってもらうまえに、まずは自分で触らなきゃダメなの」
 これは少しだけ嘘かもしれない。まぁだいたい合ってると思うし、別にいいということにする。いきなり性の目覚めから女の人に指導してもらう男子なんて、天然記念物より少ないだろうし。
「で、でもっ。じ、自分でなんて……」
 千里は青くなったり赤くなったり忙しい。わたしだったらいきなり初対面の人にというくらいなら、自分でした方がまだいい気もするけれど、そこはまた感覚が違うのだろうか。ともかく、もう一押しだ。がんばる。
「触っちゃいけないっていうのは、嘘じゃないかな。というか、わたしは、自分でするやり方しか知らないから、そうじゃなかったら教えられない」
 千里は黙って長い睫毛を伏せた。
 震える指で再び腰紐に指をかけ、するりと解き前垂れを外す。前垂れはお尻の下に敷いたまま腰紐だけを後ろによける。さらに上着を前で合わせ留める飾り紐の結び目も器用に解いて、隣にはらりと束ねて置いた。
 華やかな牡丹柄が雲間の陽射しみたいに横へ広がり、幼い胸板と、しとやかな見た目に似合わない大人の部分が露わになる。顔をほのかに上気させ、千里は持て余した手のひらで上着の襟を握り締める。
「あの、次は……」
「え、ええとじゃあ、そっか。えっと。握ってみて。……自分で」
 弱気な目を見て付け加える。だから耳も尻尾もしょげないでほしい。わたしも慣れないことで、薄暗がりとはいえ匂いたつしっとりした肌を間近で見せられて、逃げたいのに逃げられなくて、すごく居た堪れない気分なのに。
「千里」
「うぅ……うそです…こんなの」
 名を呼んで促すと、真っ赤になってうぅとかあぅとか呻きながら、おそるおそる、可愛らしい人さし指を、半勃ちになったものへ近づける。尻尾が下へ垂れ下がり、時々救いを求めるように潤んだ瞳がわたしを捉える。だめだ埒が明かない。思いきって手を添えて、そこへ導く。
「ほら。そんなに難しくないから。ね」
「あっ。あっ!?」
「そのまま」
 恥ずかしさに囁き告げて、触れたところで手を固定。
「え、あっ……う」
 くっと握り。暫し千里の全身は硬直した。わたしはわたしで、気づかれないように添えた指を離しながらも心臓が痛いほど早鐘を打っていた。握らせた勢いで少しだけ中指の腹に熱が掠めて、その一瞬でわたしの方までにおいが染み通り始めたようだった。気のせいだ。気のせい。
 錯覚を振り切ろうと拳を膝で握り込み、目の前の変化をただ見つめる。
 しばらく、千里の時間は止まっていた。次第にふるふると腰が震え、おそるおそるだった手は肉茎を握りなおし、勝手に緩々と前後へ動き始めた。
「ぁ……んっ……」
 ここまでくればもう教える必要なんかなかった。戸惑いながらも本能に従って千里は手の中のものを何度も何度も擦り続ける。
「はっ、ふぁ………、うそだぁ、なに、なにこれ、なに……これぇ」
 べそべそと泣いては、すっかり大きくなったそれをいつの間にか両手を使い扱きあげている。その部分だけにフォーカスすれば、背後にいる別の少女が扱いているように見えなくもない。そのくらい、充血しきった陰茎はごつごつしていて大きくて、小柄な千里に似つかわしくない。
 それどころか人間のモノより大きいくらいじゃないか、と、思う。
 動きに応じて千里の息はどんどん早く、荒くなる。もうわたしのことは意識にない。まるで暑い日に車庫のアスファルトにぺたんと打つ伏せ息荒く舌を出す犬。
 その斜め前に膝立ちになって。立ち見席から映画を見ているみたいな、他人事みたいな気分でわたしは千里の自慰を眺めていた。付き合って、セックスしたからって、彼氏の自慰を見たりはしない。だから新鮮だった。千里につられて心なしか息も浅い。からだの奥が熱くなる。
 うん。手の動きがすごく、はやい。こんな風にするんだ……。直接見たわけじゃない、知識だけでしか知らなかった、男の子の自慰行為。それが今、ここにあるんだ……
 わたしも自然、前のめりになっていた。前髪と前髪の毛先だけがもつれる程度の至近距離で、覗き込む。それが刺激になったのか、甘やかなアルトが切羽詰まった声をあげて腰がびくびく震え始めた。慌てて手元に広がっていた布を庇うようにして濡れて勃ちあがった先端にぐっと被せる。
 間一髪だった。
「っ………!っ、ぅっ、ふ………っ!!」
 声を殺して身を丸くしたからだが何度も震えた。布越しに粘つく温みを感じる。柔らかな赤髪は額や頬に汗で張りつき、半開きの唇からも唾液が一筋伝って、やがて吐息に溶けて消えた。額を触れ合わせた先で、はふはふと息を荒くした千里が涙を滲ませた。なんだか場違いに可愛くて、口元が緩む。
「できたじゃない」
「……ぁ、りがとうございます……」
 褒めたわけじゃないのに、千里は褒められた犬のように嬉しそうに目を細めてわたしの肩に額を押しつけてきた。

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