EXTRA / 3-(1)
青いタオルが水気を吸った。
ふらつく足でユニットバスの縁を越え、セーターをかぶる。
鏡の曇りを拭いて、眺めてから首元の服を浅く寄せた。
帰ったら、襟のある服に着替えよう。
なんとなく首元にタオルを巻いたまま、浴室のドアを開けて、湿気った冷気の混じる廊下で髪を拭く。
カーペットを敷かないと、身体の弱い幼馴染にはよくないんじゃないだろうか。
そんなことを思いつつ、フローリングの薄暗い部屋に戻り、蛍光灯の紐を引くと起きかけたままの格好で眠っていた。
湯上がりのせいか魔がさして、普段なら届かないところへ腕を伸ばす。
――電車の時間まで、もうあまりないし、起こさなければいけないと分かっている。
時計を見てから、そっと指を髪に埋めて、いつも私がされるみたいに、年上の幼馴染を撫でてみた。
普段は背が高すぎて触れないのだから、少し不思議な光景だ。
私より髪の色が柔らかくて、手触りも良い。
櫛通りが良さそうでうらやましいな、と、思って指を通していると、幼馴染が身じろいで膝から顔を上げた。
撫でる手首を弱く掴んで引き寄せ、寝起き特有の声が囁く。
「……何してるんだい」
目が合って、今更に恥ずかしくなった。
やっぱり変だったろうか。
「……イトくんのまね」
「そう」
イトくんが、なんというか、どうしようかと思うような顔で本当に嬉しそうに笑ったのに、不意打ちで鼓動がおかしくなった。
「あの、」
顔が絶対赤くなっていると、情けないことに分かっている。
体勢を元に戻そうとしたけれど駄目で、両の手首を掴まれて引き寄せられて、皺になったシーツの上に肩が沈んだ。
寝惚けているのか力は強くないけれど、抱きしめられて笑われる。
どうすればいいのか困っていると、頬を押さえられて唇を塞がれて、またなんだかよく分からなくなるくらいに顔のあちこちにも耳にも唇が落ちて――、
触れられると、もう意志とは無関係に、私の声も細くなって、湿った吐息になっていく。
せっかくお風呂に入ったばかりなのに、と心の端で思いながらも。
甘い熱がコップから水が溢れるような自然さで、触れた場所からゆっくりと満ちて溢れ出したので、……諦めて、朦朧と、薄い視界に目を閉じた。
なけなしの力で肩を起こし、眠そうな幼馴染をお風呂に入れたのはせめてもの良心だった。
もう残りの気力が一滴もない。
電気のついたコタツに入ると暖かくて気が抜けたので、くたりと机に伏せた。
素足では熱いけれど、タイツがもう履けないのだから仕方ない。
半分眠りながら腕の間で深い息をついていると、湯を浴びて着替えたばかりの彼に頭をぽんと叩かれた。
「ほら」
広がる髪の前に、白い飾り気のないマグカップが差し出される。
……飲みかけを温めなおしてくれたらしい。
緩く身を起こして受け取ると、湯気の立つ陶器が、疲れた指にじん、としみた。
幼馴染は片手にタオルを抱えて替えの上着をハンガーから外している。
さすがに最後まではされなかったけれど、まさかまたあんな風になるとは思わなかった。
まだ顔の火照りが収まらない。
誤魔化すようにして香りの薄れた紅茶をコクリと飲んだ。
「ひーこ」
顔をあげると、優しい視線で見られていた。
嬉しそうな笑顔に、くつくつと心が茹だる。
「……なに」
「すごかったね」
咄嗟に手元の箱ティッシュを掴んで投げた。
明るいところでそういうことを言わないで欲しい。
「って。………ハルに似てきたなぁ…」
危うく受け止めた手のひらを振って動じもせず、兄さんの親友が失礼な文句を呟きながらティッシュを元の位置に戻す。
流れるような動きは確かに小さい頃からよく見てきたそれだったけれど、兄さんに似ていると言われるのは心外だ。
そんなに似ていないと思う。
兄さんは意味なく攻撃を始めるけれど、私はイトくんが悪い場合にしかこんなことはしない。
ともあれ。
お詫びに下着とタイツの換えを買ってきてくれるというので、そのまま背中を見送った。
そんな頼みごとをするなんて恥ずかしかったけれどこのまま外に出るわけにもいかないし。
ただでさえ、お母さんに連絡した電車より、一本遅れてしまうのに。
マグカップを押すようにしてまた力なく伏した。
布団もシーツも、洗うのを手伝わなくてもいいんだろうか。
聞くのも恥ずかしいけれど、黙っているのも申し訳ない。
次の電車まではもう時間もないし、任せるしかないのだろうけれど。
ぐるぐると考え込む。
中途半端に毛先の濡れた髪が、さみしい。
いつのまにか私の身体が、私だけのものではなくなっていると、思い知らされた気持ちだった。
イトくんを好きになって、触れ合うようになって、からだが昔とは変わってしまった。
なにも気にせず隣で眠れた幼い頃とは違うのだ。
もちろんそんなに回数を重ねてはいないけれど――、それでも充分すぎるくらいに、あの人の形に私の糸は縒れている。
暖房のごうごういう音にふと、秋の記憶を思い出す。
はじめて、こういうことをしたいとイトくんが私に話したときに言われた、
「欲しい」という言葉の意味を、今頃になって肌で知る。
私は、からだを、イトくんにあげてしまったのだ。
だから、思い通りにならなくて当たり前なのかもしれない。
――肌を許すというのは、きっと。
電気ポットの蓋から蒸気が漏れている。
乾かず濡れた耳たぶが、僅かに熱を帯びている。
深く長い溜息が出る。
肌を許すというのは、多分、そういうことなのだ。