29 / 一年前-3 (月は満ちて欠け終わることなし)
幼馴染が縁側で月を見ていた。
網戸を引いて、顔を出す。
夏の夜特有の浮ついたあたたかさが心地いい。
キャミソールの裾が麦茶で濡れたのを手首で擦り、片手に持ったグラスを幼馴染に差し出した。
「はい」
「ありがとう。志野も座る?」
「麦茶入れてきたら座る」
気持ち良さそうだったので言葉に甘えることにした。
私のうちなのでそれは変な心理描写なのだけれど。
台所を往復し、水玉模様のグラスに麦茶を注ぎ、縁側に戻った。
大学に入って一年目の夏は、高校生と何が違うだろう。
夏休みが長いのは嬉しいけれど、宿題はあるし補講もあり、あまり休みと言う気がしない。
明らかな違いといったら、九月になってもこうしてゆっくりしていられることくらいだろうか。
もう一度網戸をあけて縁側に出ると、小気味いい響きがした。
幼馴染が腕に止まった蚊を殺したところだった。
そばに座る。
辰さんが多少むっとした顔で腕を見ている。
「刺された……」
「そういえばキンカン切れてたよ」
「いいよ、うちに帰って塗る」
彼の呟きに溜息を聞き取って、私は麦茶を飲んだ。
どこか遠くの公園でしているのか、花火のような音が空にあがっていた。
月が満月に近い大きさでとても美しい。
氷が手の中で澄んだ音を立てる。
風がなかった。
夜だった。
「志野」
辰さんの声が静かだった。
黒い半袖シャツにスラックスを履いて、四十九日の帰りの晩に、うちに寄ったところだった。
喪服を来て叔父さんのお葬式から帰ってきた日と変わらない表情(かお)をしている。
応えずに足をぶらつかせていると、辰さんの手の中でグラスが潤んだ。
「志野。死ぬというのはどういうことなのだろうね」
「分からないよ、そんなの」
呟いて高校時代にとても好きだった人のことを思い出し、少し切なくなった。
あの人は元気でやっているだろうか。
彼ならそういう問いを聞くことが出来るだけのものを受け止めて答を出しているだろうか。
辰さんは薄く笑って縁側に手をついた。
「だって、おまえだって考えたことがあるだろう」
「あるけど」
「どうやって死にたい?」
普通にさらりと穏やかに、幼馴染は私に聞いた。
鈴虫が鳴いている。
月が白くて眩しい。
「……『桜の下にて春死なん』というのは、素敵かなと思うけれど」
「あー。あれね。西行」
「そうだっけ?うろ覚えなんだ」
よくこう、知識がぽんぽん出てくると思う。
感心する。
辰さんは麦茶のグラスを、しばらく見てから、夜空を仰いだ。
虫が鳴いている。
私は、蚊を殺した。
辰さんは、しばらく月を眺めた後、なにかしら思い出し笑いをした。
そして、月を見ながら夜に死にたいと、寂しそうに笑った。
その声を心の中でもう一度聞き直して、隣にある顔を見て、
なんだ、と思った。
「辰さん」
「なんだい」
「摂生しなさいね」
「分かってる」
素直に頷いたのできっと間違っていなかったろう。
喉をひんやりと潤す麦茶の香ばしさに微笑う。
――それが、一年前の夏の終わり。
あの晩の言葉を憶えている。
辰さんは、ただ生きたいと言ったのだ。
(29 :一年前-3)