三月の曇り空は、冬の名残りにしんとしている。
私は白い吐息を隠すようにしてマフラーを巻き直し、足を止めた。
クリーム色の壁をした、二階建ての木造アパートだった。
不思議な気持ちが先に来て、手を繋いでいる人をそっと見る。
反応がないのでもう一度窓を仰ぐと、背の高い幼馴染がようやく笑った。
「ひーこの見ている窓の右下。角部屋だよ」
「……ふうん」
呟きが弱い風に冷えて染まる。
資料だらけの鞄を持ってくれている幼馴染を何度目かに見上げて、私は小さく溜息をついた。
ちらほらと、気のせいみたいに雪が舞う。
空の端が白い。
EXTRA / March winds and April showers
県境を越えて、小さな町から電車で三時間と少し。
海の近くの地方都市、の学生街だった。
合格発表から数日して、手続きと、諸々を済ませにお母さんと一緒にやってきたのだった。説明を受けて資料をもらって、ようやく、進路が確定したのだという実感が湧いてくる。
お母さんとは、大学生協の斡旋してくれたアパートの契約を終えたあと、駅で別れた。
午後から仕事があるそうだ。
一足先に推薦で合格していた幼馴染のイトくんが、ちょっとした残りの手続きや住むあたりの案内をしてくれると駅に迎えにきてくれたので、一切の遠慮なく気軽に手を振って帰っていった。
イトくんがいくら一つ年上だといっても、まだ未成年であることに代わりはないのだし、それもどうかと思う。
……まあ、お母さんらしいといえばらしい。
もっとも引っ越しの日はまだ先だし、私も今日中には帰らなければいけないのだけれど。
市役所などを周り、駅を過ぎて線路沿いの道から踏切りを超えて、まだ咲かない桜の枯れ枝を横目に見て歩く。
信号の向きや電信柱の読めない住所、細かなところがさりげなく違っていてめずらしい。
私のアパートは通りすがりにざっくり教えてもらったけれど、まだ前の人が住んでいるらしく、外から覗いただけだった。
大きな桜の樹が植わっている。
日本海側のこの地方都市では三月上旬なんてまだまだ、冬だけれども。
四月になったらきれいだろう。
ゆっくりと降る雪は、肩にかすめてすぐに溶けた。
そんなふうにして周囲を何ということもなく散歩しながら、歩き疲れて時計を確認してみると、時刻は三時を回っていた。
イトくんも身体は強くないのだし、あまり寒いところで歩きまわるのは良くないんじゃないだろうか。
そう思っていたので、そろそろ座りたいかどうか聞かれて、頷いたのは自然な流れだった。
角を曲がると、名前しか知らないアパートの前に立っていた。
ひと足先に推薦合格を決めて一人暮らしを始めていた幼馴染の家だとすぐに分かった。
訪れるのは初めてだ。
遠回りになっただけで、駅にも私の住む予定の場所にも、どちらもそれなりに近いらしい。
ブーツの甲に落ちとける雪を見つめる。
……それは確かに、住所だけでなく、ちゃんとした場所を教えてほしいと思っていたけれど。
そんなこと自分から言っていいのか分からなくて、恥ずかしいし切り出しにくくて――敢えて言わずに黙っていたのに。
横目でそっと、盗み見る。
すぐに気づいて、余裕そうに見返してきたので目を逸らした。
「なにかな」
……絶対、分かって聞いている。
腕を押して軽く睨むと、僅かに目を見開いてから今度はくつくつと声を殺して笑われた。
「そんなに緊張しなくても、普通の部屋だよ」
「そ、……」
そんなこと分かってる。
相変わらず、この人のからかいには慣れなくて困る。
あまり顔を見られると困るので、俯きながら視線を逸らす。
ついでに逃げようとした手に力が込められて、引きとめられて、手首から先の感覚がなくなった。
頬にまとう空気がさっきまでより冷たい気がして、息の仕方がわからない。
「寒いから上がっておいで。ちゃんとお湯も湧きますよ」
「……うん」
「嫌ならいいけど」
「そんなこと言ってない」
鼓動も心なしか早くなっていた。
やっぱり見透かされている。
自分に呆れて溜息が出るし、悔しいけれど。
イトくんのいう通り、緊張しているのだと認めるしかなかった。