喫茶店の窓から走る小学生達を見ていた志野が、頬杖を付いたまま幾度か瞬きをした。
落ち着いたグレーの七部袖から伸びた腕の先が志野の頬に伸びているそのラインから目を移し、青年が彼女の視線を追う。
「昔さあ、ランドセルにね、牛乳をかけられたことがあったんだよね。昼休みに早退しようとしてた時。」
志野が飲み切ってしまったアイスティーの氷をストローでざくざくと弄りながら、子供達が走り去った道路を見たままぽつりと言った。
辰は、幼馴染の大学生から目を離さずに珈琲を口に運ぶ。
一口飲んで白いカップを口から遠ざけると、彼は椅子にゆっくりもたれかかって、窓の方に目を向けた。
ずっと遠くに、彼らの通った小学校の時計だけが、住宅街に紛れてかすかに首を出しているのが見える。
あの場所へ毎日通っていた日々は、もう十年近く昔になる。
「そうだっけ。何年生のとき?」
「一緒のクラスだったから、三年生だと思う。なんでだったかは私も良く覚えてないんだけど。そんでもう、中身から外から私の服から酷いことになってさあ」
「へえ…そうだったかな」
「辰さんがそういえば、あの時全部世話を焼いてくれて、泣いてたのを無理やり引っ張って家に連れて帰ってくれたんだっけと思って。違ったっけ。辰さんじゃない?」
志野がそういうと、向かいの幼馴染はしばらく口をつぐんでうつむいた後、うむと口の中で呻いて額に手をあてた。
志野は、無造作に遊ばせていた足が彼の靴先に当たったので、肩をすくめて引っ込める。
「ああ、参ったな。そんなことをしたような気はする……んだけど。覚えていない」
どちらも割かし記憶力のいい方であるというのが共通認識であったため、志野は握っていたストローから手を離して、小さく声を上げた。
「辰さんが覚えてないの、珍しいね」
その言葉に辰は困り顔を止めて、苦笑した。
コーヒーをまた一口飲んでから、落ち着いた動作で首を振る。
「違う。志野の記憶力が良すぎるんだよ」
「そうかな」
「大体、普通は細かい風景とか会話までいちいち覚えていないものだよ。いいね、便利で」
「……便利って」
青年の幼馴染は、溜息をついてまたガラスの外に顔を向けた。
辰は黙ってそれを見ていた。
彼女は人間なのだなと思う。
昔から、自分は彼女を知っていた。
志野が女ではなく少女であった時期があり、そのとき自分も少年であったという事実は、当たり前のようでいて普段は意識しない。
けれど、確かに昔、志野も辰も九歳だった。
小学校から彼女の手を引いて帰った時間も、今まで生きてきた流れの中に確実に存在している。
壊れたものと同じ時の中にあったものが、すべて今との流れを絶たれているわけではないのかもしれない。
(014:清流の音)