EXTRA / 2-(2)
ファンヒーターが息を吐く。
生姜紅茶をコクリと飲んで、百円ショップの白いマグカップを両手で覆う。
かじかんでいた指が、じわりと血を巡らせて弱く痺れた。
部屋が温まるまでは風邪を引きそうで心配だからと、頼んで小休止してもらった。
私ではなく彼の身体が心配なのだと、はっきり言わなくても伝わっているのだろう。
またお礼を言われて、少し困った。
六畳程の一部屋に、本棚が目立っていた。
足元の絨毯や小さなコタツに壁のハンガー、腰掛けたベッドも含めていろいろなものが、新しい。
見渡しながら、隣の幼馴染と肘が触れ合ってじんとした。
先程の余韻が踵あたりに灯をともす。
落ち着かなくなるけれど、隣にいてくれるのはほっとするし、どちらがましとも言い切れない。
見上げると、イトくんが所在なさげに飲み物を口に運んだ。
心配してみたところで、余計に困らせているだろうか。
湯気と溜息を混じらせて外を見る。
レースカーテン越しに見える風景は灰色だった。
ごうごうと、部屋の温度をあげようとファンヒーターが頑張っている。
会話がないのに、初めての部屋なのに、ずっとこうしていたみたいで不思議だった。
頭に大きな手が置かれたので視線を戻す。
「なあに」
「……背中、痛くなかったかい」
「大丈夫だよ」
「なんか、ごめん」
「…うん」
影ができて、唇が頬に触れた。
心臓が脈を打つ。
斜めに絡む視線が離せなくなり、また今度は私の方から一瞬だけのキスをしてみた。
呼吸が温くて炙られる。
飲みかけのマグカップを取り上げられるのにも、逆らわないで、コタツのローテーブルにことりと置かれるのを眺めた。
膝のスカートを握ると喉が渇く。
久しぶりだけれど、その……、いろいろと忘れていたりしないだろうか。
考えつつ視線をうろつかせる。
とりあえず、さっきのこともあって気になったのでイトくんと入れ替わりで立ち上がり、厚いカーテンを隙間なく閉めた。
振り返ると視線が合った。
頼まれて、電気の紐を二回引く。
気づかれないよう深呼吸をして、薄暗い中、ゆっくり歩いてベッド前に戻る。
無言で手を引かれた。
服を着たまま横になる。
重さでベッドがきしりと唸った。
薄手のニットに腕を絡めて胸に額を埋める。
背を包まれるとひそやかに溜息がこぼれた。
……落ちつく。
布団からもセーターからも、イトくんのにおいがした。
久しぶりの優しい腕が懐かしくて、もう少しそうしていたかった。
……あんなことをしたばかりで、
長い時間このままでいるなんて、無理だと分かっていたけれど。
「ひーこ」
呼ばれたので、鼻先を胸から僅かに離す。
こういう時いつもそうであるように、イトくんの声は途切れがちで小さかった。
指がゆっくりと髪を梳くのを感じる。
「なに」
囁き返す。
幼馴染はしばらく答えずに、髪を撫でていない側の手で私の腕を掴んで、何かを口にしかけて、また黙った。
私も何も言わずに、ただ胸元で彼の言葉をぼんやりと待つ。
幼稚園の頃から、このお兄さんの隣にいたのに。
この人も緊張することがあるのだと、去年の夏まで私はずっと知らなかった。
「その、さっきみたいに、あまり大事にできないと思うけど」
「うん」
「……抱いてもいいかな」
時計の針がやけに耳に響いてくる。
いちいちそんな風に聞かなくてもいい。
頷く以外にどう答えればいいのかが分からなくて、答え方にとても困る。
伸びない程度に目の前の服を握り、朱い片頬を布団に埋めて言葉を探した。
「……あの、イトくん」
「ん?」
セーターの皺が増える。
目をいったん軽く瞑って、伏した睫毛を揺らす。
「そういうの、聞かなくても大丈夫だよ」
私は、溜息を漏らして幼馴染の依斗くんを見た。
「……だから、なにしてもいいよ」
言い終えてから、絡まった視線を受けて意味するところのおかしさに気づき、じわじわと頭に血が巡った。
脈が鼓膜にうるさい。
髪を撫ぜている指が離れた。
やっぱりおかしかったかもしれない。
なんでもというのは、言いすぎているかも、
……と、次に開こうとした顎を不意に掴まれて舌で喉を塞がれた。
そうして。
のし掛かる人に腕を捻られ押し寄せてきた熱湯に波のように引きずりこまれて、
………それから、
なんだか…………とても、
意識が曖昧で――
ファンヒーターの唸りばかりが、耳に、残っている。
………………
朦朧と薄目を開けた。
涙の跡が、目尻で乾いてぼやけている。
部屋はまだ薄暗く、手元で毛布がよれていた。
……遠くで水滴が、流しのたらいを不規則に滑り落ちている。
それからようやく、息が浅くて苦しいと、肺が機能を思いだした。
布団の上でむき出しの足指が少し冷たいし、脚の間がまだじんじんと痛みに似た感覚で痺れている。
ベッドがきしりと唸った。
薄暗い影が濃くなって、唇が二秒、塞がれる。
お互いにほとんど服も抜いでいなかったので、包まれると暖かい。
まだ苦しい余韻で、涙が勝手に滲むと流れた。
「ごめん、……やりすぎた」
耳に囁きが届いたので、ぶれた視界の中で幼馴染の瞳を探して、その深刻さに微笑った。
気怠い頭を横に振る。
自業自得だし、痛かったし苦しかったけれど、はじめてのときも似たようなものだったし。
涙と汗で張り付いた髪をそっと掻きやられて、今度は頬に唇が触れる。
こそばゆい。
横向きに抱き寄せられて緩み切った頬を預ける。
後始末ついでに手を洗ったらしくて指がほんのりと冷たかった。
「……こんなひどい抱き方するつもりじゃなかったんだ」
「気にしなくていいよ」
「でも、痛かったろ」
目を合わせて謝られたので、私もまたゆっくりと首を振る。
確かに、めちゃくちゃにされて身体は痛いし、初めて見たイトくんの目は知らない色で怖かったけれど。
それは私が「なにをしてもいい」と言ったからなのだし、後悔するようなことでもない。
それに、口に出しては言えないけれど……、
幼馴染のことが欲しかったのは、多分、私も同じだ。
髪を優しく頬から除けられながらたくし上げられたままのセーターとスカートを申し訳程度に戻し、
脈のはやさが落ち着くまで、薄らと寒さの残る布団の上で抱きあっていた。
タイツの替えがないのに、どうやって帰ればいいだろう。
近くで手に入るだろうか。
暖房が効いているとはいえ、汗をかいて半分脱げた服のままでは寒かった。
崩れたベッドを申し訳程度に整えて、誘われたので潜り込む。
確かに暖かいけれど、二人で寝るには狭い気がする。
寝過ごして電車を逃したら困るなぁと思っていると、見えない暗さの中で片膝に引っかかっていた、濡れて冷えてしまった下着を脱がされて、まだ終わらないのだと、髪にかかるかすかな吐息の熱で知った。