あの言葉
一度目は冗談のように、二度目はお互いにはじめてだったときに雨降りの霧に混じらせて。
それでも充分ではあったのだけれども。
最近その記憶が薄れて恋しくなっていたものだから、私はシャツ一枚だけの背中に緩く指を絡めながらなんとなく聞いてみたくなって名前を呼んだ。
言葉は空気を震わせて伝えるものなので、それですぐ脇にある身体と暑さが薄く混じって空気が濃くなる。
雑誌を片手に頭を撫でていてくれた幼馴染は手を軽く止めて、髪を一房梳くとどうしたの、という視線で私をちらと眺めた。
やっぱり言うのをやめようかと思いかけて、でも、梅雨の明け立てはむしむしと暑かったし、友達が部屋において行ったお酒のあまりを片付けるために少し飲んだせいなのか頭もぼんやり自制心が低かった。
だから幼馴染の高い位置にある顔を見上げて唇を離した。
「愛してるって言って」
幼馴染が触れてなければ分からない程度に硬直した。
そして目をそらした。
扇風機だけが相変わらず良く動いている。
彼は雑誌を置き、頭においていた腕を折り曲げるようにして私を引き寄せた。
おかげで顔が見えなくなった。
「言わなきゃだめかい」
「…だめってわけじゃないけど」
彼と私のにおいはいくら傍にいても一緒にいても汗が溶け合ったとしても同じになることはけしてなく、そのことを今更ながらになんて不思議なのだろうと思う。
彼は頭においた大きな手をぽんぽんと軽く叩いて、溜息をついた。
困らせてしまっただろうか。
「別に言わなくてもいいよ」
「うるさい。心の準備をしているんだから待ちなさい」
それはなんだかとても、彼らしくない声だったので一瞬よくわからなかった。
私はシャツに押し付けられている頬を僅かにずらし、瞬きをしてから少しだけ笑った。