目次

しんさんとしの

本編

あの夏のこと、思い出した夏のこと。

番外編

何気ないただの日々。

『夏の日々』

『冬の日々』

『ままごと』-パラレル

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14 / 四年前

髪を切った。
小学校高学年の頃から、何となく伸ばしていた肩より長い髪を切った。

軽い。
美容院を出て日差しの下でまず、私はそれを思った。
頭が別のものみたいに軽い。
ハンドバックを肩にかけて、軽く首をふる。
髪は、顔の周りでふわふわと揺れたけれど、顔にはかからなかった。
本当に切ってしまった。

そのまま私は夏の商店街を歩き、夏休みだというのにどこにも寄らずに家に帰った。
どうせ帰っても誰もいないので、変にお金をかけてどこかによるよりきっと居心地がいい。
ポケットから鍵を出して引き戸の境に突っ込み、がちゃりとまわす。
そして扉を横に引く。
「……あれ」
硬い手ごたえを残しただけで開かない戸を、あと何回かぐっと引いてみた。
やっぱり開かない。
間違って締めてしまったんだろう……ということは鍵が開いていたということで。
誰か帰ってきているのだろうか。
特に思い当たることもなくて、私はもう一度鍵を開けようと鍵穴を回した。
「志野?」
上から声が振ってきた。
語尾があやふやに上がっていたが、声の主はきちんと分かった。
なんでいるんだ。
弟の部屋の窓から身を乗り出した人を見上げると、彼は目を瞬いて私をじろじろと見つめた。
何も言わない頭上の相手に、逆に私が声を張り上げる。
「なんでいるの?」
「ああ、おばさんに宅急便の番頼まれたから」
幼馴染は、それだけ言って顔を引っ込めた。
そしてすぐに一階に駆け下りてきたらしく、今度は玄関が私の目の前で自動的にがらりと開いた。
「……ただいま。ありがと、あとは私が留守番するから」
それだけ言って、開けたドアに手を掛けて横に退いた竹河辰の横でサンダルを脱ぐ。
外れない視線にやっと気付いて、私は玄関に立ったままの幼馴染を振り返った。
「何?」
「美容院に行ってるというのは聞いたけど」
「ああ、今切ってきたの」
「また思い切ったね」
黙って私を眺める視線に少し気まずくなって、とりあえず玄関に上がってフックに鍵をかけた。
微妙な知り合いである同い年の高校生に、こういう風に見られるのは慣れていない。
この人は、普通の高校生とはどこか違った視線で世界を見ている気がするので、そのせいかもしれないけれど。
「……変じゃない?」
そう言って、肩口の髪に触れようと手を伸ばしたら、毛先が少しあるだけだった。
数時間前まではここに確かに私の髪があったのが、なんだか夢のようだった。
気分転換に髪を切ったというのは本当で、だけれどそうまでして気分を切り替えてみたいと思わせたここ最近の私を、この人だって知らないはずはない。
外から細く差し込む昼の日差しを髪の端に受けて、色素の薄いその人の髪は私よりずっと綺麗だった。
蝉の鳴き声がうるさくて、少しだけ疲れた。
「部活は?」
「ああ今日は休み。午後からバイトだけどね」
「ふうん」
私の問いに軽い調子で手を振りながらも、引き戸を閉め切ろうとはしない。
開けたままの扉の向こうから暑気がゆったりと涼しい玄関に沁みこんできていた。
いつでも出て行けるような雰囲気の幼馴染をしばらく見てから、自分の高校生活のことを思った。
夏休みはあまり活動しない部活で、よかったと思う。
今はあまり行きたくないから。
「午後までいる?」
「いや、それはだめだろう。流石にお年頃が2人きりはよくないと思うよ」
お年頃って、自分のことなのになんだか他人行儀な言い方だ。
それに私はこの人をそういう対象として見たことはない。
「大体志野は良くても、おばさんやおじさんが心配するだろう」
「ああ……でも今更じゃない」
別に、窓を開けて網戸にして、扇風機で我慢して、開放的にしていればあんまり悪いこともないだろう。
そう言うと、辰さんは気温のますます高くなる屋外と薄暗いうちの廊下を見比べてから僅かに笑った。
「まあ、今更だ」
「でしょう」
「でも」
顔だけ後ろを向き、柱に隠れた自宅を彼は眺めた。
それからまた、私を見た。
「私は帰ったほうがずっと簡単だと思うんだな」
「あ、そうか」
うちに入り浸っていたので忘れていたが、そういえばこの人は近所だった。
「今日はどっちもいないからね」
そう言い残すと、彼は足元のスニーカーをつっかけて敷居を越えた。
「お邪魔しました」
「うん」
戸を閉めようとした私を、門の直前で幼馴染が振り返った。
「変ではないよ」
「え?」
「またね」
手を挙げて悠々と去っていった彼が言ったのが、短く切った髪のことだというのに思い立った時には、もう彼の姿は見えなくなっていた。
肩がいつもより軽かった。
髪を切った違和感は、いつものようにあと二、三日は私について回るだろう。
鍵を閉めた扉の向こうで、蝉がうるさく鳴いていた。

しんさんとしの
(14 :四年前)