13 / 三笠 志野
夏休みも早々に一週間の補講期間があったので、久々にいつもの電車で私は学校に行った。
これが終わればお盆なので、来ない人も多いのだけれど、私は一応実家から通いなので行かないと言い訳が付かない。
眩しい太陽の下をのんびり歩きながら、日焼け止めを塗るのを忘れていたことを思い出し足を速めた。
とはいえ、学校が嫌いだったりはしない。
確かに、高校の頃に比べて気の合う話を出来る人は少ないと思ったけれど、私はこの学校での勉強が思いの外好きなのだと思う。
数週間前に一緒にテスト勉強をしていた幼馴染に感化されたというのもあるかもしれない。
彼は勉強が好きだ。
そして、その様子を見ていると、私も新しく何かを学ぶことにとてもやる気が出てきてしまう。
電車を降りてしばらく歩き、大学構内に入ると校舎の影で火照った肌が息をつく。
意外に人が来ていた教室の適当な席に座って、そういえば志郎の部屋から借りてきた本がもう少しで終わりだ、と突然思い出した。
かばんから本を引っ張り出し、しおりを抜いて読み始める。
弟から借りてきたのは本当だけれど、これは多分辰さんの本だと思う。
辰さんはどんな法則があるかは分からないけれども、読んだ本のいくらかを志郎に譲っている。
そしてその中のいくらかを、私も読む。
辰さんと私の好みは昔からいろんなところでとても近いので、読むと大体どちらのものかはすぐ分かる。
これはきっと辰さんだ。
今日帰ったら、幼馴染に聞いてみよう。
それとも確かアルバイトの日だから今日はうちには寄らないだろうか。
その辺りで飛んだ意識ををまた本へ戻して、私はまたページを捲った。
誰かが窓を開けたらしく、頬にゆっくりとした温風が触れる。
もう一回ページを捲って、顔にかかった髪を無意識に耳の裏にかけた。
「ごめんなさい!」
急に、隣の人が私に謝った。
本から顔を離して声のした左側を見たけれど、座っていたのはとくに見覚えのない人だった。
――私、この人に何かしただろうか。
隣でこちらを見上げている小柄な女の子に、私はとても微妙な表情をしていたと思う。
ショートがそのまま伸びたみたいな髪を無造作に数箇所で結って、男物の古着で上下をそろえた少年みたいな女の子が、私の視線を受けて当たり前のように続けた。
「同学年だとは思わなかったんだよ」
人間違いではないのかな。
彼女の声は見た目の印象より低めで落ち着いていて、瞳はまっすぐだった。
細い腕に巻かれたシルバーアクセサリが素人目にも凝っていて、少し息を呑む。
彼女は私の表情に首をひねった。
「あれ。あ、もしかして私分からない?」
どう答えていいものか分からず、頷くべきかどうか一瞬迷った。
というか一瞬何かの商法かと思った。
(でも後で考えるといくらなんでもそれは飛躍しすぎだった。)
ともあれ私が反応する一瞬前に、彼女はあっさり自分からそれを否定した。
「三笠さんでしょ。私田中葉子だよ。同じ学年で同じ学部なんだけど見たことない?」
「えっと、ない。ごめん」
「ええ!」
素直に謝ると、彼女は少年みたいに非難の声を上げた。
「私、何度も三笠さんのこと先輩って呼んじゃったんだよ! 絶対再履修の人だと思っていろいろ質問したんだけど…あの、ごめん。大人っぽかったからさぁ」
私は眉を顰めた。
人の顔を覚えるのは割と得手な筈なのだけれど、どうだったろう。
そもそもいつのことだろう、それ?
とりあえずなんで謝ってくれたのかは分かった。
……ちょっとショックだ。
「老けてるかなぁ、そんなに。うーん、ごめんね、あんまり覚えてなくて。田中さんだよね」
「ほら、その言い方が先輩っぽい! 名前でいいよ。あ、葉でいい。皆そう呼ぶからそれにして。だめ?」
にまりと笑って、田中葉子は机の上で両手を組んだ。
私もつられて苦笑する。
確かに葉という一文字で潔く表すほうがずっと、この子らしい。
あだ名で呼ぶのは少し苦手なので、呼ぶことができるかどうかは分からないけれど。
ごく当たり前のように私の線の中に入り込まれて戸惑ったけれど、それはなぜだかすぐに消えた。
友達になれそうだ。
「次の授業はここなの?」
「そうだよ。隣いいよね? 誰か来る? 三笠さんていつも端っこに座ってるから、大丈夫だと思ったんだけど」
「私も名前でいいよ。……あぁ」
思い出した。
トートバックからペットボトルを取り出して口をつける姿が記憶とだぶる。
「中国語で一緒だった?」
葉子さんは嬉しそうに笑って鎖で止めたブレスレットごと左手を揺らした。
「やった、思い出してもらった」
「ごめんね、忘れてて」
くすくすと笑って彼女がやだなーと言う。
「三笠さんて真面目だね。バイト先のお姉さんみたいだ」
「真面目かなぁ?」
「そうでもないかも」
「わかんないよ、それじゃ」
私も笑った。
光が差し込み、講義室は今日も暑い。
(13 :三笠志野)