その49(3)
そうして、抱きしめられているのは心地がよかった。
ずっとこうしていてもいい気がする。
時折撫でられる手があたたかくて優しくて、本当にそう思った。
……肌も熱かった。
それでもというのかそれだからというのが正しいのか分からないけれど、やっぱりずっとそうしているわけにはいかなくなった。
お互いのにおいの混じった中で呼吸を聴いているとどちらともなく身体が熱くなってくる。
ゆっくりと心拍数もさっきのようにはやまりだした。
髪を梳いていたのを移動するままに肩に触れさせておいて、抱き返して、どちらともなくうっすらとそういう空気を持て余す。
幼馴染が先に、腕を緩めて深く息をついた。
ちょっと待ってて、と言うので身を離し、彼が同じように何も着なくなるまでなんとなく俯いて待った。
鼓動が肌の中から湿り気のある部屋を打っている。
少しだけ怖くなる。
正確には始めてから随分経っているのだけれど、それでもすぐするとなると心の準備が足りなかった。
髪がさらりと流れて視界が変わって、触れられていると知った。
それから、僅かに強張る。
目が離せなくなって、戸惑った。
……だって、無理じゃないんだろうか。
考えながら、でも髪が撫でられるのは心地よかったので、重ねられる唇におそるおそる応えた。
数分振りに、腿の上を骨ばった感触がなぞりだしたのでまた体温が緩やかに上昇し始めてくる。
ゆっくりめの動きなので落ち着いてきて、深い息を間近で交わした。
唇の合間で呼ばれた声が知っている声ではなかった。
触れていた部分が熱くなって脳髄が灼ける。
睫毛を浮かせる。
視線を伏せて私から重ねて、舌を差し込む。
イトくんが薄く開いていた目を閉じて応えてきたので深めに貪りあった。
抱き寄せられて、今度は直接に硬いものに臍の辺りが触れたので腰が震えた。
「っ、……ぁ」
「やめたい?」
気遣うように、髪を掻き遣られたけれどそんな顔を見てはどうしようもなかった。
そんなに心配してくれなくてもいい。
切なくなって首を振った。
そして唇を求めた。
しばらくキスされてから、顔を窺われつつ指が直接に脚の間をなぞった。
背中が勝手に折り曲がって脚が閉じる。
「あ……は」
数回往復されるだけなのに、段々溢れる温水が多くなってきて目が潤んできて熱くなりだす。
伏せて霞んだ視界にうつるものが、どうしても気になって無意識に視線が固定された。
緩慢な刺激に震えながら、荒い呼吸を飲み込んで肩の手を下げていく。
怖いのに気になるものを、おそるおそる触った。
かすかに反応したので手のひらが脇の方へずれる。
イトくんが動きと呼吸を一拍遅れて止めた。
私を弄る感触もそれでずれたので声帯が痙攣して喘いだ。
それ以上動けなくて、しばらく落ち着くまでただ身体を預けて息を殺した。
時計の針が風にかかった。
髪が擦れて頭を抱えられる。
風邪を引いたような掠れ声が耳元で、弱く囁いてきたので呼吸が震えた。
言われたとおりに手のひらで包んでみると温かい重みを感じた。
耳の上に彼の鼻先が埋まって、かかる吐息の熱さに急きたてられて伝染する。
イトくんがこういう風になっているのは、私のせいならどうしても嬉しい。
「こう?」
「……ん。そう」
ぎこちなく指先で覆って、ゆっくり扱くと抱きしめる力が強くなって髪にかかる息が荒くなった。
ゆっくりと彼の手もまた探るのを再開したので埋めた額に汗が滲んだ。
あまり弄り合いは長くも強くも続けられなかった。
でも気持ちよくて泣きそうに熱が全身に満ちた。
呼吸が荒くて水音がする。
雨の音だけではなかった。
押し殺した吐息が聴覚を押す力が強くなりだして室温がいつの間にか先程よりも上昇しているのか。
