目次

千里の裾野

プロローグ
1
第一章
1 / 2 / 3
第二章
1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6
第三章
1
第四章
1/ 2
第五章
1
第六章
1
第七章
1 / 2 / 3
第八章
1 / 2 / 3 / 4 / 5
第九章
1 / 2 / 3 / 4
第十章
1
第十一章
1 / 2 / 3 / 4
第十二章
1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8
エピローグ
1(完)

作品ページへ戻る

第九章 / わたしは千里にご褒美をあげる

 
2

 ゆっくりと、目が慣れて、細部の動きが見えてくる。
「ん、んっ、はぁ、んッ」
 儚げな少女のシルエットから異様に突き出ている、長くて赤黒い肉茎。濡れた睫毛を伏せて、白い両手をふたつ重ねて「それ」をぬちゃぬちゃ扱きあげるたび、尻尾はぱたぱた振れる。愛らしい犬耳がピクンと震えるのは、感極まった証拠だ。ひと呼吸だけ、慰める指を休めるしるし。
「ふっん、んぁ、ああぁっ……! んぁはっ、あぁ、ひゃひぃ、はっあっはぁっ」
 ……ほら、思ったとおり。あの子のやり方は、わたしが一番よく知ってる。何度も見せられたから、わかってる。
 覗き窓はとても狭くて電気もついていないから、表情や細かな動きはわからない。でも、手つきの性急さがその分目立っていやらしい。カーディガンの第二ボタンをぎゅうと包んで、口の渇きを自覚する。見ているだけで、濡れた下着がまた、どうにかなりそうな気がしてきた。心臓の音がうるさい。わたしのからだのくせに。いうことを聞いてほしい。やらしい鳴き声が聴こえない。
 次第にいつもの、射精前の千里の姿勢になっていく。
 何度も見た。全部間近で、触れるほど近くに見てた。だからわかる。きっと、いきそうなときの顔、してる。遠くから見守るのは、……初めてだ。
 ごくりと喉がなる。
 もっと、近くで、見たい。でもタイミングがわからない。
 そうこうしているうちに千里の動きはみるみるうちに切羽詰まって、最後にひときわ大きくなって高い声をあげて。一瞬、止まった。
「っ……! ん! ん…ふ……っ」
 小さなお尻だけがリズミカルに、押し出すような動きで震えている。
 ……出てる、んだ。ちゃんとわたしが最初に教えたとおり、マットを汚さないように下着で精を受け止めて、お行儀よく射精している。
 そう。そうだ。わたしが教えたやり方しか、あの子は知らないのだ。
 知ろうともしない。信じているから。こんなにだめな飼い主のことを。
 喉の奥あたりからじんわり温かいものがのぼってくる。独占欲と達成感とが、胸を焦がす蜜の中に数滴の苦さをぽとりと落として入り混じる。別の意味で、からだの奥がくつくつ弱火で煮えてきた。
 今度こそ身支度を整えるまで待って、入ろう。今すぐ耳の和毛を撫でまわしたいのはやまやまだけれど……、あの子がわたしを思ってくれるまっすぐさには応えたい。嫌な思いをさせたくない。
 それでも疼く衝動を逃がそうと、はぁっと詰めた吐息を漏らす。続けて深く息を吸って、扉に手をかけたタイミングを見計らったかのように――
 すすり泣きが、聞こえた。かすかな水音も。
 そっと隙間から覗いてみれば、二度目の射精を終えたはずの千里が、また前のめりに背中を丸めていた。輪にした指で忙しくなにかを擦っている。喘ぎに混じる切なげな呟きが、おさまらない勃起のことを遠目からでもわたしに教えてくれていた。
「あ、ん、なんで……、出たば、かりっ、なの、に。 なんで、カオカさま、帰ってきちゃうのにぃ……だめ、な、のに」
 ぴちゅ、ぶちゅ、ぷちゃ。
 ねっとりした水音が鼓膜をいやらしく震わせ愛撫してくる。出したばかりだから、白濁液が粘ついているの、かもしれない。
 扉の隙間に差し込んだままの指先も、思わず熱くなってしまう。つなぎあっていた手指の心地よさを肌が憶えているせいだ。鼓動がうるさい。
 もしかしなくても、わたしのせいだろうか。他者によって引きずりだされる性衝動は、消極的なそれよりも波のうねりがずっと大きい。わたしが千里の「食事」でいきまくってしまったように。
 それにあの子は性感の目覚めから、まだ一週間も経ていない。「試練」とやらで発情期を迎えることになっていた、若い雄。さっきのわたしは、そんな獣に交尾の誘いをかけたようなものだ。そうだとしたらあの肉茎は、わたしという雌に子種を射つまでおさまらないのかも。
 って、う、うわぁ。なに。いやだなに。なに今の想像。馬鹿じゃないのわたし。頭おかしい。
