第九章 / わたしは千里にご褒美をあげる
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うん。
まあ、……広義では「いただいている」のだけれど。
誤解をとくには、なんと説明したものだろう。肩より前に落ちていた髪になんとなく手櫛を入れ、左耳にかける。腕時計に毛先が絡み、昼の近さが意識される。
高窓の淡い光。六段跳び箱。赤い三角コーン。平均台。
埃まみれのマットの端に、わたしの鞄。その横には、汚れものを包んだ濡れタオル。
大好きなひとがもういない、わたしと捨て犬、ふたりぼっちの体育倉庫。
わたしは、千里を――男の子として好きだからキスしている、わけじゃない。
夏、以来。桧山香緒花はこの行為を、恋しい人以外とばかり何度もしている。もちろん千里は大切な、わたしの可愛い犬だ。でも食べるためじゃない。恋人でもない。だったら。
だったら、なんだというのだろう。
「……わたしのこれはね。食べるためにしているんじゃないよ」
「えっ? え、でも」
「おてて」
驚いている千里に、諭すように伝える。千里はすみませんと頷いて、止まっていた手の動きをまた再開した。ほどなく、快感のうねりが打ち寄せ戻ってきたらしい。少年の些細な疑問は温水にたゆたい、わたしが答えを取り繕うための、僅かな時間を稼いでくれる。
「ねぇ千里。こもった熱を出すの、気持ちいい?」
「はっ、はぁい、んっ……気持ちい、です…」
唇がふさがれるたび、びくっと手を止めてしまうのは変わらないけれど。熱心に扱く手つきはだんだん早くなっている。えっちなキスのたびに、少しずつ。見てればわかる。
「こうして、」
また、唾液で濡らした唇をちゅうと食む。
「んっ……。キスしながら頑張ったら、今までより、もっと気持ちよくなると思うから」
だから、してるんだよ。
半分、嘘で、半分はほんとう。薄めた嘘を消え入りそうに囁くと、どちらともなく期待で頬が朱に染まる。だから、嘘の部分を隠すみたいに、もう一度深く口づける。
わたしは千里の指に、そっと、自分の右手を重ねてみた。思いがけない行動に自分自身が驚きながらも、するりと言葉がすべり落ちる。
「いっぱいしたから、今度は一緒に出してみようか」
「い、一緒に……」
三角耳からうなじまでが、ふわぁぁと桃色に染まる。困惑と喜びの入り混じった表情で、千里は頷いた。視線はわたしの右手に吸いつくよう。
唾を飲み込む。動悸が激しい。したことはないけど、やり方はわかってるつもり。一番気持ちいいやり方は、この子自身が何度も目の前で実演してくれた。だから、なんとかできるはず。
背を屈めて、前に触ったことのあるそれよりずっと大きな、千里のモノを、ちゃんと握る。生温かい人肌。少年の手の方が白くてきれいで憎らしい。
いい加減、邪念を抱くのをやめなさい、香緒花。
悪魔の自分を叱咤して、静かに呼吸を整える。
「一緒に、しよう……ね」
「はいっ…、あっ……、んっ…」
二人で一緒に、千里の熱を出すために、手を動かしていく。合間のキスも忘れずに。ゆっくり、だんだん早く、いつものリズムで、こしゅ、こしゅ、こす、こす、こす。
泣きそうな喘ぎ声と水音が、同じリズムで唱和する。
「すごいです、カオカさまのおてて、なんで、あっあっああああっ、すご、すごいです、なにこれ、あっ、やぁ、すごい…んむっ、ふぁ」
千里はただひたすらに指を上下させるだけだ。わたしはその手にかぶせるようにして、一緒に扱く。
「あっやぁっ……あ、あ、あ、あ、ふぁっ……」
未知の快感に耐える術を千里は知らない。だから腰が本能のまま小刻みに前後するだけの、稚拙な動きで暴れている。勢いあまってたまに小さなふくふくした手がすっぽ抜けてしまう。だからわたしが内側を握り、千里が上から手を重ねる形に自然となった。段差や、脈打つようなところを手が通過すると、可愛く啼くのがはっきりわかる。
