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Scarlet Stitch

本編+後日談
本編 (*R-18)
Extra
番外編
🌸…本編ネタバレあり
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その4

私と兄さんは似ていない。
兄さんは完全な運動部タイプで、行動力があって、感情が顔に出る。
なんでイトくんのような病弱な優等生と仲がよいのか、分からない。
それを言ったら、私がどうしてイトくんと一緒にいるのかも分からないけれども。

「ただいま」
音が響かないようにドアをそっと閉めて(古いマンションはこれが不便だ)、脱いだ靴を揃える。
ねずみ色に黒の線と紐、大きなサイズのスニーカー。
ふと目に付いたその靴で、幼馴染が来ていることが分かる。
「あらま緋衣子ちゃん」
母が抑えた声とともに台所から顔を見せた。
ひそひそ声でおかえりなさい、を言いながら口に指を立てる仕草をする。
「ちょうどよかった、買い物行きたかったのよ。……橋田くん寝てるから静かにね」
弟のあきらは高校生になったばかりで部活に燃えている。
どうせ今日も夜まで帰ってこないのだろう。
私は心の中で息をついて、留守番を了解した。
こういうところが困ると思う。
イトくんがいくら家族同然と言ったって、私にとってはどこまでも他人なのに。
幼馴染と言うのはやっぱり、他人なのだと思うのに。

テレビのある部屋のソファに荷物を下ろして、曇り空の窓を見た。
コンビニの袋を右手に持ったまま、なんとなくその場で立ち尽くす。
そろそろ家の中が薄暗くなってきたので、電気をつけなければ、と頭の隅で思う。
氷も溶けてしまうし。
軽く溜息をついて、蛍光灯の紐を引っ張った。
そしてカーテンを閉めてから、自分の部屋を通り過ぎて、隣部屋のドアを開けた。
弟と兄さん(今はベッドと少しの家具しか残っていないけれど)の二人部屋は、私にはほとんど用事のない場所だったので、なんとなく気後れがする。

窓際の奥、少し前まで兄さんが使っていたベッドで、幼馴染が身体を起こして外を見ていた。
…寝ていたんじゃなかったのか。
音をなるべく立てないように、後ろ手でドアノブを引く。
でも相手がすぐに気付いたのであまり意味はなかった。
疲れ気味の顔が、いつもの表情で余裕げに笑んでいる。
「やあ、ひーこ。お邪魔しているよ」
お邪魔というのかなんというのか。
「起きてたのね」
「いやいや、おまえの気配を察知しただけだよ」
「何しょうもないこと言ってるの」
謎の台詞に脱力して、とりあえずベッド脇の椅子に腰掛ける。
微かな溜息が出た。
何千回目だろう、この人に関わって溜息をつくのは。
買ってきた氷を差し出しながら、制服を着替え忘れていたことに気付いた。
「イトくん、具合は?」
「頭がぼーっとしていると本が読めなくて困るね」
そんなこと聞いてない。
まあ、イトくんにとっては結構重要なのだと思うけれども。
曇った日の夕方に特有の、うすぼんやりした日光が開いたカーテンから差し込んでいる。
溶けかけたかちわり氷を食べる年上のその人は、こんな時いつも薄らいで見えた。
「ひーこ」
突然した声に、顔を上げる。
幼馴染は、空になった容器をゴミ箱に入れてから、私を見据えた。
なぜか、身体のどこかが萎縮した。
「何、イトくん」
「心配してくれてありがとう」
私は困った。
幼馴染の"心配かけてごめん"ではなく"心配してくれてありがとう"というその性格が、多分私が困っている一番の原因なのだろう。
コンプレックスよりも、人をくったような遊びっぷりよりも、ご近所とか世間体とか、そんなものよりも。
否定ができなくて、何を言っていいのか分からない。
兄さんは、こんな人とどうやって仲良くしていたのだろう。
黙ってただイトくんを眺めるだけの私に、幼馴染は目を細めた。
「氷美味しかったよ」
「……そう」
お母さんが帰ってくるのを、こんなに待ち遠しく思ったことはない。

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