 どうしよう突飛な妄想なのに頭から離れない。だめだ。予定外の事態だ。もうだめ。千里には悪いけれど、これ以上知らないふりして覗き魔を続けるわけにいかない。あと正直、狭い庇だけで遮れない雨が背中にかかって、少し冷たくなってきたのもある。
「……ごめん、千里」
 懺悔して、目を瞑り、心を決める。
――がらり。
 今度こそ躊躇なく扉を思いきり引いて、一歩入った。
 瞬間、
「ふえぁっ!?」
 悲鳴をあげて凶悪に愛らしいのがこちらを見てきたような気もした、けれど、ここは知らないふりをします! 顔ごと逸らして、重い扉をぐっとしめる。覗き窓の一本線も残さぬように、きっちり、がぉんと鈍い金属音の反響までも聞き届ける。雨に濡れた黒い毛先が、腰で揺れた。
 そのまま、心を落ち着かせるため、三秒数える。息を吐ききってから、吸い、飼い主の威厳を崩さないよう自戒して、毒のある光景をいざ目にせんと振り返りながら目を見開く。
「ただいま、せん……」
 虚勢をはった挨拶が、つい途切れた。
 乱れた赤毛。涙の筋。ずり落ちそうな羽織からのぞく、桜色に染まる肌。折れそうなほど繊細な手首が重なったふとももは、薄明かりにしっとり汗が照らされ、ふるりと弾けていやらしい。尻尾はくるりとお尻の下に垂れ下がってる。股間のものさえなければ半裸の美少女といって差し支えない異形の少年。が、半勃ちになったものを隠すようにぺたりと座っている。立ち上がった三角耳まで湯気が出るほど上気させて、わなわなと半開きにした唇を震わせて、潤んだ瞳に水晶をいっぱい溜めながら。
「あ、あうあ、ぅ、えと、あぁぁカ、カオカ、さ……」
「……ただいま、千里」
 自制のきいた自分を褒めてあげたい。声は裏返っていましたが。欲を言えば笑いかけてあげたかったのだけれど、ごめん。わたしにも、そこまで余裕がないみたいだ。
「ぼ、ぼく、ぼくごめんなさい、あのっ」
 色を失った頬に、蒼ざめた唇。なで肩をふるふるさせて泣き出す寸前の千里を見つめて、ゆっくり前に踏み出す。障害物を乗り越え、ボール籠の間をすり抜け、近づいていく。長い睫毛のふちで、涙の粒はどんどん大きくなっていく。ぽろりと頬を伝い落ちる寸前で、靴を脱ぎすて膝をマットに乗せられた。これでようやく、手が届く。
「ごめんなさい、カオカさまっ――」
「ありがとね、千里」
 ふわふわの頭を、優しく撫ぜた。
 びくっと震えた千里が、こわごわと上目遣いにわたしを見てくる。言葉に詰まる。じゃなくて。ああもういちいち動揺してどうする。飼い主なんだからしっかりしなくちゃ。
「えええ、えっと。ね。わたしが前に、『もう見せないで』って言ったの憶えていてくれたんだよね。だから、わたしに見えないところでって頑張ってくれたんだよね?」
「は……はい。でも、あの全然おさまらなく」
「ありがとう。わたしのこと気にしてくれて。嬉しかったし、怒ってないから」
 また謝ろうとするのでやめさせる。もう一度、耳ごと髪を撫でてみて、ようやく笑えた。
 おそるおそるあげられた顔に血色が戻ってくる。表情もふんわりとほころび、花咲くような甘い笑顔が広がった。尻尾がぱたぱた左右に踊りだす。
「は、はい。はいっカオカさま! ぼく、頑張りました……っ」
 今にも飛びつきたそうに腰を跳ねさせて、明らかに表情で催促してくるので、もうちょっと撫でてみた。ふにゃりとした微笑み。
「えへへ」
 はにかんでいる。ますます巻尾がぶんぶん振れる。あれしきの褒め言葉で大はしゃぎだ。ちらりと見える牙が可愛い。そしてやっぱり、無防備な半裸姿は目に毒だ。……まだ、あれ、大きいままだし。
 ああ、もう。どうすればいいんだろう。
 こみあげてくる衝動に、頭へ乗せていた手を離す。そのまま、もどかしい欲望に蓋をするよう、大事な場所を隠していた千里の手首を片方だけ取り、手を握り、指を絡めてみた。濃い精のにおい。ねばっとして、濡れていた。
 片手では隠し切れない熱のありかを思い出したせいか。わたしの行動に、困惑したせいか。千里は笑顔を薄めて口をつぐむと、おそるおそる絡めた指を握り返してきた。乾きかけの精液でぺたぺたする。
 雨音が、少し、遠くなった。
 千里が、つながれた手を見つめながら、申し訳なさそうに切り出してくる。
「あ、あの。ぼく頑張ったんですけど、まだ、なんでか、熱、たまったままで……そ、その」
「うん。わかってる。いいよ」
 頷くと、明らかに千里が安堵する。
 ああ。臆病なところ、やっぱり、わたしに似ている。愛おしさがこみ上げてきて、わたしの声音もやわらかになる。
「やめなくていいから。……千里の頑張ってるところ、また見せて」
「は、はい。カオカさまが、そう仰るのでしたら」
「うん。見せて」
 でもその前に。と、わたしの方からさっきみたいにキスをすると、千里の隠しているものが、びくんと震えて大きくなった。

back index next