また、大きくなってる。すごく、硬い。これ、……えっちだ。おっきい。頭の中には、そんなどうしようもない気持ちばかりが満ち満ちて、行為のことしか考えられなくなってくる。脳みそをさらにぐちゃぐちゃに潰してかき混ぜてくるような甘い吐息が、耳の脇で追い打ちをかけてくる。わたしの呼吸も犬みたいに浅くなる。
「ぁあああっ、カオカさま、これすごい、すごっ……!! あ、あ、ああ、もっとぉ、もっと、それ、してください……!」
「こう? ……気持ちい?」
「はいっ、それ……すご、すごいです。出ちゃう、すぐ出ちゃう、」
じゃあ、受け止める布を、……と思ったら、あいにく千里はふんどしを足首でつぶしてしまっている。
「千里、足、どけて」
「あっ…あっ、ふぁ、あーあーあー……、も出る、ああっ出ます、びゅーって、しちゃっ……」
腰のくだけた千里は言われたこともよくわかっていないようで、言葉が通じない。あっさりと、深々と、悦楽の海に溺れている。華奢な首はのけぞって、腰だけが突き出される。天井を見つめる瞳がうつろになり、焦点が合わなくなっていく。その体勢のまま、本能のままにかくかくかくと勢いよく腰が振られていく。柔肌が桃色に染まり、汗が滴る。だめだとても間に合いそうにない。ちらとあたりに視線をやると、しまい忘れていた、わたしがさっき鞄から出したタオルが目に飛び込んできた。
あれわたしが千里に食べられた下着を包んでいたタオルだったような気もするけどだめだもう間に合わない。
「あーーーっ、あぁあっ、すごっ、出てる…出て、ます……ッ!」
ぎりぎり間に合ったタオル越しに、粘ついた液体がどくどくと放出されるのを手のひらで感じて。約束通りもっと気持ちよくしてあげるため、杏色のふっくらした唇に、わたしのそれを重ねて優しく吸う。このまま上も下も気持ちよさが出尽くすまでは受け止めて、と不意打ちで千里が忘我の境地で本能的に突き動かされたのか突然、勢いよくわたしの舌を舐めまわしてじゅるるるるっ!と吸い付いてきた。
「んんッ! っ、?」
構えていなかったぶん、強烈な刺激で反射的に腰が浮いた。あむ、じゅくくっ、ちゅるうと貪られて逆に舌を強く吸われて舐めまわされ、あっ、そのえっちな音、だめ。だめ。やだ。
散々いかされた獣くさい長い舌でこんなにされたら、からだが素直に覚えた快感を思い出してしまう。だめ。わたし、表情が保てなく、なっちゃう。
いく。
「んぁ、ふ…っ……!」
軽く頭が真っ白になっていく。それでも懸命に押さえたままのタオル越しには、まだ痙攣している雄を感じていた。びくんっと思い出したように跳ね、タオルに包まれた先端が暴れる。
どくん。それでも、また、跳ねて。暴れて。どく、どく、と子種を放って。
「まだ……出て…」
「ぁ……まだ、……びゅって」
唾液の橋がかかる唇から、どちらともなく呆然とした呟きが、耳に温く、染みとおる。
長い長い、射精のあと。
わたしの肩に額を預けた千里が、くったりと動かなくなってしまった。揺すってみると子どものような寝息が聞こえる。短時間に連続して精を放ったから、疲れたに違いない。
ふう、と短く息をつく。わたしもしばらく、正気に戻れそうにもない。あと、わたしも早起きしていたから、実はそこそこ眠かったのだ。
黄な粉色の耳に手を触れ抱きとめたまま、衝撃で起こさないように、ゆっくりマットに横たわる。ベッドと違って固いけど、眠気の方が勝ちそうだ。
目の前にさらりとかかる、赤毛に触れた。涙と涎と汗が混じって湿る肌は、それでもしっとりすべすべだ。半開きの唇を指でなぞる。ピクリと耳が跳ねて口が閉じた。くすぐったかっただろうか?
頬が緩む。
千里の寝顔は、とてもきれいだ。
「おやすみ」
囁いて、わたしもひととき、目を閉じた。
起きたらお弁当を食べて、もっとえっちな続きをしよう。