汗でお互いに抱き合いにくくて思い出したように唇を触れ合わせては離した。
何をしているのか多分良く分かってはいなかった。
手の中の反応が身のうちを熱く波打たせることだけは分かった。
耳にかかる息に上擦った声が何度か混じるのが無性に脈を満たしてきた。
名前を囁いて、少しでも触れたくて身体を寄せて唇を下手だったけれど肌に落としてもう一度呼んだ。
イトくんが先にやめた。
脚の奥から手が抜けて、肩にかかる。
何か止めようとされたのだろうけれど気付くのが遅れた。
手を離す間がなかった。
肩と頭に回された長い腕が震えて、無意識のように力がひどく強くなった。
手の中の熱が脈打って温かいなにかが肌にかかって伝った。
耳元で深い呼吸がしばらく、髪を浮かせて背の力がぐったりと緩まる。
謝罪が弱く聞こえたので顔をずらした。
顔が見えないので諦めて、抱き寄せている汗ばんだ肩に頬を預けた。
腕を背に回すと自然と溜息が穏やかになる。
でも少しだけ不安だったので一応聞いた。
「嫌じゃなかった?」
「……何を言うかな」
頭上の重みが、苦笑気味に脱力する。
掻き乱れた髪を撫でつけられながら、呼ばれる声が優しかった。
「よかった。ありがとう」
「どういたしまして……」
変な会話をしているような気がする。
背中の腕が緩んでほどけて、身体が離れた。
傍の机からティッシュを取ってきて拭いてくれたのがあたたかくて、ぼんやりと膝元を見ていた。
タオルを用意しておけばよかったなあと少しずれたことをぼんやりと思っていると、あたたかい指先がもう一度肩を引き寄せ、短く唇が触れてきたので目を閉じた。
手が当たり前のように滑って、彼の背に回った。
初めてしてからの回数を今日だけで超えているような気もする。
膝上に緩々と体温が辿って薄目が開いた。
溜息が彼の肩を湿らせる。
入り口を探すように温水を掻き分けられる間、喉に伝う舌を感じて肘の先が甘さに蕩けた。
それから、かすかな異物感に喘いだ。
指を僅かに差し込まれて、弱く動かされる。
浅い動きなのでしばらくすると慣れてきたような気がして、縋りつく手を、僅かに緩めた。
何度か往復されると異物が抜けて、首にかかる息が熱さを増した。
鎖骨の下から、しばらく胸の周辺に舌が這ってそれから、もっと下まで感触が移った。
自然と回していた腕が外れて、身体を支える。
どこか痛いような気もしたけれどそんな感覚がこの甘さとどう違うのかなんて分からなかった。
さっきあげた分までが還ってくるみたいな緩やかな感覚に意識を浸して目を瞑った。
時折イトくんが呼んでくれる声は知らない声で、でもそのたびに足指までが鼓膜を通してじんと痺れる。
ざらつくぬめりが辿るたびに喉が汗ばんで切ない息がこぼれた。
脚のあたりを吸われると腰が弱々しく震えた。
首が反ってどうしようもなくて上半身がシーツに埋まった。
耳の端に枕を感じる。
身体を撫ぜる手が今は背中の下にあって、視界が暗くて上半身がないみたいな気さえする。
濡れた熱い場所に、柔らかくてそうでない肉が、不意にきた。
舐められていると気づくには一瞬で熱くなって飛んだ意識が波打ちすぎていた。
「っ――」
強い感覚が足先から背中まで通り抜けてはまた送り込まれ、跳ねる脚を抑える手の力が強くなる。
下半身だけが言うことを聞かないで勝手に浮く。
まぶたが自然に持ち上がってその光景を見て涙が滲んだ。
でも溢れるあたたかいのを舌先ですくわれて一箇所に擦り付けられて完全に理性が飛んだ。
繰り返される。
苦しかった吐息が泣き声になった。
「あ、あ…っ、や」
全身がねだるように勝手に動いているのにも気づかなくて、ただ耐え切れなくて枕を引き寄せて抱いた。
こんな風に動けるなんて知らなかったほどに激しく背中がのたうつ。
