目次

しんさんとしの

本編

あの夏のこと、思い出した夏のこと。

番外編

何気ないただの日々。

『夏の日々』

『冬の日々』

『ままごと』-パラレル

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07 / 机を並べる

蛍光ペンを片手に教科書とにらみ合う私の横で、幼馴染も黙って難しい本に入り込んでいる。
開いた窓から夏のむっとした空気に紛れて時折風がカーテンを揺らし、居間の風鈴の音がかすかに下から届く。
テスト前に雑談を楽しむ余裕は流石に二人ともなくて、私達はほとんど声も交わさず、部屋の真ん中にローテーブルを出してくると、ひたすらそれぞれのテスト範囲に没頭していた。
今年は志郎が学校で補習なので、狭苦しい部屋は去年の今頃よりは少しだけ広々としている。
(まあ、暑いのには全く変わりがないのだけれど)
水滴が透明なグラスの側面を滑り落ちて、私が教科書に線を引くたびに机の揺れに反応して氷が綺麗な鈴を鳴らしていた。
隣の幼馴染が、不意に顔をあげた。
「志野、邪魔をして悪いけれど、紙と書くものをくれないかな」
私は教科書から意識を外して、テーブルに転がっていたボールペンを取ると、勉強机から雑記用にまとめてあったいらないプリントを数枚取り出した。
部屋の真ん中のローテーブルで無言で待っていた辰さんのところに戻って、はい、と渡す。
受け取った相手の手を見ながら、いつもだけれど感心する。
なんて男らしい手をしてるのだろう。
細めで、指が長いけれど、あくまでたおやかではなく、骨ばって力強い、男の人の手だ。
「ありがとう」
辰さんは簡潔にそう答えて右手のボールペンを数度回転させ、数秒考え込むと、すぐに親指と人差し指の間にペンを滑り込ませて真剣な顔で紙に向かった。
ボールペンが紙越しに机を弾いて、軽く音を立てている。
なんとなく横目で覗いてみると、何か小難しい計算式と横文字がたくさん並んでいる。
私にはそれが何を意味しているのかさっぱり分からない。
ただ、まるで芸術みたいにするすると記号を生み出していく指先をつい追ってしまう。
時折ふっと腕が止まるかと思うと、またすごい速さで机の上を小刻みに往復していく。
詳しくは知らないのだけれど、経済系の専門学校というのはこんなことばかりやっているのだろうか。
あまり見続けていたので流石に気になったのか、ふと集中を解いて相手がこちらを見返してきた。
「どうかしたのかい?」
「うん、ちょっと。すごいなあって思って」
「すごくないよ」
目を細めて笑むと、ペンを器用にくるくると回して、辰さんは私の手元に広がっていた教科書を覗き込む。
「……志野がやっていることが私には分からないしね。五分五分だろう」
まあ、そうなんだけど、と苦笑を返す。
でも、特待生扱いを維持するために、辰さんはかなり努力しているのではないだろうか。
内容ではなく、むしろ私はそっちがすごいなあ、と思うのだ。
「頑張ってね。」
「おまえもね」
「……はい、頑張ります」
そうだった、私も人のことを観察している場合ではないのだった。
蛍光ペンのなめらかな白いグリップを握りなおして、もう一度教科書とのにらめっこを開始した私の隣で、辰さんが小さく口笛を吹いた。
入りかけた集中から引き戻されて、ちらりと隣を盗み見る。
ボールペンの軸でとんとんと机を叩いて、満足そうに本の内容とメモ用紙を見比べている。
昔からそうだったのではないと思うけれど、いつの間にかこの人は勉強をすごく真面目に楽しむようになっていた。
やっぱりすごいなぁと心の中でこっそり呟いて、私は今度こそ集中のスイッチをオンにした。
この幼馴染と勉強するとやる気が出るので、実はとっても助かっているのである。

しんさんとしの
(7:机を並べる)