目次

しんさんとしの

本編

あの夏のこと、思い出した夏のこと。

番外編

何気ないただの日々。

『夏の日々』

『冬の日々』

『ままごと』-パラレル

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15 / 立秋

大学の教室は一昨日より昨日、昨日より今日の方が閑散としている。
お盆休みが近付いているからだろう。
とはいえ私は帰省する必要もないので、毎日普通に通っていた。
どこに座ろうかと大教室を眺めていると、後ろから飛び込むように腕を掴まれてよろけた。
細い指と冷たい金属の感触が、手首に残る。
葉子さんが顔を出し、丈の長いノースリーブの服でや、と手を挙げた。
「しーちゃんおはよー。早いね来てるね真面目だね。どーせ補講なのにねー。なーんか今日涼しいな失敗しちゃったよこの服」
最初の「しーちゃん」は、やはり私のことだろうか。
一見小柄だけれど、よく見ると私より五、六センチ低いだけの健康的な姿は、少女というより少年のようだ。
「おはよう。葉子さんも早いね」
「そりゃ今日発表だから。流石に遅刻はできないよ」
ああ、と頷いて思い出す。
そういえば一昨日あたり、喫茶店で資料まとめを手伝ったのだった。
「あー」
田中葉子は参考資料を机に積み上げると、机の上にべたっと突っ伏した。
「しーちゃん、授業始まったら起こしてくれ。寝る。寝てないんだー」
短くてまっすぐな髪が机に広がるのを眺めて、思わず顔が笑う。
「いいよ」
私は、頬杖をついて彼女を見た。
高窓から落ちる午前中の日光が、足元の床に四角く照っている。
別に大学で友人がいないわけではなかったけれど、私が自然に私でいられる子といるのは、家の外では本当に久しぶりのように思えた。
肘の下の机はかたく、七部丈の袖越しに緩やかな痛みが伝わりゆく。
高みにあるガラス窓の奥を見上げた。
私は、自分の家を好きすぎるのかもしれない。
あの家にいる同年代の二人の男の子は、私にとって居心地がよいものだから。
ついついそこに甘えてしまう。
そんな夏は今年で最後かもしれないのでなおさら、そう思うのかもしれなかった。
視線を下げて、壁にかかる文字盤を確かめる。
あと五分くらいは眠らせてあげられそうだ。
隣の細い肩に少し目をやって、ゆっくりと夏の空気に身を浸す。

しんさんとしの
(15 :立秋)