分かれ道と横断歩道
話に聞くところだと、都会では、小学校に入る前から受験競争にさらされるのだという。
気の遠くなる話なのだけれど、幸いというかなんと表現すべきだろうか、私の住む地方では高校受験が初めての人生の試練だった。
動揺したり不安定になったりという時期は秋頃に一通り済ませていて、今はただ机に向かうだけの日々だ。
お正月だというのにおばあちゃんの家にもいかず、私は一人で炬燵に向かって問題集を解いていた。
蜜柑の皮がゴミ箱に重なっていて、少しだけ柑橘の残り香がある。
外は冷たい午前中の空に雪が舞っていた。
一泊してくると言う家族を送り出したのは昨日の晩で、それからお雑煮を食べて黙々と勉強。
朝起きてからまたお雑煮を食べて、そしてまた勉強。
――さすがに少しだけ疲れた。
コンビニまで、散歩にでも行ってこようか。
シャープペンシルの芯を、出し掛けて止めて、席を立つ。
ダッフルコートを着てマフラーを巻き、傘はどうしようか迷って結局折りたたみをトートバッグに入れるだけにした。
誰の靴も残っていない玄関はいつになくがらんとしていて、扉の音もいつもより重い。
そういえば、初詣にも行っていない。
新学期が始まったら合格祈願に行こうと友達と話しているので、まあ、別にいいのだけれど。
溶けた雪に湿るコンクリートの色を見下ろしながら、階段をゆっくり下る。
冷たい粒が手袋に絡みついてしんと溶けていく。
息が白かった。
コンビニまで歩いていると、後ろから近所のおじさんの声がした。
振り返れば橋田のおじさんがイト君と二人連れで歩いてくる。
こうして遠目に見ると親子で歩き方がよく似ていた。
「緋衣子ちゃん、あけましておめでとう。一人で残っているんだったね」
相変わらず丁寧で優しい姿が好もしかった。
私はあまり誰にでも親しく話しかけることが出来るわけではないけれど、橋田のおじさんは好きだ。
「はい。あけましておめでとうございます」
頭を下げる。
よしよしと頷いておじさんが眼鏡の奥で笑っている。
「依斗、ご挨拶」
「はいはい。あけましておめでとう、ひーこ。今年もよろしく頼むよ」
言うタイミングを逃していたらしく困り顔をしていたイト君が、これ幸いと苦笑して片手をあげた。
「よろしくされるのは依斗だろうに。緋衣子ちゃんが合格したらおまえ先輩だぞ」
「ああ、それはそうだね」
私が合格できるという前提での会話が気恥ずかしい。
正直、まったく自信がないわけではないけれど、同じくらいに不安を捨てきれずにいるのだから。
空は舞う粉雪が灰色に濁り、あまりきれいな眺めではなかった。
それでも雲の奥に薄らと明るい部分があるのは、太陽の位置だ。
北風が吹きつけてマフラーを煽った。
温かい飲み物を買ったら帰ろう。
これから予約のおせちを取りに行くのだという親子とは坂を下りて、信号を渡ったら分かれ道だった。
信号待ちで動かず立っていると、風が身にしみて耳たぶがじんと冷たくなる。
……早く青にならないだろうか。
逆側の歩行者信号が点滅したのをぼんやりと眺め、溜息をつく。
「ひーこ」
呼びかけられて、顔だけ振り返った。
兄さんのお友達で幼馴染みのイト君は、ひょろりと高い背で隣から私を見つめて、静かに笑った。
「分からないところがあったらいつでも連絡していいから」
「うん」
「頑張れ」
「……うん」
見上げると、眼が合う。
よしよし、と頷いて頭をなでる幼馴染みが隣のおじさんにあまりに似ていたので、私は不安をひとときだけ忘れ、押さえきれずにくすくすと笑った。