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Scarlet Stitch

本編+後日談
本編 (*R-18)
Extra
番外編
🌸…本編ネタバレあり
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その36

雨と一緒に、吹き散れて雲が去った。
夕陽が淡く沈んでいる。
冬の寝間着を出してきて着替えた。
少し生地が厚すぎて火照りがこもるけれど仕方ないだろう。
体温がゆっくりと穏やかになっていくのが、少し寂しかった。
居間のソファに腰を沈めて一人でいると、風に吹かれてベランダのタオルが、外れて落ちた。

ガラリと音を立てて網戸を引くと、思わず声が出た。
寝間着姿だと、流石にきつい。
「寒……」
ベランダに出ついでに、洗濯物を家に入れる。
風が涼しかった。
にわか雨で湿ったサンダルが足の裏を濡らす上に、汗ばんだ名残の肌にひやりと雨を吸って、洗濯物はしんと冷たい。
乾燥機にかけたほうがいいだろう。
どうせ洗濯途中の寝間着と下着も、乾かす必要があるのだし。
吐息に、秋の風が溶け込む。
――ふと遠くで、音がしたような気がした。
チャイムが鳴っていた。
宅急便だろうか。
一応、パジャマなのでインターホンの受話器を取る。
「はい」
『ああ姉ちゃん? 俺。鍵忘れた』
「何やってるのよあんた」
溜息をついて、抱えたままの洗濯物を洗面所に放り入れた。
チェーンを外すと向こうからドアが開いたので、指先を引く。
「おかえり」
何気なく呟いて顔を上げたところで、視線が揺らいだ。
……弟の向こうに、幼馴染もいて、お土産らしき袋を提げていた。
「ドッキリビックリ、下でバッタリーちゃららん」
「……さっきからテンション高いよアキラ」
「馬に蹴られたい年頃だから~」
珍しく機嫌の良さそうな口調に、疲れ気味の苦笑が重なるのに溜息で答えて短い廊下を踏む。
部活でいいことでもあったんだろうか。
兄さん程じゃないけど、弟も結構気紛れだ。
洗面所に寄って乾燥機を回してから、遅れて居間に戻る。
荷物を放り投げ部屋に入る享から目を離して幼馴染を探した。
――窓際に立っていた。
閉め忘れたガラス戸を引く高い背の向こうに、薄闇が澄んでいる。
雲はもう山の端にだけ薄く被って、陽を翳らせていた。
少し迷って、でも、やっぱり近くにいたくなった。
振り返るイトくんの傍に行くと、怪訝そうな顔が傾ぐ。
「あれ? 寝間着、赤かったっけ」
「……着替えたから」
「いいね、あったかそうで」
イトくんが笑って、上着を掛けに部屋の端に歩いて行く。
私は窓の鍵を閉めた。
「あー俺、シャワー浴びる。お湯出しといて」
ドアがバタンと開き、弟がばたばたと慌しくお風呂の方に消える。
幼馴染が台所に当たり前のように足を向け、お湯の設定ついでにお茶を準備し始めた。
……なんだか寂しい。
窓の傍は隙間風で寒かった。
しまい忘れの風鈴が揺らいでいた。
音がならない程度に、かすかに空気が流れている。
裸足のまま居間を横切れば、絨毯に足音が曇った。
冷蔵庫の脇を通って、細身の背に触れた。
「イトくん」
慣れた手つきでやかんに水を入れていた一つ上の幼馴染は、蛇口を止めて私を見た。
「なんだい」
黙って、紺のシャツ越しに額をつけた。
水滴が、やかんを伝って、ぴちゃんと落ちた。
少しの沈黙の後で、幼馴染がかすかに笑う。
「何かあったの」
「…うん」
自分でも、変な気分だと、分かっている。
部屋が寒いのに血があたたかい。
シャツの背を弱く掴んでいた両腕が、無意識に彼の前に回った。
大きな手が少し濡れている。
重ねられて、冷たいなあと思った。
遠くで、シャワーの水音がこもって聞こえてきた。

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