視界が涙で霞んで声が声にならない。
逃げられないまま繰り返されて自分の吐息が更に変わった。
僅かに唇が腰より上の方に移動した。
数度表面だけを往復されてから、また指が入ってくる。
入ったときの感覚がさっきと違った。
中と往復されても変な感覚で背中が痺れて腰ががくがくと震える。
感触が胸の方にもあって、先の方を舐められているので何も言えない。
天井が見えなかった。
膝頭にあたるものがまた硬くなっていて熱くて、それが入るのかと思うとなぜか心が震えてくる。
肺の奥から何かが溢れてそれで一気に流された。
先程よりは小さく、でも充分に体積のある波が脳の芯までを痺れさせてすべてを満たしてすべてを止めた。
指をそこが勝手に締め付けて、脈打つように時折痙攣する。
それからゆっくりと、全身から力が抜けて滲んでいた涙が目尻で集まって薄く流れた。
「………ぁ…あ、は」
指が抜けて、上にあった体重がなくなった。
息が苦しいので、酸素を求めて乾いた喉に唾液を無意識に飲みながら張り付く髪を感じ天井を仰いだ。
今何時だろうと秒針が意識を掠めたのでとりとめもなくそちらに漂う。
イトくんはどうしたのだろう、と、思い至った頃には、また影ができて頬に優しい大きな手が乗せられた。
あたたかかった。
荒い息が僅かにでも落ち着いてくれる。
イトくんの手のひらがどれだけ大切かなんてきっと自分でも分かってはいない。
影が頭上に伸びて顔が近付き、前髪が擦れ合う。
様子が違うのでどうしたのかと視線を浮かせた。
頬の手が肩に移って眼を伏せられる。
……それからイトくんらしくなく、ぎこちなさを伴って唇を重ねてきたので分かった。
手の下で肩がほんの僅か強張って、睫毛がなにかで滲む。
でもなぜか私ではないみたいな柔らかさが喉からせりあがって声になった。
「イトくん」
「ゆっくりするけど、辛いならやめるから」
遮るようにしてまた呼んだ。
最初に誤解したのはいつだったかなんてはっきりと思い出すことはなく、一生こう呼んでいるかなんて想像もつかない。
だけど私にとっては、幼い頃からずっとずっと、
「イトくん」
「……ん?」
三度目の呼びかけに僅かに瞳を和らげて、幼馴染は私の上で促すように応えた。
ずっとこの人は大切な人だ。
――どんな意味をもって大切なのかが、少し変わっただけのことでしかないのだろう。
イトくんがしばらく黙ってから穏やかに頬を撫でて、優しく笑った。
「いい?」
「うん」
伝わっているのかいないのかよく分からない。
どちらでもよかった。
もう一度唇を触れ合わせて、何度かやり直しながら、吐息を混じり合わせて抱き合ってやっと少しだけ入れられた。
本当に痛くて、進むにつれて反射作用なのかなんなのか勝手に涙が溢れて流れた。
汗がその上に落ちるので、背中に回した手のひらを僅かに緩めて見上げると、同じように見られていた。
視線につられて泣きそうになった。
もう涙が出ているけれど別の意味で溢れて滲む。
胸が熱くなってまた腕を寄せた。
それから続けた。
時折苦しげに漏れる息が髪にかかって、そこにさっきのような蜜を感じて心が波打つ。
痛くて苦しくても辛くは全然なかった。
言われるまで入ったことが分からなかった。
よく分からない。
全身が麻痺しているのでどこまででも同じような気がする。
ただ肺が圧迫されるみたいに呼吸が苦しかった。
朦朧としたまま涙を拭われ唇を重ねられてそのあたたかさだけに意識を沈めた。
撫でられるのが気持ちいい。
「ひーこ」
優しい響きが身体の奥までしみたので薄目を開けた。
そうして頬に触れた唇が離れて、間近で幼馴染の顔が覗いた。
「痛い?」
「うん……」
「ごめん」
唇が気遣わしげに何度か顔に触れて、荒い息が湿り気を帯びて前髪を額の脇で揺らした。
