その46
何もないまま二日が過ぎた。
私は勉強で夜も部屋にこもっていたし、幼馴染も邪魔しには来なかった。
そう意志を尊重されると却って寂しくなるのは我侭なのだろう。
雨音に体育館脇で足を止めた。
文化祭の途中で雨が降ってきて、二日目終盤に舞台発表だったクラスの劇はそのせいか現在満席だ。
段差でつまずいて、古い痛みが足に響く。
……湿気と人の多さで疲れてきた。
疲れてくると理性が弱るので幼馴染だけは避けて道具運びに専念する。
明日の代休にデートするとか言っていた気がするけれど、雨が降ったらどうするのだろう。
家で勉強したいなあ、と思ってしまうのはイトくんに失礼なのかもしれない。
文化祭はあっという間に閉会式からホームルームへと波が引けてしまった。
机を元に戻すのは三年生だけで、火曜から受験モードになる一階を今から予測させる。
頑張っただけあってどことなく決着のついた感がある。
「――じゃ、打ち上げに来る人は四時までに校門前集合ということでー、解散でーす」
あまり勢いのない最後の一言は威勢のいい拍手で迎えられ、大勢がわやわやと立ち上がりだした。
ざわつく教室でかばんを開いて筆箱を滑り込ませると、かばんのリボンが鮮やかな緋色の糸を流してこぼれる。
舞台で髪に結んでいた志奈子さんのものを貰った。
自分で作っておいてなんだけれど綺麗で嬉しい。
なんとはなしに教室を眺め回して、帰るクラスメートに手を振ってみたりして、開いた窓に顔を向ける。
小降りになって雨雲の合間から空が出ていた。
待っていればやみそうだ。
――と横から影が落ちて、あたたかい気配が肩に触れた。
這い上るものを抑えて、普通にいつものように彼を見上げる。
イトくんがあれからいつも呼ぶような声で私の名前を呟き、帰るか聞いてきた。
「…イトくん、打ち上げは」
「ひーこ次第かな」
「そうそう。橋田は、崎さん行くなら行くらしいよ」
イトくんの後ろから彼と仲のいい男子がにやにやするので、二人で振り返った。
行かないつもりだったことを伝えてきちんと遠慮しておく。
幼馴染も一緒に雨がやむのを待つと笑って彼を送った。
それから席について、ぐったりと目を閉じてしまった。
……やっぱり疲れているのだろう。
わざわざ指摘することもないので黙ってかばんを抱え、教室から人が減っていくのを私のではない椅子に座って、幼馴染の前の席で見送り続けた。
浮かれたクラスの人達に手を振りながら、まだ祭り気分の残る学校に会話もなく居残る。
漂う湿り気が涼しい。
膝上でリボンがふわふわと舞ううちに、教室の埃が白くなった。
きつねの嫁入りになっている。
時折身じろいでは半分眠る幼馴染に、窓からふと視線を移す。
だるそうに頬杖で支えた頭が不規則にこくりと何度か揺れた。
心が0.5度くらいの上昇率であたたまって顔が微笑った。
幸せになる。
学年が同じになるといろいろなことが違う。
特に今は私が三年生なのだから、幼馴染が同じ学年になっても傍にいてくれるからこうしていられるので、それは感謝したいくらいの嬉しさだと思う。
ああそれだから。
私はこの人のことばかり考えてしまうし、でも本当は実力的にそんな余裕もなく、息抜きだってとても下手だから。
勉強を頑張ろう。
明日はともかく、今後はしばらく許してもらうしかない。
あと半年もない間、イトくんのためではなく自分のために精神力を使わなくてはいけないのは、必要なことだ。
僅かな明るさが夕暮れ色に雲を染めていた。
……教室には誰もいなかった。
廊下の足音が遠い。
なんとなく、幼馴染の名前を初めて、呼んでみた。
言い慣れない響きに不意打ちで胸が熱くなった。
半分眠っていた目が開いたので、自然と袖を伸ばして無言でねだった。
身長差がありすぎて自分からはしにくいのがむずがゆい。
何かが耳裏で頭を抱えた。
それから唇を食べあうくらいの遠慮がちなキスをして、離れて、またしかけてやめた。
温かい心がしっとりと余韻に溶ける。
低い笑いも穏やかで心地よかった。
「いきなりどうしたの」
「…なんとなく」
「なんだいそれ」
声を立てて笑う。
雨がやんでいた。
髪を梳くくすぐったさに少しだけ私も笑った。
水溜りをローファーで歩くことなんてなんでもない気がした。