神頼み
中学校の修学旅行は、東京と鎌倉だった。
枯れ葉は舞っていても、ずいぶんと私の町よりも暖かいなと思ったことを憶えている。
*
私は大きな荷物を脇に置いて、セーラー服のまま、冬物に敷きかえた絨毯の上に座っていた。
目の前に兄さんが胡坐をかいて座っている。
お土産にと買ってきた浅草の人形焼が兄さんには御不満だったらしい。
人形焼きの袋を掲げて指し、滔々とよく分からないお説教をし始めた。
「いいか、緋衣子。オレはあんこが嫌いなのだ」
「……でも、あんパンは好きじゃない」
「あれは、パンだ」
「………」
私は、なぜここに座っているのか深い疑問を抱いて、それでも兄さんの機嫌がこじれるとまた面倒くさいことになるので黙って座っていた。
それに、わざわざ選んで買ってきたお土産を、兄さんしか家にいなかったからといって、兄さんに渡すべきではなかったと後悔もしていた。
夜まで待って、お父さんかお母さんに渡せばよかったのだ。
とりあえず、早く荷物の整理がしたい。
軽く溜息をついて、兄さんを見上げる。
「まったく、困ったやつだなぁ。おまえはこれだけ一緒に暮らしてきて、まるで兄の好みが分かっていない」
「だったら何がよかったのか教えてよ」
「『ひよこ』だ」
「………」
あれも中身はあんこだったような気がするのだけれど、私が間違っているのだろうか。
考え込んでいるところに、兄さんの部屋からジャージ姿の長身が出てきてつかつかと背後から歩み寄り、
――躊躇なしに漫画雑誌で兄さんの後頭部をスパンと叩いた。
「あにすんだよ」
「こっちの台詞だ、何をやっているんだお前は」
「イトくん」
一つ年上で幼馴染みでもある、近所のお兄さんのイトくんが何か言いかけた親友をもう一度叩いて、私に笑いかけていた。
靴があるからもしやと思っていたけれど、やっぱりうちに来ていたらしい。
兄さんが顔をしかめるだけで反撃しないところと、髪の寝ぐせと声からして、具合が悪くて寝ていたのだろう。
「おかえり、ひーこ。楽しかったかな」
私は。
去年、この人は途中で具合を悪くして最後まで修学旅行を楽しめなかったことを知っていたので、素直に頷いていいものか、少しだけ迷った。
黙っていると、イトくんは苦笑して一歩近づき膝を折り、私に視線の高さを合わせた。
「ひーこ。『ただいま』は?」
「……ただいま」
「おかえり。ぼくにお土産はないのかな」
「あるよ」
途端に兄さんが声を上げてイトくんを押しのけた。
「はぁああ!? オレには人形焼きだけなのになんで橋田に買ってんだよありえねえ」
「それはお前がそういう態度だからだろ」
「兄さんにもあるけど」
「おお! なんだなんだ、それを早く言えよぉへっへっへ」
「お前、ちょっとは謝れよ……」
疲れた声で兄さんを振り返るイトくんに、小さな紙袋を鞄から取り出して渡す。
晩秋の涼しい風で冷えた指に、イトくんの手が触れると、熱かったのでやっぱり、熱があるのだろうと思った。
タイツ越しにも床が冷たい。
「身体は大丈夫なの」
「また寝るよ」
「寝てろよ」
兄さんが無造作に呟き、イトくんは「はいはい」と小さく笑った。
そして、私の頭を熱い手でぽんぽんと叩くように撫でて立ち上がった。
「ありがとう。大事にするよ」
「……うん」
途中で寄った神社で買った、本当に小さな健康のお守りだったのだけれど。
お守りの効果なんて本気で信じていたわけではないけれど、イトくんが今ほど風邪を引かなくなるようになって、高校の修学旅行にも、もっと遠くの街へでも、いつか普通に行けたらいいな、と。
背中を見上げて、少しだけ祈った。