その41
腹立って無視して殴って置き去りにして、それだけのことを自分が出来ると初めて知った。
公園を後にしてとつとつと歩く。
一緒に登校は既におじゃんになっている。
幼馴染が何か文句を言ってきたのだけれど全部強制的に忘れてしまった。
それで余計に腹が立って、我侭だと分かっているのにますます気分が塞いで晴れた風すら頬を冷やした。
歩きながら記憶ばかりが繰り返されて涙が滲んだ。
イトくんが私に怒るのは初めてで、私がイトくんにあんな風に怒ったのもきっと今まで一度もなかった。
夏服の袖口で水気に揺れる目元を押す。
どうしよう、と口の中で呟くといいようもない気持ちが涙になって溢れた。
……喧嘩をしたのは初めてだ。
朝早くに一人になれるのは、多分図書室だと思う。
どうせ勉強もしなくてはいけないしちょうどよかった。
人の気配を避けながら二階へと上っていくと、足の向かう先で志奈子さんにばったりと会った。
そういえば今日の彼女は日直だ。
階段の踊り場で、まだ光の淡い窓際にきれいな髪が映えている。
「あ、ひーちゃ」
笑いかけて彼女はすぐに表情を変えて、口をつぐんだ。
それから通学用のトートバッグを肩に掛けたままでもう少し柔らかく視線を流した。
「おはよ」
言わなくてもすぐに分かる彼女の雰囲気にノートを抱きしめる。
「…おはよう」
「元気? 眼、赤いよ」
「まだ赤いかな」
「赤い赤い」
うんうん、と頷いてくれる友達に目を合わせるのが恥ずかしくて手すりあたりを眺めた。
志奈子さんの優しい声音も重石のようだ。
心が狭いのは世界で私だけみたいなマイナス思考になってしまう。
後悔するくらいなら、怒らなければよかったのに、私はまだ彼を許したくはないと思っている。
あの人が私を、どうでもいいと思っているわけではないことも、分かっているのに。
電話くらいいつでもできるはずだと知っているのに。
「ちょっと。いろいろ」
「今でも後でも、聞かせてね」
沈黙の後で友達はそういって、私の反応を見てから手を振って日誌を抱えて降りていった。
見送って、抱きしめたノートを持ち直す。
廊下を辿って図書室まで歩いた。
勉強は手につかなかった。
受験生だというのに動揺してばかりだ。
……志奈子さんは、彼氏と喧嘩したりしないのだろうか。
(あとで聞いてみよう)
心中で呟いてまだ僅かに緑の残る窓脇の木々を、頬杖をついたまま見つめた。
風がざわめいて秋の雲がうっすら横に広がっていた。
あんな風に喧嘩をすることも。
知らなかった力で抱きしめられるのも。
分からないことばかりだ。
初めてのことばかりだ。
どんな応用問題よりも、もしかするときっとずっと、難しいのかもしれない。
古びたチャイムが鳴るまでに、解けた問題は二問にもならなかった。
私はノートと教科書を寄せ集めて抱えて、教室に戻るために机を立った。