その7
昼休み、イトくんの周りにいつもより人が集まっていた。
お弁当をしまって、図書室に行こうとしたときに気付いた。
何か写真らしいものを見て男子と数人の女子が盛り上がっている。
なんだろうな、と気にはなったけれど、それより複素数の方が私にとっては大事だった。
もうすぐ中間テストと模試がある。
早朝から放課後まで、最近図書室に篭ってばかりだ。
梅雨の晴れ間が数日続き、その日の夕暮れは久しぶりにきれいだった。
夏至が近い今は、七時半くらいになってもほのかに明るい。
段々に薄暗さを増す校舎の影をくぐりぬけ、締め切っていない正門から出る。
半袖の制服に、初夏の夜風が気持ちいい。
と、門の脇に立っていた影が不意に壁から離れ、私に手をあげた。
ただでさえ長い影が街灯に照らされて、私の足元まで伸びている。
「――おまえ、遅くまでよくやるね」
苦笑気味なのがどこかばかにされているようで、少し悔しい。
私は彼を仕方なく見返して、溜息をついた。
「イトくんこそ何やってるの」
「ひーこを待ってたんだよ」
あっさりと言われてしまった。
どう答えていいのか分からず、とりあえず彼を無視して歩き出す。
校舎脇の道路を、数台の自動車がヘッドライトとともに走り去った。
後ろから平気でついてくる気配が、なんだか落ち着かない。
私も話しかけないし、幼馴染もしばらく何も話す様子はなかった。
徒歩で三十分強のマンションに少しだけ近道をするために、暗い公園の方に曲がる。
公園に入ったあたりで、イトくんが沈黙を破った。
「家に帰ってからだと勉強できないわけじゃないんだろう」
私は彼を振り返った。
そうしてまた、前を向いて歩き出した。
「……学校のほうが集中できるから」
「帰り道が暗いだろう」
電池の切れかけた公園の白熱灯に、虫が群がっている。
足が、不思議と止まった。
後ろの足音も、私につられて消える。
「イトくんは心配性だね」
それでわざわざ、待っていることもないのに。
今度は体ごと振り返って、幼馴染を見上げた。
相変わらず読めない表情で見返してくる目は、それでも昔と変わらない色だ。
イトくんは、薄く笑って私の頭を撫でると歩き出した。
今度は私の方が彼に続く。
並ぶのはやっぱり気が引けるので、一歩だけ下がった位置のままで。
「そんなに心配してもらわなくてもいいのに」
私が呟くと、幼馴染は斜め前で肩を竦めた。
「まあ、実際ぼくは頼りにならないしね」
「そんなこと言ってない」
「体力はないし喧嘩は弱いし、逃げるとしてもお前より先に息が切れるだろうね……なんとも情けないけど。でもまあ、いるだけで全然違うだろう。我慢しなさい」
「…だから、そんなこと言ってない」
何回目なのか、また溜息が出た。
イトくんがくつくつと笑う。
公園を抜けたところでまた、前を車が一台通り過ぎた。
ライトが遠ざかって、空はすっかり夜になっている。
私はふと思い出して、緩い坂道で彼に並んだ。
「イトくん。昼休み、何見てたの?」
「あぁ、おまえには見せてなかったね。ほら」
彼は鞄から封筒を取り出して、私に投げてよこした。
「留学してたときの写真。送ってもらった分。暗くて見えないだろうから、返すのは明日でいいよ」
頷いて、封筒をしまいながらまた一歩彼の後ろについた。
地方の県立高校の帰り道は、星がよく見える。
車も人も、そんなに通ることはない。
でも、やっぱり並んで歩く気にはならなかったし、これくらいの方が気が楽だ。