第九章 / わたしは千里にご褒美をあげる
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んむ。と唇を強めに押しつけてから、千里の反応を薄目でそっと確かめる。さっきより軽いキスなのに、目を見開いたまま、はふりと惚けてしまっている。可愛くなって、もう何度かおまけでちゅ、ちゅ、と小鳥のようについばんだ。そのかたわら、絡めた指をほどいてゆっくりとあるべき場所に戻してあげる。手と手が離れる一瞬、甘美な視線が名残惜しげに交わった。
千里はわたしの様子を窺ってから、こくんと小さく頷いた。マットの縫い目に膝頭を添わせて脚幅を広げる。またも両手の指を輪のかたちにし、半勃ちの陰茎を包みこむ。
「それでは、します……ね」
囁くようにひとこと呟く。最終確認のつもりなのか、黒い瞳がわたしを見つめる。やがて彼は腰を突き出し、目を伏せて、ゆっくり、しにゅしにゅ扱きはじめた。
「あっ……、あっ…、あっああっ、……ぁっ」
気まぐれな雲間から、淡い光が降ってきたのだろうか。膝のあたりが僅かに白んだ。
艶めく赤毛が、額の汗で湿っていた。一生懸命に気持ちのいい肉の塊をこすって、心地よさそうに喘いでいる。それでも時々、切なそうに眉をひそめて、わたしの方をもの言いたげに見つめてくる。いじらしくも褒め言葉を待っているかのようだ。今もほら。まなざしに期待を寄せて耳がピクンと揺れている。
「ん。上手だよ」
「は、はいっ、ありがとうございま、すっ……」
あとは、しばらく互いに無言だった。はっはっという犬の浅い呼吸が、薄明りの倉庫に満ちている。わたしは鼓動と一緒にそれを聴く。
雨音はもう、霧を透かしたくらいの細やかさでしか届かない。わたしの濡れて冷たくなっていたショーツは、また、溢れるものでふやけて温くなっていた。ふとももが生温くて気持ち悪い。
千里の白い手から見え隠れする赤黒い肉茎も、いろんな液体でねとねとしていた。生乾きの精液が透明な先走りで溶かされたみたいにぬらついて、先端の小さなくぼみに溜まっている。指の輪が亀頭に半分かぶるたび、ぶちゅぴちゅとやらしい水音が響く。
千里は一心不乱に気持ちいい行為に没頭している。それでも、たまにわたしを窺う目つきだけは変わらずに媚びて、いて。……出してもないのにもうご褒美が欲しいらしい。褒め言葉だけじゃ足りないのだろうか。
でも。もう、撫でまわすだけじゃ「わたしが」足りない。
こくん。と唾液を飲み込んで、ほのかな緊張感を押し込める。
「目、閉じて」
囁くと、犬は自慰を続けながらも、忠実に命令に従った。撫でやすいように、少し頭を下げ気味にしているのが滑稽で可愛らしい。キュッと目を閉じた整った少女の顔を鑑賞し羨んでから――頬に手を添え、顔をまっすぐ向けさせて、ご褒美の口づけを、してあげた。
「ふっ?」
思わず出たらしい声は、わたしの唇に吸い込まれてくぐもった。千里はまんまるに目を見開いて手を止めている。構わずついばむキスを繰り返し、隙を逃さず唇を開けさせ、強引に前触れなしに舌を入れた。
「え、……あふっ、ふぁ…ふむっ。あ、……ふぁ」
歯列をなぞるたび、くっ、くっ、と弱く感じて、大きな瞳が潤んでいく。ああ、なんて気持ちのいい粘膜の触れあい。まるで、今度はわたしがこの子を食べているみたいだ。うねる赤毛に指先を入れて、頭を抱えたまま、もっと深くまで食べていく。
「んっ、かは、カオカさ。で、できなくなっちゃっ、ふっ…あ、あ」
そんなことを言いながらも、陰茎を握る両手は離さない。それどころか、動かそうとたまに頑張っているのだから、ほんとにこの子はいじらしい。
あんなにいやらしい「食事」ができるくせに、わたしの「キス」に応じる動きは、びっくりするほど臆病だ。舌先をつつきあわせれば怯んで逃げ、ふっくらした唇の端から涎が伝うと、液体を通して電流が走ったみたいに頭から肩までがぴくぴく震える。
「あぁ…、ふ、カオカさ、ま、あの」
三角耳が弱々しく下向きに垂れる。唾液の糸をくぐる吐息が生臭い。
「なあに?」
「あ、あの……ぼく、ちゃんと、美味しく…なってますか…?」
不安そうに訪ねられた言葉の意味がわからない。思わず顔を離して瞬きしてしまう。
俯いて、木魚をたたく音を頭上に響かせ黙考して……合点した。
つまり。千里はわたしのキスも、自分みたいに「食事」をしているだけだと思っているらしい。