くすぐったかった。
嬉しいけれど、イトくんは心配性だ。
異物感の隙間を縫うようにして呟く。
「一生痛いわけじゃないから大丈夫だよ」
「……相……変わらず、すごいこと言うなぁ」
何がおかしいのか耳元で笑われて圧し掛かる重みがかすかに増した。
それも痛くて腕が強張るけれど、少しするとそれにもなんとか慣れる。
肩越しに、天井の薄暗いしみを見上げているとささやかな雨が窓を打つのに鼓膜が静まる。
髪の脇にかかる息の不規則さが変にあたたかくてぼんやりした。
でもすぐに、動いていいか聞かれて、頷いたので続きがあった。
正直痛くてよく憶えていない。
あまり長くもなかった。
軋んだベッドと、薄く混じり合う声と、汗のにおいや滑るのに絡めた指とか、あとはやっぱり痛かった。
記憶はとても薄くてでも身体の奥にまでその温みは残っている。
後はイトくんの目を憶えている。
休みになった平日の午後は、窓の外で雨が降り続いていた。
秋の風は肌に涼しいはずなのに汗がこぼれてお互いの肌より熱いものを知らなかった。
終わってから、どちらともなくまどろんで、毛布もかけないでうとうとと寝た。
最低限のことしか始末もしないでそうしたのでシーツは居心地がいいとはいえなかったけれども、
イトくんがとろとろと謝るか謝らないかのうちに腕を回して先に寝てしまったので、私も眼を閉じてしばらく意識を鎮めた。
誰かと寝るのは物心ついてから初めてだ。
それはあたたかくて、浅くても柔らかい眠りだった。
薄目を開けると細い淡い光が、床に落ちていた。
間近で寝息を立てる気配が近く、脈拍が僅かにはやまって血液を流す。
隣を起こさないようにしてそっと肩から腕を外し、起き上がって時計を見た。
四時前だった。
髪が乱れていたのでなんとなく撫でつけて深い息をひとつつく。
裸のままではやっぱり涼しくて寒い。
とりあえず服だけ着て後でシャワーを浴びよう。
脇にたたんであった服を持ち上げてのろのろと着て、カーテンに手をかけた。
上手く立てないので傍の椅子に腰を落とす。
風邪を引かないか少し心配だったのでかけた毛布の下で、幼馴染が僅かに身じろぐ。
雨音がしていないことにふと気付いて、もう一度ゆっくりと窓を眺めた。
……雲が吹き散れて鳥が飛んでいた。
膝上の指先に何かが触れた。
――薄目を開けた幼馴染の毛布から出た指先が私のものに緩く絡んでいた。
汗の名残から脈が伝わり、指を絡めあいながら屈んで覗く。
私は幼馴染の名前を呼んだ。
ちり紙交換のテープが緩やかにどこかで聞こえている。
彼が私にゆっくりと焦点を合わせて、穏やかに目を細めてそれから笑った。
少し気恥ずかしいけれど穏やかな響きが嬉しくて笑み返す。
「身体、平気かい」
「…うん。大丈夫」
手のあたたかさはきっとその時々で多くの意味に変わるだろう。
イトくんの表情を忘れないだろう。
私もとても、同じような顔をしている気がして仕方ないのだけれども。
しばらくそうして手を繋いだままで何も言わずにいると、ぽつりとイトくんが呟いた。
「…おなかすいたなぁ」
「すいたね」
確かにすいていたけれど、いきなりそうくるとは思わなかったので苦笑気味に溜息が出た。
とにかくシャワーを浴びよう。
確かお母さんがコンビニで何かを買っておいてくれたはずだからそれから、少し遅めの昼にしよう。
それから勉強をしようか。
話でもしようか。
今から散歩に二人で行くのもいいけれど、正直歩くのは辛いのでそれは困る。
まあでも。
どうするかは、二人で考えることにしよう。
◇
――これが十七の時だった。
もうひとつ、憶えているのは今のような空に澄んだ青と雲。
雨の上がった受験生の秋の、あたたかくて何にも替えがたい、思い出だ。